廃止路線を訪ねて① 白糠線・アゲイン
2014-03-09
1983年10月、北海道ワイド周遊券で北海道初上陸を果たした。その時のテーマであった「白糠線訪問」が実現したが、訪問してから2週間くらいして姿を消していった・・・
既に「廃止路線を訪ねて① 白糠線」で紹介しているが、紹介した他に現在私が所有している駅名表と数枚の写真の在庫があったため、一応この場を借りて公開してみよう。

急行「まりも」で白糠に到着した。以前にも紹介した写真であるが「まりも」は14系客車であった。

白糠駅で撮影のキハ58サボ。白糠線始発の列車は釧路発であったが、既に多くの乗客がいた。私は白糠から乗車。サボは上り、つまり帰りの表示だ。








各駅名表。上白糠と茶路の間には全国版時刻表に載ってない「共栄」があった。いわゆる仮乗降場である。

こちらも以前に紹介した北進駅全景。ご覧の通り、付近には「文明」と呼べるのはほぼ皆無に近い。よくこのような場所に鉄路を引っ張ったものだと感心してしまう。
後で調べてわかった事だが、上の写真の車両は根室本線の釧路~根室に運転されている急行「ノサップ」の合い間の運用だったらしい。つまり白糠線に「ノサップ」が乗り入れている事になる・・・とはちょっとオーバーな表現であるが、2両編成の運転では普段はいささか持て余し気味であったろう。もちろん私の乗車時には「その道の人」が多く訪問していたため開業以来の乗車率であっただろうが・・・
かつては「政治路線」とも騒がれたりもしたが、一応「敷設法」の構想では足寄への延伸があったのは先述した。だがそのほかに「阿寒線構想」と言うのがあったらしい。足寄へ向かう途中の「螺湾(仮称)」と言う駅から阿寒湖を抜けて北見相生(当時の相生線)へと到達する予定であった。もし足寄への路線と共にこちらの北見相生まで繋がっていたとしたら、とても夢が膨らむが利用者はそう多くないであろう。であるが、私はいつも、この「未成線」がもし開通したらと想像するととても楽しくなる。もちろん白糠線の他にも多くの未成線が日本全国に多く存在している。だがその未成線の構想とは裏腹に多くの路線が廃止されていった。上茶路~北進を延伸した際に約16億円(当時)の経費が掛かったと聞く。
「83線区」の先陣を切って廃止されていった白糠線は、東海道新幹線が開通した年と同じ年に開通。しかし上茶路~北進が延伸されてからなんと11年でその使命を終えてしまった。当時から白糠線を知っている鉄道愛好家の中での「評価」はいろいろであろうが、私にとっての白糠線の印象はとても大きい。特に「初」北海道であったのと、夏休みなどの長期休暇以外での訪問であったから尚更だ。当時中学生の私が既にこれだけの想いを秘めながら北海道に「参戦」したのは、今になって考えたらやはり「特殊」だったのであろうか?いや、例え「特殊」であっても白糠線と共に時間を共有した思い出は計り知れない。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
既に「廃止路線を訪ねて① 白糠線」で紹介しているが、紹介した他に現在私が所有している駅名表と数枚の写真の在庫があったため、一応この場を借りて公開してみよう。

急行「まりも」で白糠に到着した。以前にも紹介した写真であるが「まりも」は14系客車であった。

白糠駅で撮影のキハ58サボ。白糠線始発の列車は釧路発であったが、既に多くの乗客がいた。私は白糠から乗車。サボは上り、つまり帰りの表示だ。








各駅名表。上白糠と茶路の間には全国版時刻表に載ってない「共栄」があった。いわゆる仮乗降場である。

こちらも以前に紹介した北進駅全景。ご覧の通り、付近には「文明」と呼べるのはほぼ皆無に近い。よくこのような場所に鉄路を引っ張ったものだと感心してしまう。
後で調べてわかった事だが、上の写真の車両は根室本線の釧路~根室に運転されている急行「ノサップ」の合い間の運用だったらしい。つまり白糠線に「ノサップ」が乗り入れている事になる・・・とはちょっとオーバーな表現であるが、2両編成の運転では普段はいささか持て余し気味であったろう。もちろん私の乗車時には「その道の人」が多く訪問していたため開業以来の乗車率であっただろうが・・・
かつては「政治路線」とも騒がれたりもしたが、一応「敷設法」の構想では足寄への延伸があったのは先述した。だがそのほかに「阿寒線構想」と言うのがあったらしい。足寄へ向かう途中の「螺湾(仮称)」と言う駅から阿寒湖を抜けて北見相生(当時の相生線)へと到達する予定であった。もし足寄への路線と共にこちらの北見相生まで繋がっていたとしたら、とても夢が膨らむが利用者はそう多くないであろう。であるが、私はいつも、この「未成線」がもし開通したらと想像するととても楽しくなる。もちろん白糠線の他にも多くの未成線が日本全国に多く存在している。だがその未成線の構想とは裏腹に多くの路線が廃止されていった。上茶路~北進を延伸した際に約16億円(当時)の経費が掛かったと聞く。
「83線区」の先陣を切って廃止されていった白糠線は、東海道新幹線が開通した年と同じ年に開通。しかし上茶路~北進が延伸されてからなんと11年でその使命を終えてしまった。当時から白糠線を知っている鉄道愛好家の中での「評価」はいろいろであろうが、私にとっての白糠線の印象はとても大きい。特に「初」北海道であったのと、夏休みなどの長期休暇以外での訪問であったから尚更だ。当時中学生の私が既にこれだけの想いを秘めながら北海道に「参戦」したのは、今になって考えたらやはり「特殊」だったのであろうか?いや、例え「特殊」であっても白糠線と共に時間を共有した思い出は計り知れない。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/374-4efb2963