北海道、初上陸の時⑤
2014-03-19
紅葉あふれる石勝線の車窓を独占しながら札幌に到着した。途中、千歳空港駅を通ったが、現在は「南千歳」として活躍している。そんな千歳空港駅も当時は初の「空港アクセス駅」として大変注目されていたが、石勝線が開通して更にパワーアップした。現在もそうであるが、優等列車を含む全列車が停車するので使い勝手が良い。

(札幌駅では時間を持て余していたため写真を撮りまくっていた。現在では貴重となった地上時代の札幌駅にての「ライラック」は以前にも紹介している。)
さて、札幌では約4時間くらいの待ち合わせがあった。後で気付いたが、せっかくこんなに時間があったのだから途中の占冠辺りで下車しても全然OKだったかなという思いが出てきた。結局札幌では特急列車の写真を撮ったりご飯を食べたりと・・・現在のようにインターネットなど発達していなかったため下調べなどが出来ず、銭湯などにも行けずにただただ時間を持て余していた印象であった。
ようやく時間がやって来た。乗車する列車は小樽経由の特急「北海」である。現在はいわゆる「山線」を経由して函館目指す優等列車は無くなってしまったが、かつては特急の他、客車急行の「ニセコ」も健在であった。「山線」を経由するのが若干楽しみであった私であるが、実際問題19時台の出発の為景色など全く持って眺めることが出来ない・・・只管函館到着を待つのみであった。

(こちらも地上時代の札幌駅にて撮影。キハ80の「北斗」は、現在車両が変わりスピードアップされた。)
函館に到着したのは23時55分!日付が変わる直前だ。接続する青函連絡船は0時40分発であり、全く「夜行列車」的な扱いだ。と言うよりわざと「狙って」乗ったのだ。そう、青函連絡船ではあの「ノビノビ座席」風の座席があるから寝るのには重宝するとの思いからの選択であった。結果的に狙いは大正解であったが、青森到着は4時30分の到着であまり寝られなかったのが残念・・・
未明の青森駅からは急行列車は出ていなかった。残念ながら接続する列車は特急「はつかり」のみ!ここは仕方なく「別料金」にて特急券を購入。「ワイド周遊券」の特権を使えずに盛岡目指す。が、私を待っていた車両を見て朗報!なんと583系であった。2か月前の「東北の旅」では昼間の583系には巡り合えなかったが意外にもこんなタイミングで・・・これなら「別料金」でも納得か、と考えるのは一般的ではないかも知れない。
盛岡に着くと更に優等列車の接続が無く、仙台まで普通列車列車での移動となっている。が、電気機関車が牽引する旧型客車がまだ東北本線の普通列車では当たり前の時代であったので当然「旧客」に揺られて仙台目指す事になった。盛岡発が7時22分だが仙台着がなんと12時5分!なんと4時間半である。
朝の7時半頃から昼までこんなにのんびり時間が過ぎて行ったのに仙台には定刻通りに到着した。僅か5分の乗り換えで、今となっては貴重な体験となってしまった急行「まつしま」で上野に向かう。ようやく優等列車にあり付けた。昼間の12時頃まで旧客で過ごすとは、なんてのんびりした移動手段であろうか。仙台まで気怠いひと時が穏やかに過ぎて行った。

(ダイナミック☆トナカイ提供の急行「まつしま」のイメージ。交直両用の急行型車両で、上野では良く見られたが、考えてみたら直流でも運転できるので、我地元付近(例えば茅ヶ崎とか)に来てほしかった・・・)
今回の旅はほとんどトラブルも無く順調に行程を消化していった。僅か2か月前に訪問した東北の旅では多くのトラブルと予定変更を重ね、かなりの珍道中になってしまった。やはり旅とは何かのトラブルのようなものが無いと若干印象が薄くなるような感じもしなくはないが、今回の北海道の旅は「初」であったため全てが新鮮であったのが印象深かった。だが実はトラブルが全く無かったわけではない。新夕張駅を訪ねた事は先述したが、旧・紅葉山駅跡に訪問した際にホームからレールのない線路跡にジャンプしたらなんと水たまりがあったのだ・・・夜の為暗くて分からなかったのだが、おかげでズボンの裾がびっちょりになってしまった・・・とりあえずスペアのズボンに変更したが、宿泊先の「まりも」では窓際にズボンを干しながら白糠駅目指していったのだ・・・みたいな事があり、北海道の旅と言うとまず紅葉山を思い出す、みたいな感じだ。

(同じくダイナミック☆トナカイ提供の583系「はつかり」。恐らく盛岡駅での撮影と思われるが、今となっては懐かしい部類になってしまった。)
もう30年以上前の事であるが、私は当時こんな旅ばかりをしていた。高校受験を控えていたというのに・・・まぁ、とりあえず高校受験は無事にクリアできたが、やはり当時の名残か、現在はこんな大人になってしまったが・・・
若く、そして新しいレールファンに一言お伝えしたい。これは決して「先輩面」や「釈迦の説法」的な意見のつもりではなく、あくまで私の経験上から感じた事なので事前にご了承いただきたい。
若く、または新しくレールファンになった方々、是非「現在」をしっかりと堪能していただきたい。私がこの「北海道初上陸」した旅は1983年の事である。先述通り既に30年以上経過しているが、今となっては貴重な思い出となった。例えば「白糠線」に関しては、各方面の雑誌やインターネットを開けば北進駅などの写真が出てくる。駅の姿形はこれらのメディアで確認できるが、やはり実際に行く事によって「雰囲気」や「空気」「温もり」などはもちろん、それとは別に「第六感」的な感覚で何かを感じ取ることが出来るはずだ。白糠線に限らず、当時の旅ではまだ札幌駅が地上時代であった事や青函連絡船がまだ健在であった時代だ。これは現在においては体験する事が出来ない。

(得意の写真で申し訳ないが、私の旅の「出発点」であった相模線・西寒川駅。もう廃止されて30年が経過した。)
今、あなたが経験している「乗り鉄」や「撮り鉄」等は、20年後、30年後にそれを振り返った時、当時の素晴らしい記憶が甦ってくるであろう。それは雑誌などの写真を数10枚見るよりも、自身が撮影した、たった1枚の写真でもそう感じるかも知れないであろから。他の人が見たら一枚の写真の画像は確かに「静止」しているであろう。しかし、撮影した本人が観るとそれは「動画」として見えてくるはずだ。もちろん、正反対に「こんな写真撮ったっけ?」などという場面もあろう。だが、すべてを含めてあなたの「記録」として永遠と活き続けてくれる。そして、それはあなたにとって素晴らしい「記憶」そして「記録」となるはずだから。これは100万ドル出しても買えない、あなたにとって永遠の「お宝」になるであろうから・・・

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(札幌駅では時間を持て余していたため写真を撮りまくっていた。現在では貴重となった地上時代の札幌駅にての「ライラック」は以前にも紹介している。)
さて、札幌では約4時間くらいの待ち合わせがあった。後で気付いたが、せっかくこんなに時間があったのだから途中の占冠辺りで下車しても全然OKだったかなという思いが出てきた。結局札幌では特急列車の写真を撮ったりご飯を食べたりと・・・現在のようにインターネットなど発達していなかったため下調べなどが出来ず、銭湯などにも行けずにただただ時間を持て余していた印象であった。
ようやく時間がやって来た。乗車する列車は小樽経由の特急「北海」である。現在はいわゆる「山線」を経由して函館目指す優等列車は無くなってしまったが、かつては特急の他、客車急行の「ニセコ」も健在であった。「山線」を経由するのが若干楽しみであった私であるが、実際問題19時台の出発の為景色など全く持って眺めることが出来ない・・・只管函館到着を待つのみであった。

(こちらも地上時代の札幌駅にて撮影。キハ80の「北斗」は、現在車両が変わりスピードアップされた。)
函館に到着したのは23時55分!日付が変わる直前だ。接続する青函連絡船は0時40分発であり、全く「夜行列車」的な扱いだ。と言うよりわざと「狙って」乗ったのだ。そう、青函連絡船ではあの「ノビノビ座席」風の座席があるから寝るのには重宝するとの思いからの選択であった。結果的に狙いは大正解であったが、青森到着は4時30分の到着であまり寝られなかったのが残念・・・
未明の青森駅からは急行列車は出ていなかった。残念ながら接続する列車は特急「はつかり」のみ!ここは仕方なく「別料金」にて特急券を購入。「ワイド周遊券」の特権を使えずに盛岡目指す。が、私を待っていた車両を見て朗報!なんと583系であった。2か月前の「東北の旅」では昼間の583系には巡り合えなかったが意外にもこんなタイミングで・・・これなら「別料金」でも納得か、と考えるのは一般的ではないかも知れない。
盛岡に着くと更に優等列車の接続が無く、仙台まで普通列車列車での移動となっている。が、電気機関車が牽引する旧型客車がまだ東北本線の普通列車では当たり前の時代であったので当然「旧客」に揺られて仙台目指す事になった。盛岡発が7時22分だが仙台着がなんと12時5分!なんと4時間半である。
朝の7時半頃から昼までこんなにのんびり時間が過ぎて行ったのに仙台には定刻通りに到着した。僅か5分の乗り換えで、今となっては貴重な体験となってしまった急行「まつしま」で上野に向かう。ようやく優等列車にあり付けた。昼間の12時頃まで旧客で過ごすとは、なんてのんびりした移動手段であろうか。仙台まで気怠いひと時が穏やかに過ぎて行った。

(ダイナミック☆トナカイ提供の急行「まつしま」のイメージ。交直両用の急行型車両で、上野では良く見られたが、考えてみたら直流でも運転できるので、我地元付近(例えば茅ヶ崎とか)に来てほしかった・・・)
今回の旅はほとんどトラブルも無く順調に行程を消化していった。僅か2か月前に訪問した東北の旅では多くのトラブルと予定変更を重ね、かなりの珍道中になってしまった。やはり旅とは何かのトラブルのようなものが無いと若干印象が薄くなるような感じもしなくはないが、今回の北海道の旅は「初」であったため全てが新鮮であったのが印象深かった。だが実はトラブルが全く無かったわけではない。新夕張駅を訪ねた事は先述したが、旧・紅葉山駅跡に訪問した際にホームからレールのない線路跡にジャンプしたらなんと水たまりがあったのだ・・・夜の為暗くて分からなかったのだが、おかげでズボンの裾がびっちょりになってしまった・・・とりあえずスペアのズボンに変更したが、宿泊先の「まりも」では窓際にズボンを干しながら白糠駅目指していったのだ・・・みたいな事があり、北海道の旅と言うとまず紅葉山を思い出す、みたいな感じだ。

(同じくダイナミック☆トナカイ提供の583系「はつかり」。恐らく盛岡駅での撮影と思われるが、今となっては懐かしい部類になってしまった。)
もう30年以上前の事であるが、私は当時こんな旅ばかりをしていた。高校受験を控えていたというのに・・・まぁ、とりあえず高校受験は無事にクリアできたが、やはり当時の名残か、現在はこんな大人になってしまったが・・・
若く、そして新しいレールファンに一言お伝えしたい。これは決して「先輩面」や「釈迦の説法」的な意見のつもりではなく、あくまで私の経験上から感じた事なので事前にご了承いただきたい。
若く、または新しくレールファンになった方々、是非「現在」をしっかりと堪能していただきたい。私がこの「北海道初上陸」した旅は1983年の事である。先述通り既に30年以上経過しているが、今となっては貴重な思い出となった。例えば「白糠線」に関しては、各方面の雑誌やインターネットを開けば北進駅などの写真が出てくる。駅の姿形はこれらのメディアで確認できるが、やはり実際に行く事によって「雰囲気」や「空気」「温もり」などはもちろん、それとは別に「第六感」的な感覚で何かを感じ取ることが出来るはずだ。白糠線に限らず、当時の旅ではまだ札幌駅が地上時代であった事や青函連絡船がまだ健在であった時代だ。これは現在においては体験する事が出来ない。

(得意の写真で申し訳ないが、私の旅の「出発点」であった相模線・西寒川駅。もう廃止されて30年が経過した。)
今、あなたが経験している「乗り鉄」や「撮り鉄」等は、20年後、30年後にそれを振り返った時、当時の素晴らしい記憶が甦ってくるであろう。それは雑誌などの写真を数10枚見るよりも、自身が撮影した、たった1枚の写真でもそう感じるかも知れないであろから。他の人が見たら一枚の写真の画像は確かに「静止」しているであろう。しかし、撮影した本人が観るとそれは「動画」として見えてくるはずだ。もちろん、正反対に「こんな写真撮ったっけ?」などという場面もあろう。だが、すべてを含めてあなたの「記録」として永遠と活き続けてくれる。そして、それはあなたにとって素晴らしい「記憶」そして「記録」となるはずだから。これは100万ドル出しても買えない、あなたにとって永遠の「お宝」になるであろうから・・・

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コメント
No title
リラ様
コメントありがとうございます!
そうです。先日ブルートレインの「最終章」でした。これで純粋のブルートレインは「北斗星」のみとなってしまいました。残念ですが時代の流れでしょうか・・・
「ライラック」・・・フランス語由来では「リラ」ですね。日本名は「紫丁香花(むらさきはしどい)、」と言うらしいですね。
現在は写真の「ライラック」は「スーパーカムイ」という名前になり活躍しています。このブログの写真は1983年撮影ですからもう30年以上経過しています。私は中学3年生でしたが、高校受験を控えているというのに良くこんな旅をしていたものだと思います。こんな少年でしたから「ライラック」と言われても何の事だか分らなかった感じでした。そして全く季節感も無かったので紅葉などが山肌を染めても全く興味を示さず、車窓に映る通過駅などに反応する少年でした。
とはいうものの、今もそれほど変わりませんが・・・
そうです。先日ブルートレインの「最終章」でした。これで純粋のブルートレインは「北斗星」のみとなってしまいました。残念ですが時代の流れでしょうか・・・
「ライラック」・・・フランス語由来では「リラ」ですね。日本名は「紫丁香花(むらさきはしどい)、」と言うらしいですね。
現在は写真の「ライラック」は「スーパーカムイ」という名前になり活躍しています。このブログの写真は1983年撮影ですからもう30年以上経過しています。私は中学3年生でしたが、高校受験を控えているというのに良くこんな旅をしていたものだと思います。こんな少年でしたから「ライラック」と言われても何の事だか分らなかった感じでした。そして全く季節感も無かったので紅葉などが山肌を染めても全く興味を示さず、車窓に映る通過駅などに反応する少年でした。
とはいうものの、今もそれほど変わりませんが・・・
No title
こんばんは、記憶と記録永遠の宝物、じんときました。大切にしたいと思います。
ねこすけ様
コメントありがとうございます!
後述しますが、実は昨日と今日で「青春」しに新潟・長野方面に訪問しておりまた関係で昨日はPCを開けませんでしたので若干コメントの御返しが遅れてしまいました。
私の記事に共感いただきありがとうございました。私の場合、1984年~2007年頃まではレールファン休業であったので「懐かしい」か「今」の記事が主な登場で、いわゆる「バブル期」の記録が全くありません。そのためこういった1980年代の記事が良く登場します。ブログを始めてからはこうして昔を振り返る機会が多くなりましたが、随分私も貴重な体験をしたものだと我が身ながら感心してしまいます。そして一枚の写真からも忘れていた記憶がかなり甦ってきたりもします。
ねこすけ様をはじめ皆様もこういった経験があると思われますが、例えば私の場合の「連絡船」や「地上時代の札幌駅」等は当時生まれていなければ絶対に経験できない事ですよね。そして今もこうして記憶に残っているのが嬉しい事です。ねこすけ様が前回コメントくださった「青函連絡船の箸袋」も、その箸袋1枚眺めるだけでも当時の連絡船に乗った素敵な思い出が頭の中に投影される事でしょう。こういった思い出を自身が他界するまでにひとつでも多く経験したいと私は常に考えていますので、ねこすけ様も是非過去の思い出を大切になさってください。
後述しますが、実は昨日と今日で「青春」しに新潟・長野方面に訪問しておりまた関係で昨日はPCを開けませんでしたので若干コメントの御返しが遅れてしまいました。
私の記事に共感いただきありがとうございました。私の場合、1984年~2007年頃まではレールファン休業であったので「懐かしい」か「今」の記事が主な登場で、いわゆる「バブル期」の記録が全くありません。そのためこういった1980年代の記事が良く登場します。ブログを始めてからはこうして昔を振り返る機会が多くなりましたが、随分私も貴重な体験をしたものだと我が身ながら感心してしまいます。そして一枚の写真からも忘れていた記憶がかなり甦ってきたりもします。
ねこすけ様をはじめ皆様もこういった経験があると思われますが、例えば私の場合の「連絡船」や「地上時代の札幌駅」等は当時生まれていなければ絶対に経験できない事ですよね。そして今もこうして記憶に残っているのが嬉しい事です。ねこすけ様が前回コメントくださった「青函連絡船の箸袋」も、その箸袋1枚眺めるだけでも当時の連絡船に乗った素敵な思い出が頭の中に投影される事でしょう。こういった思い出を自身が他界するまでにひとつでも多く経験したいと私は常に考えていますので、ねこすけ様も是非過去の思い出を大切になさってください。
果たせなかった過去への思い
私も同じ時期に少ないながらも鉄道旅行を楽しんだ経験がありますので、おっしゃっている事にとても共感しました。
自分のブログでも過去の写真を掘り起こしながら過去の記憶をたどっていますが、当時はどうという事の無い写真だと思っていたものが今となっては絶対に撮れない貴重なものだと実感しています。
それゆえもっと撮影しておくべきだったと後悔する事もありますが。
当時は時間が有り余るほどあったのですが、金銭的な問題もあり時刻表を眺めながら頭の中での鉄道旅行をしていたものですが、それを実行していたダイヤモンド☆トナカイさまの記事は自分のなし得なかったものを具現化してくれるすばらしい記事の数々で大変興味深く読ませて頂いています。
当時の思いというものはなかなか忘れる事もできないらしく、現在も旅行中などに当時訪問が果たせなかった場所が近くにあったりすると、ムリヤリ都合をつけて訪問し当時の景色を想像してみたりもします。
自分のブログでも過去の写真を掘り起こしながら過去の記憶をたどっていますが、当時はどうという事の無い写真だと思っていたものが今となっては絶対に撮れない貴重なものだと実感しています。
それゆえもっと撮影しておくべきだったと後悔する事もありますが。
当時は時間が有り余るほどあったのですが、金銭的な問題もあり時刻表を眺めながら頭の中での鉄道旅行をしていたものですが、それを実行していたダイヤモンド☆トナカイさまの記事は自分のなし得なかったものを具現化してくれるすばらしい記事の数々で大変興味深く読ませて頂いています。
当時の思いというものはなかなか忘れる事もできないらしく、現在も旅行中などに当時訪問が果たせなかった場所が近くにあったりすると、ムリヤリ都合をつけて訪問し当時の景色を想像してみたりもします。
すんや様
コメントありがとうございます。
私の記事に共感くださいまして大変感謝しております。ありがとうございます。と言うのも、私はこの1983年という年がひとつの大きな鉄道の集大成的な年でもあると思います。当時は中学3年の為周囲は受験だのなんだの言ってました。もちろん私もそういう立場でしたが、その中でもこの北海道の旅は東北の旅より充実と言うか思い出が濃縮してます。
夏休みとかでは無い、通常の休み(と言うより変則の4連休)の中での旅によく親も軍資金を提供してくれたものだと思います。普通なら中学生がこの時期に北海道へ旅をする、しかも一人旅ですから普通に現場で公務員(警察官とか)に声を掛けられてもおかしくないシチュエーションですよね。でも私は当時、まだ見ぬ北の大地への想いと白糠線への想いが抑えきれずにいたのでしょう。しかも「83線区」のトップバッターですからね。
それから私は当時からですが、日本で一番好きな鉄道路線が「石勝線」です。しかも新夕張~新得の「新線区間」です。そこへの訪問もワクワクものでしたから、今回紹介した北海道の旅は日数こそ短いものの、私の中では最上位的な存在の旅でした。
そんな旅も今では大変貴重になってます。すんや様も「当時訪問が果たせなかった場所が近くにあったりすると、ムリヤリ都合をつけて訪問し当時の景色を想像してみたりもします」との事ですが、それは大変素晴らしい事ですし、更に「今」行った事が更に年月をかけると貴重な体験になるかも知れません。そのひとつひとつの体験を大切になさってください。
私の記事に共感くださいまして大変感謝しております。ありがとうございます。と言うのも、私はこの1983年という年がひとつの大きな鉄道の集大成的な年でもあると思います。当時は中学3年の為周囲は受験だのなんだの言ってました。もちろん私もそういう立場でしたが、その中でもこの北海道の旅は東北の旅より充実と言うか思い出が濃縮してます。
夏休みとかでは無い、通常の休み(と言うより変則の4連休)の中での旅によく親も軍資金を提供してくれたものだと思います。普通なら中学生がこの時期に北海道へ旅をする、しかも一人旅ですから普通に現場で公務員(警察官とか)に声を掛けられてもおかしくないシチュエーションですよね。でも私は当時、まだ見ぬ北の大地への想いと白糠線への想いが抑えきれずにいたのでしょう。しかも「83線区」のトップバッターですからね。
それから私は当時からですが、日本で一番好きな鉄道路線が「石勝線」です。しかも新夕張~新得の「新線区間」です。そこへの訪問もワクワクものでしたから、今回紹介した北海道の旅は日数こそ短いものの、私の中では最上位的な存在の旅でした。
そんな旅も今では大変貴重になってます。すんや様も「当時訪問が果たせなかった場所が近くにあったりすると、ムリヤリ都合をつけて訪問し当時の景色を想像してみたりもします」との事ですが、それは大変素晴らしい事ですし、更に「今」行った事が更に年月をかけると貴重な体験になるかも知れません。そのひとつひとつの体験を大切になさってください。
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ライラックという名に反応しました。(^^;)
さすが北海道はリラ(ライラック)が綺麗ですものね。
先日、国鉄時代からのブルートレイン、ラストランでしたね。
古き良き時代が終わったような淋しさを感じました。