いつどこで、どういう状況においても、誰の挑戦でも受ける!(後編)

唐津線に訪問したのは1983年4月、それこそ「18」を握りしめての旅であった。鹿児島交通廃止の情報を受け、神奈川県は湘南地区からなんと18きっぷのみで九州に上陸してしまったのだ!今考えたらとんでもない事を考えたものだが当時私は中学生。時間はあるが金はない・・・との事情から当然の「選択肢」であった。

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(1983年訪問時の姪浜にて。この駅も高架化により大きく変貌。かつての筑肥線時代のイメージは全く感じない。そして何より、地下鉄と相互乗り入れが開始され福岡市中心部と直結されたことが大きい。)

その道中で私は唐津線と筑肥線を制覇する訳だが、筑肥線に関しては電化直後の訪問で、唐津周辺の鉄道景色は劇的な変化をもたらしていた。先述した東唐津の変遷と共に名実ともに「中心」となった唐津駅は高架化され堂々とした佇まいになった。それまでの唐津駅は唐津線の中間駅的な存在に過ぎず「代表駅」のイメージには程遠かった。現在の姿になったのは約30年前で、電化と同時に先述の「呼子線」の一部を筑肥線に組み込み福岡の中心部へのアクセスが飛躍的に向上。更に姪浜から地下鉄と相互乗り入れが開始され、以前とは全く違う形にパワーアップされた。

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(「日本三大松原」のひとつ、虹ノ松原の最寄駅として活躍する虹ノ松原駅。何ともロマンチックな駅名だ。画像はウィキペディアより。)

私が唐津駅に到着したのは唐津線であるから当然気動車である。途中の山本ではかつて「東側」の筑肥線も接続しており、さながら「ジャンクション」であった。更にここから「唐津線・岸嶽支線」が分岐しており、それこそ配線が複雑であった事であろう。岸嶽支線は1971年に無くなってしまったが、貨物支線的な役割をしていて後に旅客営業も始めた。いわゆる「炭鉱で栄えた」という経緯であるが、時代と共にその役目を終えた形になった。

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(筑肥線と唐津線のジャンクションであった山本駅。かつては岸嶽支線も分岐しておりまさに「ジャンクション」であった。現在は筑肥「西線」のみを分岐し唐津線の駅として活躍。画像はウィキペディアより。)

そんな山本駅では筑肥線の「西側」の路線が唐津線を南側でオーバークロスする形になっているのはかつての名残であるが、その「西側」に関してはローカル色豊かな路線である。時刻表の地図上では「幹線」で区分されているのが不思議なくらいであり、新しいレールファンにしてみたらマギー司郎張りの「マジック」ではなかろうか・・・
そしてこの「西側」については、私のブログと相互リンクさせていただいている「LM徒然草 ~駅のある風景~」の管理人様においては「メッカ」である。特に「西相知」においては特段のこだわりや思い入れがしっかりと表現されており、是非ご確認いただきたい思いである。1983年の訪問時には全くのノーマークであったが、現在になってこの筑肥線の「西側」が煌めいてきた。

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(「西側」に所属する西相知はかつて交換設備があった。現在は棒線化され寂しいが、ここは私のブログと相互リンクさせていただいてる「LM徒然草 ~駅のある風景~」の管理人でいらっしゃるLM様の「メッカ」でもある。画像はウィキペディアより。)

そして「東側」であるがなんといっても電化と同時に激変し、姪浜~博多間が廃止され同区間が地下鉄化された。私が訪問した時は真新しい2面4線のホームに地下鉄車両がお目見え。普通にローカル線のイメージしかなかった筑肥線がこれほどまでに激変したものかと目を疑ってしまった。時間の関係から旧・姪浜駅への訪問はできなかったが、全く似ても似つかなかったであろう。地下鉄車両は筑前前原まで乗り入れてくるので非常に便利になった印象だ。同じ路線でありながらこれほど明暗が分かれた実例も珍しいであろう。

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(1983年訪問時の西側の終点「伊万里」。現在は周知の通り「松浦線」は第三セクターとして第二の人生を歩んでいる。)


もちろんどちらが「明」でどちらが「暗」かはその人の捉え方次第であろう。以前に私が紹介した「塩尻」に若干プロジェクトが似ている感があるが、この筑肥線の変貌は「なるべくしてなった変化」であろう。確かに当時の国鉄事情からすれば「英断」であったかも知れないが、やはり鉄道が「山本」「東唐津」「唐津」と分散していた唐津市民にしてみれば、この英断によって唐津駅に統一され、数ある選択肢の中から「鉄道を利用する」という事が比重を大きく占める事になったであろう。一方の「西側」については、ますます「ローカル色」が強くなりさながら「マニア」には気になる存在になってしまった。現在の姿になりもう30年以上経過した。私の訪問時は中学生であったから自然と「世代」がばれてしまうが、当時のこの変貌ぶりを間近で見た事は非常に貴重である。が、しかし変貌前の姿を見れなかったのが残念でならない。その姿を実際に見ようものなら中学2年生以前にタイムスリップしなければならない。
その姿を確認できた方が非常に羨ましい。特にスイッチバック時代の「東唐津」は、小学生時代の私は非常に憧れたものだ。と言うより、こんな小学生は若干「特異」かも知れないが・・・


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たびたびにどうも

こんばんは。
私のブログの紹介をしていただき、ありがとうございます。

西相知駅は私の大切な駅ではありますが、今の変わり果てた姿では昔を偲ぶよすがもありません。
今では西相知駅よりも、「日本屈指のボロい駅」肥前長野駅の方が自分の心に占めるウェイトは大きくなっています。

筑肥線は、東と西でまさに別の路線ですからね。
唐津~姪浜は、福岡への通勤通学の重要な手段として大変に栄えていますが、唐津~伊万里の方は完全にローカル線ですからね。
昔、急行が設定されていたのがウソのような閑散ぶりです。
この長閑な沿線光景に加え、写真の伊万里駅をはじめとして多くの木造駅舎が残る素晴らしい路線でしたが・・・。今ではほとんど失われてしまいました。どこも魅力的だっただけに、残念でなりません。

LM様

ご多用の中、コメントありがとうございます。そしていつもお世話になっております。

<今では西相知駅よりも、「日本屈指のボロい駅」肥前長野駅の方が自分の心に占めるウェイトは大きくなっています。>
とは、なんともLM様らしい素晴らしい感性ですね!確かに日本屈指の「駅舎」が現存しておりますから、そういう意味では私もいずれじっくり訪問してみたいです。と言ってもその時までに駅舎があるかどうか・・・

私の初訪は電化直後(と言っても半年くらい経過してましたが)であったのでまさに筑肥線の変貌ぶりには驚きの連続でした。とはいうものの、それまでの筑肥線の姿は鉄道誌などで見ただけですが、やはり「東唐津」の印象がとても大きく、当時小学生であった私は、一度は急行「平戸」に乗ってみたいと思い描いたものでした。現在は、特に西側についてはそれこそ「ローカル」に変化して、良い意味での昔の良さが失われていくのが本当に残念ですね。

LM様、どうぞお体を大切になさって、これからも素敵な「鉄道」を紹介してください。
プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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