上り「2038レ」発車!

「上り2038レ発車!」そんな車掌の声がこだまする貨物・客車の「混合列車」は車掌の合図とともに只管雨の鉄路を突き進む・・・私はそんな混合列車に一気に引き付けられてしまった。今でもハッキリと覚えている車掌の声。と言うより「声紋」までハッキリと記憶にある感がある。「2038レ」と言われても、相当のコアなファンで無い限り全く意味が分からないであろう。2038レ・・・1980年代の時刻表をお持ちの方は是非開いていただきたい。
当時の「国鉄監修・交通公社の時刻表」を開いていただくと貨物列車の時刻も掲載されていることに気付くはずだ。私の紹介している「2038レ」は鹿児島本線上り列車であった。貨物列車としては鹿児島発熊本行であるが、旅客列車としては川内発八代行の普通列車である。

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(画像はウィキぺディアより。「2038レ」ではないが、混合列車のイメージとして使用させていただいた。実際の「2038レ」は貨物編成の最先端に一両に旧型客車が連結されている姿であった。)

1983年3月31日、私は鹿児島交通制覇の後に鹿児島本線を北上。川内よりこの「2038レ」に乗った。もちろん選んで乗車したわけではなく、全くの偶然であった。その偶然が引き寄せた幸運とでも言おうか・・・これは本当に運命と思ってしまうくらいの出会いであった。私を待っていたのは長い編成の貨物列車の最先端、つまり機関車の後ろにポツンと旧客が連結されていた「普通列車」であった。
降りしきる雨の中、貨物列車の役割を担いながら普通列車としての使命も忘れない。貨物列車としては「運転停車」としての扱いで「普通列車」としては各駅に停車し乗客を降ろしていく、と言っても乗車している人は、乗車率にしてみたら一桁か二桁前半であろうが、私としてはこういう地味な列車がとても好きだ。特にレールファンが乗車しているわけでもなく、普通に日常の乗客が乗っているような・・・そんな列車が私は好きだ。

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(当時の思い出として「2038レ」に乗車する前に鳥栖で買った、なんと入場券!硬券が欲しかったのだが在庫が無かったのであろう。取り合えず間に合わせの措置と思われるが、今となってはかなりレアな物になってしまった。)

さて、そんな列車に揺られながら八代目指すにはわけがあった。そう、この旅の乗車券・・・「18」であるのだ。という理由から乗車できる列車が制限されてしまう。私がこの「2038レ」に揺られているのはもう夜の時間帯だ。当時鹿児島本線には「かいもん」が夜行列車として活躍していたが、それは急行列車であった。もちろん「別料金」が発生するので乗車するには勇気がいる。今回の旅の考え方としては、この夜となってしまった鹿児島本線の区間、行けるところまで普通列車行き、途中に「かいもん」を挟み都合の良い始発列車のある駅で降りるという行程を組んだ。そこで出会った「偶然」は30年以上経ってもしっかり記憶にある素敵な列車だ。
この「2038レ」は貨物列車としての使命か阿久根で14分、出水で25分、水俣で40分、と長時間の停車がある。変な話、袋から津奈木に乗車する乗客がいるとすると・・・普段は10分位の距離であるが、間に水俣を挟むことによって1時間もかかってしまうのだ!実際にそのような乗客がいるかどうかは別として、何とも異色な移動手段ではなかろうか?そんな貨物列車の最先端にたった一両の「普通列車」は各駅ごとに車掌の合図がこだまする。つまりこの客車は「車掌室」も兼ねているのだ!しかもその車掌は乗務員室にはおらず、客席をワンボックス占領し乗務をしていた。列車が発車する際に「上り2038レ発車」と窓を開けて機関車に合図を送る・・・素晴らしく素敵だ!と思うのはおそらく私くらいか?
八代に着いたのは深夜1時15分。私たちが下車して間もなく客車内が消灯された。たった一両の旧客は「回送」という名目で熊本に向かっていった。「私もそのまま熊本まで連れて行って欲しい・・・」との想いでホームから列車を見送った・・・

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(ダイナミック☆トナカイより提供の清水港線の列車は、混合列車の「代表」と言っても過言ではないであろう。ちなみに私もこの清水港線は同行しているが、こちらも貨物編成の最後尾に2両の客車が連結されていた。)

私も数々の混合列車に乗って来たがこれほど印象強い列車は無かった。もちろんこの列車について各メディアなどが取り上げた記憶が無い。それこそ当時の鉄道誌などは「824レ」などが話題になっていた時代だ。「824レ」は混合列車では無かったが、「824レ」と聞いてすぐにお分かりの方は私と同世代が先輩であろう。この列車は1980年代に「日本最長距離を走る普通列車」として有名であった。これは山陰本線で運転されていたものであるが、この「最長距離」をもってしても山陰本線を全区間運転されていたわけではない。そんな列車とはほど遠い私の「2038レ」は、失礼ながら「824レ」より輝いていた。

このブログをご覧になっている皆様も「思い入れのある列車」と言うのが必ずあるはずだ。私の場合、どうしてもこういうマイナーな列車になってしまうが人一倍思い入れが強い。かつて私が中学時代に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」にて鉄道誌を発行していたが、当時この「2038レ」の記事をその鉄道誌に載せてしまった。まぁ、私が編集長をしていたので「権力の乱用」ではないが・・・とは言えこのようなマイナーな列車の乗車記が果たして皆に受け入れられたかどうか・・・と今になって思うが、当時顧問であった教諭からは普通に「評価」されたのが実に良かった。普段はあまり褒めたりする印象が無かったが(と思っていたのは私だけかもしれないが)、普通に「これ、いいね」と言っていた。まぁ、以前にも触れた事であるが、その教諭には鉄道誌数冊を貸し出しているのだが30年以上経過した現在も返却が無いし連絡もない・・・と全く個人的な事で申し訳ないが、こんな思い出がこの列車を振り返ると思い出される。

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(画像はウィキぺディアよりの貨物列車。かつて混合列車と言えば先述の清水港線はもちろん、福知山支線<塚口~尼崎港>でも活躍していた。だが、私の紹介している「2038レ」は表に出てこない地味な存在であった。)

失礼ながら、このブログをご覧になっている皆様、「2038レ」と最初に言われて「?」であったと思う。私自身、この列車に乗る前は予備知識など全く無くノーマークであった。しかしこういった列車に偶然出会えたのは実に幸運であったとの思いは先述した通りだ。今となっては混合列車という列車自体が「伝説」となってしまった。もちろん体験したくても現在は叶わぬ夢かも知れない。しかしながら古き良き昭和の思い出としてこれからも私のブログで再び紹介する機会もある事であろう。その時はまたお付き合いいただければ幸いである。そしてこの車掌の言葉を再び記す事になろう。「上り2038レ発車!」



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続きを読むをクリックしていただくと、私が中学時代の学校でのクラブ活動「鉄道研究クラブ」の時に書いた「体験乗車記 2038レ に乗って」がご覧いただける。中学生の文章なのでそのあたりは「ご了承」いただきたいが、とりあえず原文のまま載せさせていただいた。ちなみにこの鉄道研究クラブで発行していた「えき」という鉄道誌では先述通り私は編集長であったので、編集長が編集した責任重大な記事であった!!とは言え、他の所属員の記事を前面に出し、私のこの記事は巻末に載せた。それくらい地味な列車であったがその思いは果てしない。(「いじらしい」の使い方を少々間違えている場面もあるが、なにせ「中学生」なもので・・・)
体験乗車記 2038レ に乗って

「国鉄監修・交通公社の時刻表」の229ページ(1983年4月号)をよく見ると「2038」が2つある。ひとつは川内発普通列車。もうひとつは鹿児島発急行貨物列車である。両方とも川内を21時13分に発車し、八代に1時5分に到着している。よく考えてみると、この列車は混合列車なのだ。前にも述べたが、混合列車はほんの数線にしかなく、年々減少している。

さて、私は3月31日、雨の降る川内駅に2184Mで川内に20時59分に着いた。駅は閑散として人影が少なく、雨の降る音だけが聞こえてきた。
目指す2038レは既に隣のホームにひっそり止まっていた。編成は6両であるが、貨物ばかりで客車が見当たらなかった。よく見ると、編成の一番先にぽつんと1両くっついていた。機関車ー客車ー貨物ー貨物・・・という編成なので客車の一番前に行けば機関車に触れるわけである。

21時13分、発車のベルが鳴り終わるとともにホームを去り、八代(熊本)方面に向かう。乗客は、勤め帰りの人、高校生、マニア(我々)など計15人程度。でもこれは多い方で普段は5~6人程度だという。
列車は各駅に停車した。「上り2038レ発車。」と車掌は各駅を発車するごとに言う。面白い事にこの車掌、車掌室(乗務員室)にいないで座席をワンボックス占領し、乗務の仕事をやっていた。つまりそこから窓を上げて「上り2038レ発車」と言っているわけである。そんな車掌を見て私はいじらしく思った。
暫くすると、車掌は乗務員室に入り「次は阿久根です」と車内放送をした。主要駅だけ放送を流すらしい。

21時53分阿久根着。5~6人ほど降りた。駅は既に静まり返っており、列車が着いた時だけ一時(いっとき)のにぎわいを見せていた。荷物車から荷物を降ろしたり乗せたりしている駅員さんたち、笑顔で仕事をしていたが、一日も終わりに近付いたせいか、その笑顔はかなり疲れていた。22時7分、14分停車した2038レは発車の合図で阿久根を発車した。

各駅止まるごとに乗客が降りて私たちだけとなった。私はワンボックス占領し、一日の疲れを癒すために寝たのである。目が覚めてみたら出水に停車していた。22時39分に着いたらしい。23時6分の発車だから発車までかなりの余裕があったためホームに降りてみた。雨は先ほどよりひどくなっていた。暫くしてまた車内に入り寝た。

出水を発車してから20分、23時26分水俣に着く。0時6分と40分も時間があったが私たちは眠かったので寝ていた。しかし2038レは主要駅で大休止している。もっとも貨物列車であるから仕方がないが、それにしても時間を稼ぎ過ぎである。阿久根14分、出水27分、そして水俣40分とそれぞれ時間を稼いでいる。だが、時刻表で他の貨物列車を見てみたら30分なんて当たり前だ、なんて列車もある。

さて水俣だが、全くと言っていいほど深い眠りについていた。こうなると「終列車」と言うより「夜行列車(この列車も夜行列車じゃないわけではないが)」に乗っているようだ。や、ここまで来ると夜行列車かも知れない。
0時6分に水俣を去った。ほとんど空気輸送(客車)の2038レは一時間後、ようやく八代に着いた。シーンとしたホームに降りた時、2038レ普通列車の旅は終わった。その後客車はどうなったかと言うと、10分停車後、回送という形で熊本に向かった。だからその列車に密かに乗っていれば熊本まで行かれるのだ。

最後に・・・だんだん合理化ダイヤで貨物列車や混合列車が減っている中、頑張って走っているこれらはいずれ無くなってしまうだろう。無くなる前に一度乗ってみてはどうでしょう。
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ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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