熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~② 楓信号場

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(お馴染みの写真で申し訳ないが1983年訪問時のひとコマ。というより当時の楓駅の「資料」はこの一枚しか残っていない。)

ほんの10年くらい前までは旅客駅であったが(2014年現在)、現在は信号場として活躍している楓信号場は石勝線の中で最も特異の駅であった。勿論その輝きは今でも変わらないが、かつての夕張線時代は登川支線の中間駅に過ぎなかった。しかも登川支線時代はスイッチバック駅となっており当時から異色な存在であった。現在の楓は登川支線廃止の際に登川と旧・楓の中間くらいに、というよりほぼ旧・楓に近い位置に設置され、両者が統合された意味合いもあった。石勝線開通時の国鉄が予測した乗降客数は登川と旧・楓の乗降客数を合算したものであったが、その意図とは裏腹に年々利用者が減少。晩年には朝1本のみという、清水港線にも負けないくらいの列車設定となってしまった。それでも最後まで定期客がいたというのだから、それこそ楓の「底力」を見た印象であった。

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(さて、楓に到着したが駅前にはご覧の商店と郵便局が占冠寄りに見える。この道こそ旧・登川支線の一部だ!)

私の初訪は既にお伝えしているように1983年10月で、ちょうど白糠線廃止情報を受け旅立った時であった。その時の楓は既に夜7時頃を迎えようとしている時で、辺りは暗くなっていたためしっかりと散策できなかった。しかも確か5分くらいで乗ってきた列車が折り返すためホームにもろくに出られずにただ訪問しただけのような印象に過ぎなかった。それでも楓駅とともに時間を共有できたのはすごく楽しかったのを覚えている。

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(楓駅の特徴はなんと言っても独立した普通列車専用のホームであろう。晩年はこの独立ホームに朝1本のみの普通列車が発着していたとは。)

それからなんと31年という歳月が流れ再び楓駅と再会する事ができた。しかし、周知の通り楓駅を取り巻く環境は大きく変化し、現在は「信号場」として第二の人生を過ごす事となってしまった。だが、かつての姿が今もなお健在とあっては非常に懐かしく、そして嬉しい。「嬉しい」とはおかしな表現かも知れないが、まだまだ「旅客ホーム」が残っているので「その気になれば」再び旅客駅として活躍できる可能性は否定できないであろう。

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(そして本線上のホームへ行ってみる。独立ホームの位置から少し歩き一般道のような道へ行き少し登ると占冠方面の本線上のホームへの入り口と保線員の詰め所が登場する。もちろん入口は閉ざされていた。)

楓の特徴はなんといっても独立した普通列車専用のホームがあることだ。現在もそのホームは姿をとどめているが、駅舎は完全に取り壊されてしまい跡形もない。そして本線側にも旅客用のホームがある事は周知の通り。2~3両分であろうか、特急列車が停車するには足りないくらいの短いホームが相対式に並んでいる。だが面白いのはそのホーム間の行き来はなんと一般道を使うという荒技だ。それは、例えば本線側の下りホームまたは3番線のホームを一旦降りて土手状になっている一般道の細い砂利道を上がっていく。そして石勝線を跨ぐと左に折れる道があるのでそちらに向かうと上りホームに繋がる通路の入口が顔を出すという仕組みだ。現在その入口は固く閉ざされているのでホームに行くことができないが、例えホームに行けたとしても停車する列車がないため意味がない。と、こんな形の楓駅であるが、過去にはこの本線上の旅客ホームになんと臨時ながら列車が停車し旅客扱いしたとの情報もある。勿論最初から臨時列車のためにホームを作ったわけではないであろうが、私もこの状況をひと目見てみたかった。

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(そして詰所を過ぎ更に登るとホームへつながる通路が出現する。手前の不自然な空間の右手にはかつての駅舎があった場所だが、完全に跡形もなく消えていた。そして更に登る。)

こんなところにこの楓の魅力があるのであろうが、実際問題は本当に本線上のホームを使い普通列車の設定も考えていた事であろう。ホームの長さから考えて特急列車は停車させないとの思いが伝わってくるが、もしかしたら特急列車のみの設定も考えていたのであろう。いずれにしても楓から占冠方面へ向かう乗客などは年に1人か2人いればいい方であろうと予測し、更に特急列車のみにすると夕張方面の通学時間帯の列車設定が全く無いという意味もあり独立ホームが出現したのであろう。本線上ではなく、あえて「独立」させたのが面白い。

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すると石勝線を跨ぐ橋が出現。橋からはレール誌などでよく見かけるこんな風景が拝める。相対式状の本線ホーム。やはり特急が停車するには長さが足りないかも。)

現在、楓駅前には立派な国道があるが、それこそ旧・登川支線の一部である。駅から占冠方面を見ると登川郵便局と商店が一軒ある。新夕張方面には集合住宅が数棟あるので列車の利用が期待できようが、当然ながら「一家に一台」であろうマイカーが専らの交通手段であろう。そういえば先述した「商店」であるが、この商店は真鶴あたりでよく見かける「ドライブイン」のような物産店である(と言われても真鶴に馴染みの無い方には非常にわかりにくい例えであるのは申し訳ないが・・・)。こんな所で商売成り立つの?とお思いの方もおられるであろう。実は1994年頃に友人とツアーで北海道に旅に出たことがある。

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(そしてこれもお馴染みか・・・写真左側中央~下にかけてはかつて駅舎が存在した。)

男2人旅・・・なんとも色気が無い旅であるが、観光バスで移動の際になんとこの商店で「休憩」が入ったのだ!レールファン休業中であったが勿論そこがどこであるか事情は知っている。そう、これこそ貴重な「収入源」であるのだ。このツアー、私が参加した時はかなり参加者がおり、バス2台~3台でのコース巡りであった。その参加者ほとんどがこの「休憩所」に下車しお土産などを購入していくのだから・・・それは相当の売上となった事であろう。やはり旅行会社と提携してこそ!というものもあるが、あれから20年経過し世間の事情も変わってきた中、現在の状況はどうなのであろう。そういえば、旧・紅葉山駅跡には「道の駅」が誕生した。そちらの方に、いわゆる「お客様」がシフトしているようにも思えるのだが果たして・・・

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(そしてこれが新夕張方面のホームへ伝う通路。とんでもない事になっていたのでここで取材を断念。と言うより、もし草根をかき分けて辿り着いたとしても入り口は完全に閉鎖されていた。)

異色の楓駅をあえて「夕張線」と題しカテゴリーにしたのには私なりのこだわりがあった。私は今でもこの楓駅を「夕張線」と思っている。石勝線開通当時、もし楓から占冠へと向かうには一旦新夕張まで出て特急列車に乗り換えなければならなかった。勿論楓~新夕張間の料金は不要であったが、楓駅が信号場になるまでにそのようなお客様は一体累計で何人いたのであろうか?私が1993年に会社のスキーの自由行動でトマムに行った際、その帰りにトマムから乗った列車は満席で私はデッキに立っていた。すると占冠で小学生と思われる数名が母親に見送られながら乗車してきた!私は驚きを隠せずにいたが、この占冠という「陸の孤島」と言われた場所から一般に乗客があったのは嬉しかった。そして彼女たちは新夕張で下車していった。行き先は分からないが、おそらく夕張方面へ向かったのであろう。しかしまさかのサプライズは・・・?無いであろうが、もし「楓」に向ったとしたならばそれは「クライム」であろう・・・



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ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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