熊に逢ったらどうするか⑧ 小利別
2014-07-19

(画像はウィキペディアよりの現役時代。当時とほとんど変わらない現在であったが、今後この状態が維持される保証はない。)
続いて「ふるさと銀河線」より小利別を紹介しよう。池北線時代と同じくして地味な中間駅であった小利別であるが、「ふるさと」に移管されてから駅舎が生まれ変わり地域のコミュニティーセンターが同居する形となった。しかし現在はそのコミュニティーセンターが「主役」となってしまったが、逆にそのお陰で立派に建て替えられた駅舎も現在まで残る形のなっている。待合室の中も入場できるし化粧室の水も流れるように維持されているが、いかんせん列車がやってこないのは厳しい現実だ。私は北見方面からやってきたが、訓子府から「銀河線」の通りに置戸へは向かわず小利別方面へショートカットする道がある。そちらで向かうと国道との接点で旧・小利別駅があり非常にわかりやすい。北見から足寄方面に向かうにはこちらの道を使うのが勿論便利であるが、それに象徴されるようにこの「ショートカット」の上を建設中の高速道路が頻繁に顔を出す。つまり高速もこちらのルートになるということだ。
とは言うものの、訪問時の小利別は、若干駅前付近には集落をなしているものの何となく人間の気配を感じなかった。勿論時間帯的に考えて労働を前提とした外出と思われるが、若干ながら廃屋もチラホラ見られた。とはいえこのショートカット道路のロケーションは抜群で、それこそ「大地と大空の中で」であろう。私たちが普段イメージする北海道の風景がそのまま凝縮された印象だ。しかし駅を実際に訪問してみると厳しい現実が待っていた。駅舎は立派に維持されているがホームは草が生い茂り駅名標も取り外され列車がやってくる気配は全くなかった。



旧・訓子府駅からショートカットの道に入る。すろとこんな景色が待っていた。牧場の奥に工事中の橋桁が見える。ふるさと銀河線高速化案を自動車道で受け継ぐ形となった。

そしてショートカットの道と国道の接点付近にこの小利別がある。





そしてこれが現在の駅舎の姿。現役時代とほとんど変わらず、今も「自治会館」のような形で人々の憩いの場となっている。







駅舎内は意外とスッキリしていた。WCも水が出るし現在もちゃんと施設として活躍しているようだ。

天井なんかはご覧の通り。デザインもなかなか凝っており、JR九州の車両デザインを数多く手がけた「あの人」のようなデザインかも知れないムードだ。




ホームに出てみた。ご覧の通り、見事な現実は初夏の勢いを感じた。




駅前一等地ではそれなりの集落を形成していたが、中にはもう役目を終えていた家屋も少なくなかった。
と、こんな感じで私の旅は進行していった。私の場合は「旅」であるが、そこに暮らす人々には「鉄道廃止」というドラマが存在していた。勿論今の時代に鉄道は「時代遅れ」かも知れない。鉄道という移動手段がなくても十分に暮らしが成り立っていると思う。一部には「鉄道を残すべきだ」という意見もあったであろう。しかしその意見を述べている人のほとんどはマイカーなどを所有し普段は鉄道を利用していない「交通強者」とでも言おうか、普段は鉄道とは全く無縁の人という話も聞いたことがある。こういう人たちが「廃止反対」を訴えて、果たして説得あるかどうかという事もある。
実際に私も「廃止」という事柄を身近に経験している。それは神奈川県は相模線の「寒川支線」だ。寒川~西寒川間1.5kmが1984年に廃止された。私は西寒川駅前に在住していたが、当時中学を卒業、高校へのステップアップの春休みであった。廃止後は神奈中バスが「代行」の役割を果たし、旧・西寒川駅前まで来る路線を新設。茅ケ崎方面へ行く場合の運転本数は国鉄時代の約6倍くらいに増えて非常に便利になった。現在もその系統は存在するが、更に寒川駅に向かう系統が追加された。私のような鉄道に拘る人間は別として、通常の交通機関利用者にとってみれば格段の進歩であろう。
一体「廃止」とはなんなのであろうか。鉄道地図から自身の身近にある駅や鉄道路線がなくなってしまうということは非常に寂しい。しかしかつてほどの「鉄道」という重要性は薄れ単なる交通機関に成り下がってしまった感がある現在において、私たちは一体何を鉄道に求めているのであろうか。「ふるさと銀河線」を求めハンドルを切りながら交差点を折れる度に「池北線」にそう問いかけられたような気がした。

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コメント
No title
kyo-to様
コメントありがとうございます。
なかなか素晴らしい感性をお持ちのkyo-to様のコメント、正直言ってコメント返しはいつもすんなりと行くのですが今回はしばらく考えてしまいました・・・
なるほど「龍の姿」ですか。素敵な(という言い方はおかしいかもしれませんが)表現ですね。
1980年代に数多くの、いわゆる「ローカル線」が廃止されましたが、この「83線区」を全て廃止したところで当時の国鉄の赤字減少が1割くらいに過ぎませんでした。では残りの9割はどうするの?という事になりますよね?
当時、あの伝説の宮脇氏は「それこそ東海道線を廃止してしまえば」と、皮肉めいたコメントをしているのは有名な話です。要するにローカル線であろうが東海道線であろうが、廃止したところで赤字は一向に解消されず、国鉄そのものの体質を変えない限りはダメであろうという事でした。国鉄は「龍」を「ドラゴン」に変身させる事ができなかったのですね。
現在は「車」が主役の時代。鉄道路線は「毛細血管が詰まって(消えて)」しまった状態で、もうそれこそ「脳梗塞」「心筋梗塞」レベルでしょう。更に来年には「新幹線」も延伸する事ですし、ますます「大動脈」が活躍する時代になりますね。「生物学的」には不健康かも知れません。廃止とはそういうものかも知れませんが、例えば可部線の一部廃止区間が復活するという話が出ています。これは過去に事例の無い事柄なので、もし実現したら今後の日本における鉄道の方向性が見えてくるような気がするかも知れませんよ。
明るい話題に期待して我々が「龍」を「ドラゴン」に変えて行くのもいいかもしれません。
なかなか素晴らしい感性をお持ちのkyo-to様のコメント、正直言ってコメント返しはいつもすんなりと行くのですが今回はしばらく考えてしまいました・・・
なるほど「龍の姿」ですか。素敵な(という言い方はおかしいかもしれませんが)表現ですね。
1980年代に数多くの、いわゆる「ローカル線」が廃止されましたが、この「83線区」を全て廃止したところで当時の国鉄の赤字減少が1割くらいに過ぎませんでした。では残りの9割はどうするの?という事になりますよね?
当時、あの伝説の宮脇氏は「それこそ東海道線を廃止してしまえば」と、皮肉めいたコメントをしているのは有名な話です。要するにローカル線であろうが東海道線であろうが、廃止したところで赤字は一向に解消されず、国鉄そのものの体質を変えない限りはダメであろうという事でした。国鉄は「龍」を「ドラゴン」に変身させる事ができなかったのですね。
現在は「車」が主役の時代。鉄道路線は「毛細血管が詰まって(消えて)」しまった状態で、もうそれこそ「脳梗塞」「心筋梗塞」レベルでしょう。更に来年には「新幹線」も延伸する事ですし、ますます「大動脈」が活躍する時代になりますね。「生物学的」には不健康かも知れません。廃止とはそういうものかも知れませんが、例えば可部線の一部廃止区間が復活するという話が出ています。これは過去に事例の無い事柄なので、もし実現したら今後の日本における鉄道の方向性が見えてくるような気がするかも知れませんよ。
明るい話題に期待して我々が「龍」を「ドラゴン」に変えて行くのもいいかもしれません。
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2007年からデンシャ旅を始めた僕には
乗ることの叶わなかった「ふるさと銀河線」の記事、興味深く拝見しました。
鉄路の「廃止」について。
全国津々浦々まで線路が延びていた全盛期の路線図を眺めていた時、ふと、龍の姿にも似た日本という生き物の血管のように見えました。
現在のそれは毛細血管が詰まって(消えて)るにも関わらず、「大動脈さえ残ってれば大丈夫」って楽観視してる状況にも思えますが、
生き物の姿としては限りなく不健康で、死に近づいてる状態だという気が…。
つまり、「廃止」とはそういうことだと僕は思うんです…。