姿なき挑戦者⑫ 夜行普通列車・はやたま(後編)

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(非電化区間の「はやたま」はこのような機関車が牽引していた。PHOTO:1980年代国鉄撮影日記

3時間ほどの時間、亀山で何をしていたか記憶にないが、少なくとも街を散策したりグルメスポットなどを訪問した記憶は間違っても無い!と自慢する事でもないが・・・
さて、私の乗せた列車は定刻に亀山を出発した。途中、一身田や津付近までは学生が乗車していていささか賑やかであったが、という私も当時は学生であったが、見た感じ野球部と思われるガタイの良い高校生ばかり集団で座席を占拠。私は当時中学生であったため若干身の危険を感じたが・・・
津や松阪あたりでは当然乗客の入れ替わりが激しいが、並走する近鉄のそれには及ばないものであろう。さりげなく長閑な時間が旧型客車の車内に繰り広げられていた。

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(10系寝台を連結するのは新宮~天王寺間。この区間のみ愛称「はやたま」が付く。PHOTO:1980年代国鉄撮影日記

新宮までは尾鷲か熊野市くらいしか区間を代表する駅が無い印象であるが、逆に私の好きな「地味な駅」が豊富に配置されている雰囲気のためいずれピックアップして訪問してみたい。もし実現すると・・・32~33年ぶりの訪問になる!なんだか新鮮だ。
とは言え、新宮に着く頃には既に夜の時間帯。実は新宮~天王寺間のみが寝台車を連結するため、亀山~新宮間は愛称は無く、新宮~天王寺間のみ「はやたま」として変身するのだ。更にここから天王寺までは電化区間となるため機関車の交換も行われる。もっと言ってしまえば亀山~新宮間は単なる「普通列車」の役割をしているに過ぎない。とは言え、亀山~天王寺を約12時間もかけて走るのだから・・・考えてみれば常識はずれの移動手段であろう。「18きっぷ」のシーズン以外に始発から終点まで利用する人はどれくらい存在したのであろうか。

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PHOTO:1980年代国鉄撮影日記

それはともかく、新宮では連結作業のため少々停車時間があった。私はすかさず入場券を購入するため小走りで駅舎に向かう。もちろん連結作業の写真などを収めたはずであるが・・・現在は所有していないので皆様に公開できないのが申し訳なく思う。
新宮を出ると主要駅が一気に増える。紀伊勝浦、串本、白浜、紀伊田辺、御坊・・・だが、私の乗車した列車がこの区間を通過するのは深夜の時間帯になる。これらの主要駅のみに停車する快速列車のような形で進行していくが、私は当時の記憶が全く無い。つまり「熟睡」していたのであろう。若干和歌山で目が覚めているが確か3時台。必要な部分のみ明かりが点いていて他は真っ暗な駅構内に人影はなかった。

寝台車にはどんな時間が過ぎているのであろう・・・10系客車の車内が凄く気にはなっていたが、天王寺に到着したのが朝5時丁度。寝台車で過ごすには少し物足りない気がするかも。この後、私は大阪環状線で大阪に抜けた。が、内回りか外回りか、乗車した列車を覚えていない。そんな事どうでもいいのだが、それより天王寺に旧型客車が停車している・・・10系寝台車が停車している・・・こんなアンマッチな姿、現在では全くお目にかかれない。

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PHOTO:1980年代国鉄撮影日記

この「はやたま」であるが、天王寺発の列車は満員御礼の大盛況であったと聞く。事実、晩年は客車から電車に変わり天王寺から新宮までに区間が短縮されたが新宮発天王寺行の列車設定はなかった。つまり片道のみの夜行列車に変身したのだ。だが寝台車の連結は廃止され愛称もなくなってしまった。そこまでして残したのはやはり若干ながら需要があったのであろう。もちろん現在その姿は無いが、客車列車であった頃の遠い記憶が思い出される。そう、昨日の事のように。

もう30年以上前の話であるが、先述通り私の場合は「30年くらい前」か「現在」しか旅の記録がない。バブル期の記録がほとんど無く、こういった古い話が度々このブログに登場する。私と同世代くらいの方は私のブログを観て「懐かしい」と感じられるであろう。反対に若い世代、特に平成生まれの方などは全くと言っていいほど私と同じ経験が無いためむしろ古すぎてわからないかも知れない。しかし、そのわからないかも知れない部分をなんとなく感じ取っていただき、そして何かを掴み取っていただければ幸いである。
以前にも述べたが、私はひとつでも多くの経験をしたい。そして自身が晩年を迎えた特「あの時こんな旅をしたなぁ」と懐かしみ、振り返れるような旅をしたい・・・

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(深夜の和歌山に到着。私の乗車時は確か3時台であった。主要駅もこの時間帯は昼間の賑やかさは無い。PHOTO:1980年代国鉄撮影日記)

人間は、何か新しいことをしようとする時「次回からやろう」とか「来年からはじめよう」とかやたらと理由をつけて後回しにする場合が多い気がする。それはそれでいいのだが、後回しにするとやらない場合が多い。だが、もし実行した場合「なんでもっと早くやらなかったのか?」と自問自答する。そう「やりたいな」と思ったら「今でしょう!」であろう。「いつかやろう」では人間はやることは少ない。「いつか」ではなく「やるなら今!」だと思う。思ったときに実行しなければ後にできなくなってしまうかも知れない。一歩踏み出す勇気。バンジージャンプのように、飛び込む前は怖いけど、飛び込んでしまえば「気持ちいい!!」かも知れない。
私の過去に経験してきた多くの旅は、結果論であるが現在はほぼ不可能な経験を多くしてきた。だからこれからも「今」を大事にして、そして今しかできない旅をこれからも積極的にしていきたい。そしてその一部でも皆様に紹介できたら、これは素晴らしい事であろう。


今回の「はやたま」の記事を書くにあたって「はやたま」の写真が全くと言っていいほど紛失し手元に無いため「1980年代国鉄撮影日記」の管理人様よりご協力いただきました。この記事のすべての写真は「1980年代国鉄撮影日記」よりの転用です。この場を借りまして、ご協力御礼申し上げます。



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鉄道と合理化

こんばんは、

80年代生まれの私からすると、すでにJRが当然な世代で、
合理化が当然の時代でした。

いまでは亀山~天王寺、関西線を使えば3時間もあれば到着します。
それを、紀勢線経由で運行するってどこに需要があるんだよ?って思いました。

でもそういった無駄だと思える運行がったから、
乗りつぶしも容易でしたし、思い出にもなっていると思います。

合理化だけが正しいんじゃないって、深く思いました。

宿はなしさん

コメントありがとうございます。

私の乗車した「はやたま」ですが、今から32年前の話です。この32年前、というより1980年代の国鉄時代も盛んに「合理化」は言われてましたが、こういった夜行普通列車は更に昔からの名残であったのでしょう。かつては今のように全国の駅前などにビジネスホテルなどがそれほど無く、朝一番での仕事や行商などの人のために、言わば「ホテル替わり」的な存在であり、そういう人たちが多く利用していたと思われます。

現在は周知の通り、ほぼ主要都市には東横インなどのビジネスホテルが当たり前のようにある時代はこうした夜行列車はいらないのでしょうね。もちろん現在の交通の主役は「車」ですが。かつては和歌山県民・三重県民などが大阪に朝一で用事がある時には重宝した列車であろうと思われます。

考えてみたら、この「はやたま」を始発から終点まで乗車する乗客は我々のような「もの好き」以外はほぼ皆無だったろうと思われます。それこそ3時間で移動できる距離でもありますし、松坂や津あたりから近鉄特急で行けばもっと快適な旅が約束されましょう。
確かに「無駄」であったから現在は存在しない列車になってしまっているのですが、我々もの好きからすれば「大いなる無駄」かも知れませんね。
プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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