姿なき挑戦者⑪ 583系「ゆうづる」

1979年、私小学校5年生であった。前年に初めて寝台特急「富士」を体験し増々「鉄道」に拍車がかかった感があった。そして翌年、次の旅へのターゲットは「北」と決めてみた。が、単純に「北海道」を目指すと思うのだが、なぜだかわからないが私は「青森」を選択していたのだ。そして選んだ列車は583系「ゆうづる」であった。当時は客車と583系の2本立てで、たしか4~5往復くらいの定期列車があったはずだ。
ただ、あまりにも昔過ぎて写真という写真がほとんど残っておらず、ご覧の皆様には少々ご迷惑をおかけいたしますがご了承の程・・・

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(1979年乗車時のものだが・・・この写真をみて初めて知った。私の乗車した車輛は4号車だったのかと。)

さて、私は人生において第二弾である寝台特急の乗車であった。しかも初の583系。寝台列車と言うより寝台電車である。前年に「有明」で583系の座席バージョンは乗車しているが、寝台となると初である。
胸ワクワクの私は初となる上野から寝台列車乗車を体験。いつもなら日曜日によく列車を撮影にやってくる「メッカ」も夜に来ると全然違う景色になってしまう。しかも小学生。感受性が高い中での上野駅は、まるで映画の世界にでも迷い込んでしまったような錯覚に陥るほどであった。当時の上野駅では、旧型客車時代の急行「鳥海」やDCバージョンの「出羽」など、現在では考えられないような列車が上野駅で見られた。東京の都心で「旧型」や「キハ」が、しかも夜行で見られるとは小学生ながらに不思議な違和感を感じていた。特に「旧型客車」に関してはテレビでの「いなかっぺ大将」などで出てくるシーンと同じであるため、なんだか懐かしささえ覚えた。やはり東京駅とは違う、何か「庶民的」とでも言おうか、人間味あふれる「温かさ」みたいな雰囲気を上野駅でいつも感じていた。特にあの「13番線」は現在でもその面影を残す。

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(画像はウィキペディアより。恐らく近年に撮影されたもの<多分「きたぐに」と思われる>であろう583系の寝台風景。客車寝台と違い両側にベッドがあり進行方向に頭を向ける。私の経験上、中段が一番不利と思われる。)

そんな上野から乗車した「ゆうづる」が私を待っていた席は「中段」であった。当時小学生の華奢な私の体をもってしても若干の窮屈感を否定できなかったが、初の寝台電車に当然興奮していた。しかも今回は「北」。私にとって全くの異次元空間への旅となった。
さて、583系「中段」に身を預けた私は小窓から景色を眺めていた。と言うよりそれくらいしか他にする事が無い。だが中段での景色を眺める行為は583系の中で一番苦痛な行為であることに気付かされた。下段はご承知のように窓が大きい。上段に関しては、寝ながら小窓が見れる。つまり景色が見れるわけだ。問題の中段・・・大人の座高をもってすればすぐに頭が天井にあたってしまうであろう。子供の座高でさえギリギリである。そう、中段の小窓は座った状態でなければ小窓から景色を見ることが出来なかったのだ。と、やたら「小窓」「景色」に拘ってみたが、このカーテンで仕切られた空間は「寝る」か「景色を見る」しかやる事が無い。583系寝台車に乗るにはこの辺の事前準備や知識が若干必要とされる。そしてマニアにはお馴染み、あの「パン下」はA寝台を利用するより価値があるであろう。

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(583系の座席風景。上段にあるベッド収納スペースが特徴的。下段は座席を引出しベッドに変身する。特に下段は中段・上段に比べ格段に広い。もちろんその分料金は割高。画像はウィキペディアより。)


「ゆうづる」と言えば常磐線経由である。が、常磐線の駅にはほとんど停車しないのでなぜ経由するのかは若干不明となるが、それでもひとつでも多くの常磐線の駅に停車する事に価値があろう。
水戸を過ぎるとかなり深夜の時間帯に変化していった。駅と言う駅は照明がほとんど点いておらず、と言うか当然の事であるが人間の習性を考えると寝る時間帯であるし、乗車している列車も「寝台特急」である。寝るために乗る列車であるので嫌でも寝ざるを得ない(と言っても寝る、寝ないは個人の判断に委ねられるが・・・)。一応、初めて見る「北」の景色にいささか興奮していたが、気が付くと既に八戸付近であった。外はもう明るい。しかしながら前年に乗車した「富士」の様に機関車交換が無いので若干寂しさを否定できなかったが、やはり初583系は乗っていて楽しい。

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(何度も紹介している写真であるが・・・1979年に寝台車として初めて乗車した583系。現在も青森駅は当時のままほとんど変わっていない。とは言え、構内の側線の数は超激減した。)

終点青森に着いたのは朝6時台である。初めて見る青森駅は8月であったため「雪の中」では無かったが、「北へ帰る人の群れは誰も無口で」連絡船乗り場へ向かっていった。私たちはこの後津軽線に乗り三厩からタクシーで竜飛崎を目指す予定である。朝6時台に着いてこれから竜飛崎訪問とは・・・しかし当時は青函トンネル工事中でありまだ北海道とは陸続きではなかった。「本当にトンネルなんかできるのか・・・」「北海道に新幹線が走るのか・・・」本当に夢の世界であった。しかし現在、トンネルは既に現実のものになっており新幹線も函館まで到達する日も近い。1979年当時、北に向かう優等列車は全て青森止まりでありその先は進めなかった。

晴れ渡る竜飛崎から見る北の大地は果てしなく大きかった。海の向こうには夢がいっぱい詰め込まれていた。しかしトンネルが開通する頃には社会情勢もものすごい勢いで変化しており、トンネルそのものの価値が問われた事もあった。しかしのその夢は絶え間なく大きなものであったはずだ。そんな先人たちの夢を思うと胸が熱くなるような・・・そんな事を考えながら竜飛崎を後にする小学生ってやはり「特異」であり「異色」だったのであろうか・・・



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田子倉駅

ダイヤモンド☆トナカイさん、こんにちは。

この投稿と無関係のことを書きますが、田子倉駅は去年、廃駅になったようですね。

結構、秘境駅のなかでも好きだったので残念に思います。
モンド21(旅ch)で流された映像は大事に保管したいと思います。
YouTubeでも見れるけど。


押角駅も無くなるようで・・・。
牛山さんのhpで知りました。

でむろい・まぁーちん様

コメントありがとうございます。

田子倉駅や押角駅がなくなってしまうのは寂しいですね。どちらも下車はしませんでしたが勿論列車で訪問したことはありますよ。特に田子倉駅は近年の訪問なので廃止が信じられないくらいです。

牛山氏の秘境駅シリーズは私もほぼ全作品録画して所有してますが、実は2010年に芸備線を訪問した時に道後山駅に訪問中の牛山氏に遭遇しました!写真は後ろ姿しが収められませんでしたが一応ブログにアップしてます。

http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-262.html

後日、本人確認のメールをしたら本当に本人より返信が有り超ビックリしました!

今年始めには岩泉駅を訪問してます。全く関係ないですが、そのついでに盛岡にあるあの噂の接骨院にも訪問してますよ。

http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-352.html

かなりのプロレスファンで、彼は学生時代に柔道をやってましたが橋本真也とは同級生で仲良かったらしく、武藤敬司とは確か3年上の先輩だとか。橋本とは他界するまでずっと飲み友達だったと聞きました。
プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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