姿なき挑戦者⑨ 急行・おが
2013-12-21
1983年8月「東北乗り潰しの旅」の中で私は「急行・津軽54号」に乗り山形駅に「運転停車」なのに下車させていただいたのは先述した。山形より新庄に戻るため、急行「おが」に乗り奥羽本線を北上するのは当然深夜から未明にかけての行為であった。だが私は山形駅に入線する「おが」を見て驚いた。なんとオール20系の寝台客車編成であった!この旅の計画段階でこの「おが」が寝台急行では無く通常の急行列車である事は事前知識があった。そして新庄では陸羽東線との接続がものすごく良い事も知っていた。だが、まさかこんな形で乗車できるとは思わなかったが、更に20系というサプライズ!新庄で下車するのが非常にもったいなくなってしまった。
と言うのは、乗ってみてまたびっくり。私は「東北ワイド」のためもちろん「自由席」へ。なのに普通に「寝台車」で座席ではない。つまり、今でいう「ゴロンとシート」のような形で自由席として開放していたのだ!だが山形~新庄まではおよそ1時間。こんな短い時間しか乗れないなんて・・・

(「寝台急行」ではない通常の「急行列車」として季節運転になった「おが」。とは言うものの20系寝台車を座席で解放とは!画像は「日本の旅・鉄道見聞録」様提供。)
この夜行急行「おが」は、私の乗車した1983年では既に「季節運転」に格下げされていたが、このお盆の帰省時の運転に乗客はほんの僅か。もちろん私は「ワンボックス」占領できた。普通なら仮眠にちょうどいいが、これじゃ仮眠どころではない!!逆に興奮してしまい、暗くて何も見えない窓を眺めては中段や上段に席を移したりと・・・1時間などすぐに過ぎてしまった。
この東北の旅で「津軽」「八甲田」等の夜行急行をフル活用。この旅の「宿」として活躍した。そしてこの「おが」も宿として同じ旅の中で行程を組み込んでいた。今度は北上線で横手に20時48分に着いた後に22時13分発の「おが」に乗り、深夜の福島に2時42分着までの「宿」となる予定を組んであった。もちろん既に「おが」の編成については事情を知っている。完全に「おが」に乗るのが楽しみになっていた。だが、あまりの快適さに「もしかしたら寝過ごして上野まで行ってしまうのでは?」との思いから、福島で折り返し山形に向かい左沢線の乗車を予定していたが、福島で目が覚める自信が無くなり山形で下車。深夜0時55分の事だ。もったいない・・・

(方向幕を見てお判りであろう、20系客車である事が。1983年に訪問の際の一枚であるが、秋田~男鹿は「普通列車」に変身!)
更に同じ行程の中、今度は大曲から福島まで行き折り返し急行「津軽」で山形まで行き、山形始発の赤湯経由長井線直通列車に乗車予定であったが、これまた山形で下車してしまった。やはり快適すぎて目覚める自信が無かったのだ。結局山形駅が「宿」と、結果的になってしまったが、やはり上野まで行ってしまう事より良いであろう。と言うより、旅の行程の最終日にこの「おが」を組み込めばと、既に結果論であるが大変に悔しい思いを中学生ながらにした。
20系寝台車仕様の「座席急行」である、非常に印象的な列車であった。3段式のB寝台を「自由席」として開放していたのは、おそらく車両のやりくりの中で余剰の20系が充てられたと思われるが、私にとってみたら思いがけない「サービス」であった。変な話、と言うより以前から言っているが、例えば「ムーンライト」などでこういう車両の使い方をしてくれると「18派」には大変重宝するのではないのであろうか?「ながら」が185系に変わったが、むしろ583系でもいいのではと私は個人的に思っている。いっそのこと24系などにしてしまえば快適な旅になるのでは?と思う。もちろんこれは経営者側の事情を全く考えていない意見であるが・・・
この列車は上野~男鹿までの運転であった。だが秋田~男鹿はなんと「普通列車」に変身する!つまり20系の寝台車が普通列車として開放。地元の「学生諸君」も普通に乗車してくるわけだ!20系で通学する学生・・・いったい彼(彼女)らはどのような思いでこの列車に乗っていたのであろうか。

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と言うのは、乗ってみてまたびっくり。私は「東北ワイド」のためもちろん「自由席」へ。なのに普通に「寝台車」で座席ではない。つまり、今でいう「ゴロンとシート」のような形で自由席として開放していたのだ!だが山形~新庄まではおよそ1時間。こんな短い時間しか乗れないなんて・・・

(「寝台急行」ではない通常の「急行列車」として季節運転になった「おが」。とは言うものの20系寝台車を座席で解放とは!画像は「日本の旅・鉄道見聞録」様提供。)
この夜行急行「おが」は、私の乗車した1983年では既に「季節運転」に格下げされていたが、このお盆の帰省時の運転に乗客はほんの僅か。もちろん私は「ワンボックス」占領できた。普通なら仮眠にちょうどいいが、これじゃ仮眠どころではない!!逆に興奮してしまい、暗くて何も見えない窓を眺めては中段や上段に席を移したりと・・・1時間などすぐに過ぎてしまった。
この東北の旅で「津軽」「八甲田」等の夜行急行をフル活用。この旅の「宿」として活躍した。そしてこの「おが」も宿として同じ旅の中で行程を組み込んでいた。今度は北上線で横手に20時48分に着いた後に22時13分発の「おが」に乗り、深夜の福島に2時42分着までの「宿」となる予定を組んであった。もちろん既に「おが」の編成については事情を知っている。完全に「おが」に乗るのが楽しみになっていた。だが、あまりの快適さに「もしかしたら寝過ごして上野まで行ってしまうのでは?」との思いから、福島で折り返し山形に向かい左沢線の乗車を予定していたが、福島で目が覚める自信が無くなり山形で下車。深夜0時55分の事だ。もったいない・・・

(方向幕を見てお判りであろう、20系客車である事が。1983年に訪問の際の一枚であるが、秋田~男鹿は「普通列車」に変身!)
更に同じ行程の中、今度は大曲から福島まで行き折り返し急行「津軽」で山形まで行き、山形始発の赤湯経由長井線直通列車に乗車予定であったが、これまた山形で下車してしまった。やはり快適すぎて目覚める自信が無かったのだ。結局山形駅が「宿」と、結果的になってしまったが、やはり上野まで行ってしまう事より良いであろう。と言うより、旅の行程の最終日にこの「おが」を組み込めばと、既に結果論であるが大変に悔しい思いを中学生ながらにした。
20系寝台車仕様の「座席急行」である、非常に印象的な列車であった。3段式のB寝台を「自由席」として開放していたのは、おそらく車両のやりくりの中で余剰の20系が充てられたと思われるが、私にとってみたら思いがけない「サービス」であった。変な話、と言うより以前から言っているが、例えば「ムーンライト」などでこういう車両の使い方をしてくれると「18派」には大変重宝するのではないのであろうか?「ながら」が185系に変わったが、むしろ583系でもいいのではと私は個人的に思っている。いっそのこと24系などにしてしまえば快適な旅になるのでは?と思う。もちろんこれは経営者側の事情を全く考えていない意見であるが・・・
この列車は上野~男鹿までの運転であった。だが秋田~男鹿はなんと「普通列車」に変身する!つまり20系の寝台車が普通列車として開放。地元の「学生諸君」も普通に乗車してくるわけだ!20系で通学する学生・・・いったい彼(彼女)らはどのような思いでこの列車に乗っていたのであろうか。

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コメント
No title
すんや様
コメントありがとうございます。
20系の寝台座席に通学カバンや部活の道具と共に乗車してくる学生諸君は羨ましい限りです。私の乗車時にはすでに「季節運転」に格下げされてしまいましたが、この「おが」は東北の旅に乗車した列車で一番インパクトがありました。なんたって20系の上段から下段まで「自由席」でしたから。しかも乗車率が20~30%くらいだったと思います。
私の1983年東北の旅は私の旅のなかで最も印象的な旅となりました。実はダイナミック☆トナカイも中川駅から「スポット参戦」ながら同行しております。帰りは二人で583系の「はくつる」で帰郷しました。
20系の寝台座席に通学カバンや部活の道具と共に乗車してくる学生諸君は羨ましい限りです。私の乗車時にはすでに「季節運転」に格下げされてしまいましたが、この「おが」は東北の旅に乗車した列車で一番インパクトがありました。なんたって20系の上段から下段まで「自由席」でしたから。しかも乗車率が20~30%くらいだったと思います。
私の1983年東北の旅は私の旅のなかで最も印象的な旅となりました。実はダイナミック☆トナカイも中川駅から「スポット参戦」ながら同行しております。帰りは二人で583系の「はくつる」で帰郷しました。
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それにしても、なんとも贅沢な悩みを短期間に経験しましたね!
20系寝台車での通学も地元の学生にとっては、なんて事の無い日常なのかもしれませんが、我々にとっては夢のような体験でしょうね!