レールファン復活後、初めての単独遠征③ 土讃線編(前編)
2014-11-14
久々の高松であった。サンライズでのアプローチは実に新鮮。それもそのはず。以前にも述べているが、ここ高松、というより四国の訪問は1984年以来、実に23年振り(当時)であったからだ。しかも前回訪問時は瀬戸大橋など存在せず、横浜から船を使わずに、しかも列車を乗り換えずに寝台列車で高松に到着してしまうのが実に不思議な感覚だった。まるでMr.マリック張りのマジックにでも魅せられたような感じであった。

(以下、地上時代の高知駅を紹介しよう。まずはご存知「アンパンマン」。写真左側をご覧いただくとお分かり頂けると思うが、既に高架部分がほぼ完成している。訪問当時は全く予備知識などなかったが、本当に高架化直前に訪問したようだ。後年には完成後も訪問している。)
だが23年もの月日が流れると、高松駅の変貌ぶりも半端ではなかった。既に「1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅⑥ 」でも紹介したが、やはり「連絡船」がなくなった風景は一番インパクトがあった。そして、何といっても「電化」が高松の風景を変貌させた事であろう。かつては「非電化王国」と言われた四国にも、特に高松寄りに電車が出現し、高松駅独特の排気ガス臭くディーゼルエンジンがカラカラ音をさせ騒めく駅構内の印象が完全になくなった。若干高徳線の車両がその印象を継続しているが、かつてのそれほどでもないのでほとんど気にならない。実に静かな空気が流れていた。とは言え、私が高松に到着した時間帯はちょうど通勤時間帯。普通列車が到着すると一気にホームが黒山で埋め尽くされた。
そんな中、私は完全に観光気分で高松駅構内の飲食店でコーヒーブレイク。そして「みどり」でクーポンをフリーきっぷに変える。四国のJR全線乗り放題で特急も当日に座席に空席があれば指定席も乗れる優れものだ。

(そしてほぼ同じ角度からの「アンパンマン」がいないバージョン。新しい駅ができる場所はかつて多くの側線が張り巡らされていた場所だ。)
さて、私がサンライズから乗り換えこれから向かう先は高知である。私にとっての新鋭の2000系が使用されていた。なんたって23年振りのレールファン復活であったためこの2000系たる形式さえわからなかった。キハ185も使用されているが、それも私には馴染みが無い。私にとっての四国のイメージは完全にキハ80。高松駅に電車がいること自体が不思議でならない。そんな複雑な思いを秘めながら予讃線~土讃線へと進んでいく。坂出や宇多津などは完全に変わってしまったが、多度津は昔のままの風景。懐かしかった~。考えてみたら私がこの予讃線や土讃線はかつての訪問時は731Dの夜行列車での移動の時がほとんどであったので夜中のイメージが強く、それこそ土讃線に関しては景色などろくに見ていない。今回、朝から特急に乗り土讃線を行く風景は実に新鮮であった。もちろん山深い景色が連続するのは知識としてあったが、それを実感したのはほとんど初めての心境であった。特に新改や坪尻など、レールファンにとってはお馴染みの駅も、特急だといとも簡単に通過してしまうが、それでも「こんなふうになっているのか」と確認できる喜びが実に嬉しい。


(そしてこちらが改札風景。かつては2面3線で一番線は駅舎に接するSL時代に良く見られた形の駅であった。私が四国に初めて上陸した1982年もこの風景であった。)
「後免」を過ぎると高知に到着。もちろん23年振りであった。しかし私を待ち構えていたのは23年前と同じ姿をした高知駅のホーム!!懐かしさ満載であった。ここであらかじめピックアップしておいたスポットへ出向くのだが・・・それより、懐かしさ溢れる高知駅に若干の変化があった。それは、かつて側線が多く張り巡らされていた場所に新たに駅が造られている事だ。そう、高知駅の高架化工事が進めれれていたのだ。という事は、私の降りたこのホームを始め、駅舎や跨線橋などは全て見納めとなる。この先に出てくる松山などもいずれ高架化される事であろう。懐かしさと新しさが同居する今回の旅は、私を少年時代に戻らせてくれたと同時にレールファン再出発の人生において、私の背中をポンと押してくれた・・・そんな高知駅の風景であった。

(既にいつ開業してもおかしくなくらいの出来栄えであった。もちろん現在は地上時代のホームは無い。)

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(以下、地上時代の高知駅を紹介しよう。まずはご存知「アンパンマン」。写真左側をご覧いただくとお分かり頂けると思うが、既に高架部分がほぼ完成している。訪問当時は全く予備知識などなかったが、本当に高架化直前に訪問したようだ。後年には完成後も訪問している。)
だが23年もの月日が流れると、高松駅の変貌ぶりも半端ではなかった。既に「1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅⑥ 」でも紹介したが、やはり「連絡船」がなくなった風景は一番インパクトがあった。そして、何といっても「電化」が高松の風景を変貌させた事であろう。かつては「非電化王国」と言われた四国にも、特に高松寄りに電車が出現し、高松駅独特の排気ガス臭くディーゼルエンジンがカラカラ音をさせ騒めく駅構内の印象が完全になくなった。若干高徳線の車両がその印象を継続しているが、かつてのそれほどでもないのでほとんど気にならない。実に静かな空気が流れていた。とは言え、私が高松に到着した時間帯はちょうど通勤時間帯。普通列車が到着すると一気にホームが黒山で埋め尽くされた。
そんな中、私は完全に観光気分で高松駅構内の飲食店でコーヒーブレイク。そして「みどり」でクーポンをフリーきっぷに変える。四国のJR全線乗り放題で特急も当日に座席に空席があれば指定席も乗れる優れものだ。

(そしてほぼ同じ角度からの「アンパンマン」がいないバージョン。新しい駅ができる場所はかつて多くの側線が張り巡らされていた場所だ。)
さて、私がサンライズから乗り換えこれから向かう先は高知である。私にとっての新鋭の2000系が使用されていた。なんたって23年振りのレールファン復活であったためこの2000系たる形式さえわからなかった。キハ185も使用されているが、それも私には馴染みが無い。私にとっての四国のイメージは完全にキハ80。高松駅に電車がいること自体が不思議でならない。そんな複雑な思いを秘めながら予讃線~土讃線へと進んでいく。坂出や宇多津などは完全に変わってしまったが、多度津は昔のままの風景。懐かしかった~。考えてみたら私がこの予讃線や土讃線はかつての訪問時は731Dの夜行列車での移動の時がほとんどであったので夜中のイメージが強く、それこそ土讃線に関しては景色などろくに見ていない。今回、朝から特急に乗り土讃線を行く風景は実に新鮮であった。もちろん山深い景色が連続するのは知識としてあったが、それを実感したのはほとんど初めての心境であった。特に新改や坪尻など、レールファンにとってはお馴染みの駅も、特急だといとも簡単に通過してしまうが、それでも「こんなふうになっているのか」と確認できる喜びが実に嬉しい。


(そしてこちらが改札風景。かつては2面3線で一番線は駅舎に接するSL時代に良く見られた形の駅であった。私が四国に初めて上陸した1982年もこの風景であった。)
「後免」を過ぎると高知に到着。もちろん23年振りであった。しかし私を待ち構えていたのは23年前と同じ姿をした高知駅のホーム!!懐かしさ満載であった。ここであらかじめピックアップしておいたスポットへ出向くのだが・・・それより、懐かしさ溢れる高知駅に若干の変化があった。それは、かつて側線が多く張り巡らされていた場所に新たに駅が造られている事だ。そう、高知駅の高架化工事が進めれれていたのだ。という事は、私の降りたこのホームを始め、駅舎や跨線橋などは全て見納めとなる。この先に出てくる松山などもいずれ高架化される事であろう。懐かしさと新しさが同居する今回の旅は、私を少年時代に戻らせてくれたと同時にレールファン再出発の人生において、私の背中をポンと押してくれた・・・そんな高知駅の風景であった。

(既にいつ開業してもおかしくなくらいの出来栄えであった。もちろん現在は地上時代のホームは無い。)

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