熊に逢ったらどうするか⑤ 上越信号場
2014-07-11
「じょうえつ」ではなく「かみこし」と読むこの信号場は石北本線にあるのはレールファンの間では周知の事柄である。1975年までは旅客駅として活躍していたが、その後は信号場として現在に至っている。1975年といえば新幹線が博多まで到達した時期でもある。同じ年に信号場に格下げされた上越は、道内最高地点に存在するのもレールファンならお分かりであろう。「周囲の住民がゼロになった」ので旅客営業を廃止したと聞いたが、私がこの「熊シリーズ」の旅で訪問した2014年6月現在に自身が体験しその実態を肌で感じることになった。近年では上越信号場の上川側で自動車道と交差するので秘境度は薄れたが、それでも「秘境マニア」には絶好の条件であろう。
上越信号場は国道から脇道に逸れてしばらく進んだ場所にあるが、ハッキリ言って「出る」環境だ。かつては民家が付近にあったことなど信じられないくらいに、例えば夜一人でこの場所に訪問するという事は下手な心霊スポットに肝試しに行くよりも1万倍スリルがあることであろう。絶対に避けた方が良いとこの場で警告しておこう。私は昼間の訪問であったので、という私が警告しても説得薄いが、全く街灯が無い細い未舗装道路で伝っていく。山の中なので少々アップダウンはあるが、とてもかつて人が住んでいた形跡すら感じられない。そして驚いたのは道路と上越信号場の詰所(旅客扱い時代の駅舎)の間には沢(川)が流れており、その沢にかかるブリキのような橋を渡らなければならない事だ。それこそ「石橋を叩いて・・・」ではないが、まさに一歩一歩匍匐前進をしながら駅舎に向かう。歩み毎に橋が「ペコン、ペコン」と音を立てる・・・この上越信号場の訪問のポイントは、正直いつ崩壊してしまうかわからないような橋を渡る勇気があるかどうかだ。


国道から枝分かれする林道のような小道へ入っていくと上越信号場に繋がっている。ナビだと「上越信号場」と入力しても反応がないため事前に位置を確認しておかなければならないが、標識があるため非常にわかりやすい。




もしかしたら「東オサワ」よりも凄い環境だったかも知れない上越へのアプローチ。高速道路の橋桁が唯一の「文明」だ。

しばらく走ると「吊り橋」が現れてくる。そう、ここが上越信号場だ。この橋を渡らなければ詰所に行かれない。私は車を降り「熊装備」を全て身に付け全身全霊で橋を渡った。

一歩踏み込むことに「ペコン」と鳴り響く。初夏の暑さで橋の鉄板が膨張したのか、それとも老朽化していたのかは不明であるが何かと物騒・・・

そして橋を渡るとその全貌が明らかに。かつては旅客駅であった名残が今でも感じられるが、その「旅客」も付近には全く存在しなくなってしまった。






これが上越信号場だ!両端は石勝線張りにスノーシェルターでポイントが保護されている。中越方ではスノーシェルターの部分と高速道が交差する。


一通り確認をした後再びあの橋を渡り駅前に戻ってきた。これが国道から駅に通じる道である。下の写真が国道へとつながるのだが、上の写真は上越信号場より更に奥へと繋がっている。この先に何が待っているのであろうか・・・
もしかしたら私の訪問は季節外れだったのかも知れない。しかしこの上越信号場を取り巻く環境を肌で感じ、そして信号場となった「背景」を確認することができた。だがそれは「哀愁」などの表現では足りないくらいの「何か」があった。上越信号場の撮影を終え吊り橋を渡っている時になんだか妙な胸騒ぎがした。なんだろう・・・「こんな場所でも(という表現は失礼かも知れないが)人の暮らしがあったのか・・・」現在のように車が発達していなかった時代にどのような暮らしをしていたのか非常に気になった。後述する隣の中越信号場も近年まで旅客駅であった。私の中学時代は石北本線の上川~遠軽、特に白滝付近では旧型客車やDCの普通列車が1日に4~5本は設定されていたはずだ。現在では究極ダイヤであることは周知の通りであるが、その列車設定でも「過剰ダイヤ」と思えるくらいの沿線風景であった。それこそ区間を限定して「石勝線化」しても良いとさえ思ってしまった。特急列車しかやってこなくても問題ないであろう、そう思えてしまう上川~丸瀬布あたりの区間は実に心打たれる思いだ。
そういえば「究極ダイヤ」の現在でも確か定期客がしっかりいると聞いた。ひとりひとりのお客様をしっかりと大事にする・・・私のように東京近郊に住んでいるとついこう言った「心遣い」を忘れがちだ。「商売の基本」であろうと思うが、北海道のような場所ではこういう細かいひとつひとつが収入源になる。普通列車が設定されている意味がここにあるのは周知の事実であろう。
中越や上越などは現在も信号場として残っているが、例えば天幕は駅そのものがなくなってしまった。そう考えるとこの上越や奥白滝などの信号場も天幕のような運命をたどる可能性は、限りなく50%以上の「右肩上がり」になっているのかも知れない。

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上越信号場は国道から脇道に逸れてしばらく進んだ場所にあるが、ハッキリ言って「出る」環境だ。かつては民家が付近にあったことなど信じられないくらいに、例えば夜一人でこの場所に訪問するという事は下手な心霊スポットに肝試しに行くよりも1万倍スリルがあることであろう。絶対に避けた方が良いとこの場で警告しておこう。私は昼間の訪問であったので、という私が警告しても説得薄いが、全く街灯が無い細い未舗装道路で伝っていく。山の中なので少々アップダウンはあるが、とてもかつて人が住んでいた形跡すら感じられない。そして驚いたのは道路と上越信号場の詰所(旅客扱い時代の駅舎)の間には沢(川)が流れており、その沢にかかるブリキのような橋を渡らなければならない事だ。それこそ「石橋を叩いて・・・」ではないが、まさに一歩一歩匍匐前進をしながら駅舎に向かう。歩み毎に橋が「ペコン、ペコン」と音を立てる・・・この上越信号場の訪問のポイントは、正直いつ崩壊してしまうかわからないような橋を渡る勇気があるかどうかだ。


国道から枝分かれする林道のような小道へ入っていくと上越信号場に繋がっている。ナビだと「上越信号場」と入力しても反応がないため事前に位置を確認しておかなければならないが、標識があるため非常にわかりやすい。




もしかしたら「東オサワ」よりも凄い環境だったかも知れない上越へのアプローチ。高速道路の橋桁が唯一の「文明」だ。

しばらく走ると「吊り橋」が現れてくる。そう、ここが上越信号場だ。この橋を渡らなければ詰所に行かれない。私は車を降り「熊装備」を全て身に付け全身全霊で橋を渡った。

一歩踏み込むことに「ペコン」と鳴り響く。初夏の暑さで橋の鉄板が膨張したのか、それとも老朽化していたのかは不明であるが何かと物騒・・・

そして橋を渡るとその全貌が明らかに。かつては旅客駅であった名残が今でも感じられるが、その「旅客」も付近には全く存在しなくなってしまった。






これが上越信号場だ!両端は石勝線張りにスノーシェルターでポイントが保護されている。中越方ではスノーシェルターの部分と高速道が交差する。


一通り確認をした後再びあの橋を渡り駅前に戻ってきた。これが国道から駅に通じる道である。下の写真が国道へとつながるのだが、上の写真は上越信号場より更に奥へと繋がっている。この先に何が待っているのであろうか・・・
もしかしたら私の訪問は季節外れだったのかも知れない。しかしこの上越信号場を取り巻く環境を肌で感じ、そして信号場となった「背景」を確認することができた。だがそれは「哀愁」などの表現では足りないくらいの「何か」があった。上越信号場の撮影を終え吊り橋を渡っている時になんだか妙な胸騒ぎがした。なんだろう・・・「こんな場所でも(という表現は失礼かも知れないが)人の暮らしがあったのか・・・」現在のように車が発達していなかった時代にどのような暮らしをしていたのか非常に気になった。後述する隣の中越信号場も近年まで旅客駅であった。私の中学時代は石北本線の上川~遠軽、特に白滝付近では旧型客車やDCの普通列車が1日に4~5本は設定されていたはずだ。現在では究極ダイヤであることは周知の通りであるが、その列車設定でも「過剰ダイヤ」と思えるくらいの沿線風景であった。それこそ区間を限定して「石勝線化」しても良いとさえ思ってしまった。特急列車しかやってこなくても問題ないであろう、そう思えてしまう上川~丸瀬布あたりの区間は実に心打たれる思いだ。
そういえば「究極ダイヤ」の現在でも確か定期客がしっかりいると聞いた。ひとりひとりのお客様をしっかりと大事にする・・・私のように東京近郊に住んでいるとついこう言った「心遣い」を忘れがちだ。「商売の基本」であろうと思うが、北海道のような場所ではこういう細かいひとつひとつが収入源になる。普通列車が設定されている意味がここにあるのは周知の事実であろう。
中越や上越などは現在も信号場として残っているが、例えば天幕は駅そのものがなくなってしまった。そう考えるとこの上越や奥白滝などの信号場も天幕のような運命をたどる可能性は、限りなく50%以上の「右肩上がり」になっているのかも知れない。

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