熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~ ①新夕張
2014-07-21

おや?夕張線とは・・・と思われる方も多かろうが、私にとって石勝線・新夕張~夕張間のいわゆる「夕張支線」は、言わずと知れた「夕張線」である。若く新しいレールファンはこの「夕張線」という単語にはほとんど馴染みがないであろう。だが、団塊世代の方なら石炭を積んだ列車が右往左往していた時代が懐かしく感じられる事であろうと思う。私はちょうどこの「中間世代」のため物心着いた頃には既に石炭の時代は終焉を迎えていた。私が小学校に入学する年に追分からSLが撤退する時代であった。そして更に中学生になった時に石勝線が開通し「夕張線」という名称が無くなった時代でもあった。

(旧・紅葉山駅前から新夕張駅を見てみた感じ。地味に段数がある階段を登らなければ駅にたどり着けない。とは言うものの、なんとなくこの景色、かつて神奈川県は川崎にあった「向ヶ丘遊園」に似てはいないであろうか?)
石勝線が開通した時はものすごく斬新な出来事であったのでとても印象に残っており、それ以来私は自身が一番好む鉄道路線になった。が・・・元来の「夕張線」は石勝線の華やかさとは裏腹に「前近代的」のまま引き継がれた。かつてはこちらが「本線」であったはずだが・・・

(そして新夕張駅へ。もう移設開業してから30年以上が経過した。ところどころに損傷が目立ってきたが、私が訪問したのも実に31年ぶりだ。私自身も「損傷」が目立つようになってきたか・・・)
1983年、白糠線廃止情報を受け北海道に旅立った。この事は既に何度もこのブログで紹介しているが、この時にニューフェイスの「石勝線」を併せて散策。そして勿論、旧・夕張線にも訪問した。そして2014年6月、列車ではないが既にお伝えしている「熊シリーズ」の時に約31年振りに夕張線を訪問。逆に「外から見る」事ができて非常に収穫があった。そんな夕張線の「現在」を紹介してみようと思う。とは言うものの、前回の訪問から約31年という歳月が流れているという事は、これ非常に奥深くそして時代を感じてしまう「歴史」がひしひしと伝わってくる旅となった。



(そしてホームへ。秘境度は全く感じないが、実際問題「大自然」の中にある事には変わらない。)
という事で、今回は新夕張~夕張と楓の各駅を紹介してみよう。ちなみに私が初めて訪問した夕張駅は初代であったが今回は3代目である。この事ひとつとっても歴史を感じるとともに私自身の「世代」もバレてしまう事になろうが・・・
さて、最初に紹介する駅は新夕張である。周知の通り、かつては「紅葉山」と称し登川支線の分岐駅でもあった。しかしその「登川方面」が本線に変身するとは・・・私にとっては実に斬新な出来事であったが、現在は駅前に「道の駅」がある。勿論「夕張メロン」のアピールも最大で、石炭に次ぐ観光産業として地域全体で力を入れていることが伝わってくる。そして付近で採取された新鮮な野菜なども販売しており、さながら「地域密着」のカラーも醸し出す。私の訪問時は旅の最終日であったが、その最終日をいい事に妻はなんと「きゅうり」を購入していた!旅先で既に生活色を前面に打ち出す妻には完全にやられてしまったが、至って妻はマイペース。「5本で100円だった」と興奮を隠しきれない表情で自慢げにきゅうりが入った袋を私に披露していた。そしてそのきゅうりを自宅まで持参。空港の手荷物検査を通過し見事関東に上陸した。後日試食してみたが、マジで美味であった。そばでいう「コシ」とでも言おうか、私がいつも口にしているきゅうりとは全く違う食感・・・わざわざ空を越えて来た甲斐があったというものだ。



(そして再び「紅葉山」に戻り、現在の「紅葉山」へ。現在の紅葉山駅跡は「道の駅」となっており、スーパーマーケットのような商業施設も入居している。かなり生活感あふれる道の駅だ。当然「名産品」も。)
そんな事はどうでもいいとして、今述べた「道の駅」はかつての夕張線・紅葉山駅跡にある。その紅葉山駅跡はバスロータリーなどに変化してしまったが、その「紅葉山」の名残が伝わって来るかのように広く細長い土地がかつての「鉄道」を感じさせる。勿論旧ホームなどの遺構は既に跡形もないが、新夕張駅前には「紅葉山」の駅名標がありかつての勇姿を伝えてくれている。

(道の駅から続いている空間。ここもかつては紅葉山駅の構内であった。1983年に私が訪問したときはまだホームの残骸があったが、現在はごらんんの通り。)
そしてこの新夕張はいわゆる夕張方面への玄関口的な役割をしている。道路標識などを見ると「夕張紅葉山」という呼び方みたいであるが、付近に高速道路のインターも設置されたり、そしてご存知「夕張線」の分岐駅でもある。石勝線開通時に紅葉山から新夕張に改称されたが、おそらく将来的に新夕張~夕張を廃止して新夕張を夕張の「玄関口」な役割にしようと考えたのかも知れないが、改称当時はそこそこの乗客があったのでそれは考え難い。というより、特急を停車させるので夕張の「代わり」的な役割をさせるために改称させたというのが最も一般的で有力な考え方であろう。どちらにしてもこの新夕張という名前は国鉄が考えた名称であって、地元では先述の「紅葉山」または「夕張紅葉山」と呼ぶのが通称のようだ。その「夕張紅葉山」から私の夕張線の旅は始まる。

(紅葉山とは・・・なんともロマンチックな駅名だ。では季節以外の日はどうする?と考えてはいけない。とは言うものの、かつては石炭輸送の接続点として賑わっていたはずだ。)

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
夕張と言えば
すんや様
コメントありがとうございます。
向ヶ丘遊園ですが、たしか「がんばれレッドビッキーズ」という番組のオープニングでこの「花階段」が出てきた記憶があります。ってかなりマニアックでわからないと思いますが、たしか少年野球チームの物語で監督役が林寛子だったと思います。もう30年以上前の子供向け番組のため地味ですが、確か日曜の朝に放送していたはずです。私の場合は「ドリームランド」でしたが・・・
それはさておき、「シューパロ湖に架かる三弦橋に見に訪問した」とは、逆に今回の私の旅では清水沢から南大夕張駅跡までしか訪問できず時間切れとなってしまいました。その模様は後日にアップ予定ですが、やはり「石炭鉱業」は私たちの世代では特別に「哀愁」ですよね。1983年に夕張線を訪問した際には確か列車の接続がなかったのか普通にスルーしたのかは記憶にありませんが、この石炭鉱業には乗車できずに現在を迎えてしまいました。
後述しますが、やはり私にとってここは「石勝線」ではなく「夕張線」ですね。すんや様も同様と思われますが・・・
向ヶ丘遊園ですが、たしか「がんばれレッドビッキーズ」という番組のオープニングでこの「花階段」が出てきた記憶があります。ってかなりマニアックでわからないと思いますが、たしか少年野球チームの物語で監督役が林寛子だったと思います。もう30年以上前の子供向け番組のため地味ですが、確か日曜の朝に放送していたはずです。私の場合は「ドリームランド」でしたが・・・
それはさておき、「シューパロ湖に架かる三弦橋に見に訪問した」とは、逆に今回の私の旅では清水沢から南大夕張駅跡までしか訪問できず時間切れとなってしまいました。その模様は後日にアップ予定ですが、やはり「石炭鉱業」は私たちの世代では特別に「哀愁」ですよね。1983年に夕張線を訪問した際には確か列車の接続がなかったのか普通にスルーしたのかは記憶にありませんが、この石炭鉱業には乗車できずに現在を迎えてしまいました。
後述しますが、やはり私にとってここは「石勝線」ではなく「夕張線」ですね。すんや様も同様と思われますが・・・
こんにちは。
夕張線が石勝線に生まれ変わった際に、大きく変化した一帯ですね。
線路の高規格化や信号場設備の整備だけでなく、ここは駅の移設、線路の付け替えが行われたので、夕張線時代の面影は残っていないのでしょう。
石炭の輸送が減り、いずれ近い将来には運炭の必要がなくなることが分かったとき、この夕張線はどのような雰囲気だったのか、自分の目で見てみたかったものだと思います。一方で、帯広・根室方面への短絡路として活路を見出され、役割を全く変える工事が行われた結果、古き紅葉山駅は打ち捨てられました。
私がここを訪ねたときには、もう旧線の面影は全く残っていませんでした。何も見つけられないまま、夕張線時代の隆盛を想像したりしていました。
他の記事も楽しませて頂きます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
夕張線が石勝線に生まれ変わった際に、大きく変化した一帯ですね。
線路の高規格化や信号場設備の整備だけでなく、ここは駅の移設、線路の付け替えが行われたので、夕張線時代の面影は残っていないのでしょう。
石炭の輸送が減り、いずれ近い将来には運炭の必要がなくなることが分かったとき、この夕張線はどのような雰囲気だったのか、自分の目で見てみたかったものだと思います。一方で、帯広・根室方面への短絡路として活路を見出され、役割を全く変える工事が行われた結果、古き紅葉山駅は打ち捨てられました。
私がここを訪ねたときには、もう旧線の面影は全く残っていませんでした。何も見つけられないまま、夕張線時代の隆盛を想像したりしていました。
他の記事も楽しませて頂きます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
風旅記様
コメントありがとうございます。
過去の記事にさかのぼってご覧いただきありがたく思います。
私が新夕張に初訪したのは1983年10月で、この事はこのブログのどこかの記事でも触れております。白糠線制覇の目的の他に、憧れの夕張線、そして新線区間の石勝線を確認するのも隠れたテーマでした。私がこの時新夕張に訪問した時は、まだ紅葉山の残骸が駅前にありましたが、レールは剥がされホームだけになっていました。
その時から30年近く経過して今回の記事の紹介になったわけですが、もちろん当時の紅葉山駅跡は劇的変化をしているように感じましたが、私的には「あの空間」こそ完全に紅葉山の面影をはっきりと確認する事ができる空間でもありました。
「私がここを訪ねたときには、もう旧線の面影は全く残っていませんでした。何も見つけられないまま、夕張線時代の隆盛を想像したりしていました。 」とは2014年の私も同じ思いでしたが、逆に、私の感覚ですとバスロータリーや運送会社であろうと思われる敷地的な部分などはまさに紅葉山的雰囲気がとても伝わってきてなんだかワクワクした気持ちになったのを覚えています。
なんというか、その空間ひとつとっても歴史的な「魂」とでも言いましょうか、なんとなく霊的な何かが感じ取れるみたいな・・・夕張は奥が深いです。
過去の記事にさかのぼってご覧いただきありがたく思います。
私が新夕張に初訪したのは1983年10月で、この事はこのブログのどこかの記事でも触れております。白糠線制覇の目的の他に、憧れの夕張線、そして新線区間の石勝線を確認するのも隠れたテーマでした。私がこの時新夕張に訪問した時は、まだ紅葉山の残骸が駅前にありましたが、レールは剥がされホームだけになっていました。
その時から30年近く経過して今回の記事の紹介になったわけですが、もちろん当時の紅葉山駅跡は劇的変化をしているように感じましたが、私的には「あの空間」こそ完全に紅葉山の面影をはっきりと確認する事ができる空間でもありました。
「私がここを訪ねたときには、もう旧線の面影は全く残っていませんでした。何も見つけられないまま、夕張線時代の隆盛を想像したりしていました。 」とは2014年の私も同じ思いでしたが、逆に、私の感覚ですとバスロータリーや運送会社であろうと思われる敷地的な部分などはまさに紅葉山的雰囲気がとても伝わってきてなんだかワクワクした気持ちになったのを覚えています。
なんというか、その空間ひとつとっても歴史的な「魂」とでも言いましょうか、なんとなく霊的な何かが感じ取れるみたいな・・・夕張は奥が深いです。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/434-f60a5e45
「花の大階段」ですねぇ~。夏はプールに、冬はアイススケートにと今はなきモノレールに(たまに)乗って行ったものです。
なんせお金惜しかったため、遊園地までは歩きで行くことが多かったです。
私の北海道訪問時は旅の最終日に夕張線訪問を計画していましたが、「三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」のシューパロ湖に架かる三弦橋に見に訪問した時点で時間切れになり訪問は叶いませんでした。
夕張といえば「幸福の黄色いハンカチ」ですが、あの当時の町並みは過去のものなんでしょうかね。
番外編期待しています!
(道の駅の野菜って、安くてつい買いたくなってしまいますよね!)