あぁ・・・西日本・・・④
2014-09-20
新見から芸備線で備後落合にやって来た。備後落合と言えばレールファンの間ではもうお馴染みであろう。山間の更に山深いジャンクションで「秘境駅」としても名高い。しかしながら接続駅でありながら秘境駅とは、何とも不思議な感がある。現在は「無人くん」となってしまったが、かつて駅員がいたころは「おでんそば」がホームで味わえたらしい。私の初訪した1982年3月は、駅員はいたが「おでんそば」の軒先に暖簾はかかっていなかった。

(備後庄原で小休止。備後落合~三次間への訪問は今回が初。備後庄原は備後西城と共にこの区間の中心的存在。だが近年では高速バスが完全に優位に立っている。)
さて、備後落合から三次へ向かうがこの区間は初となる。新見~備後落合よりも更に拍車がかかったように山深く、そして「CTC」による無人化によりいっそうの寂しさが増した感だ。この区間では備後庄原と備後西条が主要駅となるが、現在の利用者は二桁の前半だ。下手したら一桁の時もあるだろう。過疎化はもちろんだがこの辺りは完全に車社会だ。鉄道の存在は既に無いに等しいくらいに申し訳なさそうに山間を走る。乗客は乗り換え客含め顔ぶれが全く変わらないため完全に「18」を利用した「同業者」がほぼ97%位を占めているであろう。

(今回で2度目となる三次。前回は福塩線でやってきて広島方面へ向かった。今回はここで三江線に乗り換える。三江線の訪問は運転本数が制限されている事から綿密な事前計画が必要だ。)
塩町では福塩線と合流しやがて三次に到着する。久々に「文明」を見た感じがした。ここより三江線に乗り本日の宿となる江津を目指す予定だ。小一時間の待ち合わせがあったため付近のスーパーへ今夜の食糧を調達しに向かった。だが暑い・・・盆地特有の暑さが容赦なく襲う。スーパーのクーラーに救われた思いだ。
三次駅に戻り再び列車に乗る三江線の車両は当然一両。この三江線の乗車については以前にこのブログでも紹介しているのでそちらの方も是非「参考」にしていただきたい。
浜原では乗り換えが発生するが、浜原~口羽間は三江線の中でも一番新しい区間で1975年の開通である。それまでは「三江北線」「三江南線」とそれぞれ別の路線を名乗っていた。現在で言う「越美北線」「越美南線(現・長良川鉄道)」のイメージか。

(浜原は三江線の中でも運用の面では中心的存在。「運用の面」ではそうであるが利用者は僅少であるのは昔から変わらない。)
江の川に寄り添うように列車に揺られていくが、何せ三次を出たのが夕方5時頃だ。陽は時間がたつにつれどんどんと山陰に隠れてしまう。気が付いたら三江線特有の景色が全く見えなくなり、ハッキリ言って乗車の意味が無くなってしまった・・・選択する列車を間違えたか・・・とはいうものの、やはり三江線はいい!同業者の姿もほとんどなく、ほぼ車両を独占しての旅はなんとなく優雅。確かに江津までの道のりは長かったが、たっぷり4時間かかる「陰陽連絡」は、現代社会において全く時が止まったような空間であった。

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(備後庄原で小休止。備後落合~三次間への訪問は今回が初。備後庄原は備後西城と共にこの区間の中心的存在。だが近年では高速バスが完全に優位に立っている。)
さて、備後落合から三次へ向かうがこの区間は初となる。新見~備後落合よりも更に拍車がかかったように山深く、そして「CTC」による無人化によりいっそうの寂しさが増した感だ。この区間では備後庄原と備後西条が主要駅となるが、現在の利用者は二桁の前半だ。下手したら一桁の時もあるだろう。過疎化はもちろんだがこの辺りは完全に車社会だ。鉄道の存在は既に無いに等しいくらいに申し訳なさそうに山間を走る。乗客は乗り換え客含め顔ぶれが全く変わらないため完全に「18」を利用した「同業者」がほぼ97%位を占めているであろう。

(今回で2度目となる三次。前回は福塩線でやってきて広島方面へ向かった。今回はここで三江線に乗り換える。三江線の訪問は運転本数が制限されている事から綿密な事前計画が必要だ。)
塩町では福塩線と合流しやがて三次に到着する。久々に「文明」を見た感じがした。ここより三江線に乗り本日の宿となる江津を目指す予定だ。小一時間の待ち合わせがあったため付近のスーパーへ今夜の食糧を調達しに向かった。だが暑い・・・盆地特有の暑さが容赦なく襲う。スーパーのクーラーに救われた思いだ。
三次駅に戻り再び列車に乗る三江線の車両は当然一両。この三江線の乗車については以前にこのブログでも紹介しているのでそちらの方も是非「参考」にしていただきたい。
浜原では乗り換えが発生するが、浜原~口羽間は三江線の中でも一番新しい区間で1975年の開通である。それまでは「三江北線」「三江南線」とそれぞれ別の路線を名乗っていた。現在で言う「越美北線」「越美南線(現・長良川鉄道)」のイメージか。

(浜原は三江線の中でも運用の面では中心的存在。「運用の面」ではそうであるが利用者は僅少であるのは昔から変わらない。)
江の川に寄り添うように列車に揺られていくが、何せ三次を出たのが夕方5時頃だ。陽は時間がたつにつれどんどんと山陰に隠れてしまう。気が付いたら三江線特有の景色が全く見えなくなり、ハッキリ言って乗車の意味が無くなってしまった・・・選択する列車を間違えたか・・・とはいうものの、やはり三江線はいい!同業者の姿もほとんどなく、ほぼ車両を独占しての旅はなんとなく優雅。確かに江津までの道のりは長かったが、たっぷり4時間かかる「陰陽連絡」は、現代社会において全く時が止まったような空間であった。

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