レールファン復活後、初めての単独遠征⑦ マリンライナー~新幹線
2014-11-26
高松で宿泊した私は翌日、人並みに観光を楽しんだ。水族館や讃岐うどんなど香川県をそれなりに堪能し、夕方に帰郷する事になっていた。高松寄りマリンライナーに乗り岡山から新幹線に乗り換える。ここまでは一応順調な旅であったが・・・実は列車に乗車する前に台風情報が流れていたのだ。。関西~関東にかけては私の帰郷時間にモロ直撃になる予定。だが、そんな情報を受けたからには逆に「何としてでも帰郷してやる」という気持ちになり、私の闘士に火を点ける結果となってしまった・・・
まずはサンライズの運転状況を聞く・・・運休。新幹線は・・・動いている。この「動いている」のは確かだが問題は時刻。もちろんダイヤは乱れていると聞いた。先ほどの高松駅の情報と明らかに違っている。時間が経つにつれ状況が変化しているのだ。マリンライナーで瀬戸大橋を渡っている時からようやく自身の身の危険を感じ始めていた。

(とりあえずマリンライナーは時刻表通りの運行であった・・・が、新幹線に乗り換えるととんでもない事が待っていた。)
岡山駅で新幹線に乗り換える。新幹線ホームで列車案内を見ると、既に出発時間が過ぎている列車が表示されていた。列車によってマチマチだが、平均して遅れが20~30分。列車の出発順序も変更されていた。私の乗車する列車も当然ながら遅れていたので、予定の列車ではない列車で帰郷する事にした。もちろんその列車も出発時刻はとっくに過ぎている。そして当然ながら自由席へ。指定席券を持っているのに自身の乗車する列車より前に発車する列車の自由席に乗車するのって差額が返金されるのであろうか?もちろん「乗車変更」はできるはずであるが、今回は天候による列車の遅れが原因のためどう対応されるのか・・・「種村氏」にでもお伺い立ててみたいものだ。

(岡山駅にて。台風の影響によりダイヤが乱れる中、こんな列車も顔を見せた。ある意味話題を呼んだ車両であるが、周知の通り既に過去のものとなってしまった。)
それより・・・この帰りの新幹線が実にサバイバルの道中になってしまった。一応「東京行」の列車であるが、途中の運行状況で行き先が変わる・・・との案内があった。つまり乗った列車はどこ行きかわからないと言う事だ!空はだんだん日が暮れてきたが全く東方面の天気など想像もつかないくらい一滴の雨も見当たらない。しかし列車運行状況は乱れている・・・そんな中、車内放送が入る。「この列車は新大阪行きとなります」と。新大阪止まりか・・・どうしよう・・・大阪で宿泊するか先まで進むか。私の心は決まっていた。「行ける所まで行こう!」と。30分待った末に乗り換える列車は「のぞみ」であるが、アナウンスによると名古屋まで各駅に停車するらしい。列車の行き先も名古屋だが、とりあえず乗って先に進む。「運行状況により行き先や停車駅が変更される場合があります」と言う事であるが、進むにつれてだんだん窓を濡らす水滴の量が変化していった。いよいよ台風を実感するタイミングに来てしまった。だがとりあえず列車は動いている。最悪の場合を考えて名古屋までの新幹線の各停車駅にあるビジネスホテルに連絡を入れてみる。「満室です」「満室です」「満室です」の連続だ。あるビジネスホテルでは「今日はどこのホテルでも満室でしょう」と丁寧な口調で教えてくれた。このような天候はビジネスホテルは「書き入れ時」になる事をこの時に学んだが、最悪名古屋で「駅寝」か・・・私は良いが妻が気になるところだ。とりあえず「女性」だし・・・

(そしてこんな車両もいた。以前に私は博多から新横浜まで乗車したことがあるが、周知の通り、現在はJR東海には顔を出さない。しかも「こだま」での運用は少々勿体無い気もしなくもないが・・・)
暫くすると再びアナウンス。「この列車は東京行きに変更になります。東京まで各駅に止まります。」という事は各駅停車の「のぞみ」という事だ!これはいままで経験した事が無い事例であるが、基本的に「のぞみ」に乗車するのが今回の旅で初めての事象であった。私は「ひかり」「こだま」しかない時代以外は新幹線から遠ざかっていたのである意味新鮮。なんて言っている場合ではない状況であるが・・・
結局小田原に着いたのが日付が変わって12時半を過ぎていた。もう1時近い。当然、乗り換える小田急線は運転されてなく、ビジネスホテルも満室であろう。残された手段がただひとつ・・・タクシーだ。20~30分くらい待ったであろうか。

(西湘バイパスのブルーウェイブリッジ。晴れた昼間だと素晴らしいロケーションになるが天候次第では危険を伴う。画像はウィキペディアより。)
乗車したタクシーで小田原厚木道路を通り帰郷する。西湘バイパスは通行止めの表示であった。既に台風の真っ只中に我々は移動していることになる。途中、小田原厚木道路から西湘バイパスを見下ろせる場所があった。ものすごい勢いで波が道路を襲っていたのでこれは当然の処置であろう。だが、更に家に着いてから驚いた。何と私が乗っていたタクシーの時間帯とほぼ同じ時間帯に西湘バイパスの一部が陥没していた事をニュースで知ったのだ!改めて台風の凄さとタイミングの中の帰郷であったと思い知らされてしまった・・・絶句。
タクシー料金は1万5千円くらいであったが、その金額より命がある事の方が実にありがたかった。ある意味、この帰郷は命懸けの移動であった。下車した小田原近辺の宿泊施設は当然フルハウスであったろう。この自身の判断が正しいか間違っていたかは別として、旅をしていてこれほど命と向き合ったのは初めての経験であった。

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まずはサンライズの運転状況を聞く・・・運休。新幹線は・・・動いている。この「動いている」のは確かだが問題は時刻。もちろんダイヤは乱れていると聞いた。先ほどの高松駅の情報と明らかに違っている。時間が経つにつれ状況が変化しているのだ。マリンライナーで瀬戸大橋を渡っている時からようやく自身の身の危険を感じ始めていた。

(とりあえずマリンライナーは時刻表通りの運行であった・・・が、新幹線に乗り換えるととんでもない事が待っていた。)
岡山駅で新幹線に乗り換える。新幹線ホームで列車案内を見ると、既に出発時間が過ぎている列車が表示されていた。列車によってマチマチだが、平均して遅れが20~30分。列車の出発順序も変更されていた。私の乗車する列車も当然ながら遅れていたので、予定の列車ではない列車で帰郷する事にした。もちろんその列車も出発時刻はとっくに過ぎている。そして当然ながら自由席へ。指定席券を持っているのに自身の乗車する列車より前に発車する列車の自由席に乗車するのって差額が返金されるのであろうか?もちろん「乗車変更」はできるはずであるが、今回は天候による列車の遅れが原因のためどう対応されるのか・・・「種村氏」にでもお伺い立ててみたいものだ。

(岡山駅にて。台風の影響によりダイヤが乱れる中、こんな列車も顔を見せた。ある意味話題を呼んだ車両であるが、周知の通り既に過去のものとなってしまった。)
それより・・・この帰りの新幹線が実にサバイバルの道中になってしまった。一応「東京行」の列車であるが、途中の運行状況で行き先が変わる・・・との案内があった。つまり乗った列車はどこ行きかわからないと言う事だ!空はだんだん日が暮れてきたが全く東方面の天気など想像もつかないくらい一滴の雨も見当たらない。しかし列車運行状況は乱れている・・・そんな中、車内放送が入る。「この列車は新大阪行きとなります」と。新大阪止まりか・・・どうしよう・・・大阪で宿泊するか先まで進むか。私の心は決まっていた。「行ける所まで行こう!」と。30分待った末に乗り換える列車は「のぞみ」であるが、アナウンスによると名古屋まで各駅に停車するらしい。列車の行き先も名古屋だが、とりあえず乗って先に進む。「運行状況により行き先や停車駅が変更される場合があります」と言う事であるが、進むにつれてだんだん窓を濡らす水滴の量が変化していった。いよいよ台風を実感するタイミングに来てしまった。だがとりあえず列車は動いている。最悪の場合を考えて名古屋までの新幹線の各停車駅にあるビジネスホテルに連絡を入れてみる。「満室です」「満室です」「満室です」の連続だ。あるビジネスホテルでは「今日はどこのホテルでも満室でしょう」と丁寧な口調で教えてくれた。このような天候はビジネスホテルは「書き入れ時」になる事をこの時に学んだが、最悪名古屋で「駅寝」か・・・私は良いが妻が気になるところだ。とりあえず「女性」だし・・・

(そしてこんな車両もいた。以前に私は博多から新横浜まで乗車したことがあるが、周知の通り、現在はJR東海には顔を出さない。しかも「こだま」での運用は少々勿体無い気もしなくもないが・・・)
暫くすると再びアナウンス。「この列車は東京行きに変更になります。東京まで各駅に止まります。」という事は各駅停車の「のぞみ」という事だ!これはいままで経験した事が無い事例であるが、基本的に「のぞみ」に乗車するのが今回の旅で初めての事象であった。私は「ひかり」「こだま」しかない時代以外は新幹線から遠ざかっていたのである意味新鮮。なんて言っている場合ではない状況であるが・・・
結局小田原に着いたのが日付が変わって12時半を過ぎていた。もう1時近い。当然、乗り換える小田急線は運転されてなく、ビジネスホテルも満室であろう。残された手段がただひとつ・・・タクシーだ。20~30分くらい待ったであろうか。

(西湘バイパスのブルーウェイブリッジ。晴れた昼間だと素晴らしいロケーションになるが天候次第では危険を伴う。画像はウィキペディアより。)
乗車したタクシーで小田原厚木道路を通り帰郷する。西湘バイパスは通行止めの表示であった。既に台風の真っ只中に我々は移動していることになる。途中、小田原厚木道路から西湘バイパスを見下ろせる場所があった。ものすごい勢いで波が道路を襲っていたのでこれは当然の処置であろう。だが、更に家に着いてから驚いた。何と私が乗っていたタクシーの時間帯とほぼ同じ時間帯に西湘バイパスの一部が陥没していた事をニュースで知ったのだ!改めて台風の凄さとタイミングの中の帰郷であったと思い知らされてしまった・・・絶句。
タクシー料金は1万5千円くらいであったが、その金額より命がある事の方が実にありがたかった。ある意味、この帰郷は命懸けの移動であった。下車した小田原近辺の宿泊施設は当然フルハウスであったろう。この自身の判断が正しいか間違っていたかは別として、旅をしていてこれほど命と向き合ったのは初めての経験であった。

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コメント
No title
宿はなしさん
コメントありがとうございます。
私がまだ学生時代の1980年代の旅では運休などのトラブルは経験がなく、むしろ復帰してからの方がかなりトラブルを経験するようになりました。
例えばこのブログでも紹介してますが、夜行高速バスで初日にタイヤのパンクで1時間40分の遅れをだしたり
(http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-410.html)
西日本全線制覇の旅の出発3日ぐらい前に美祢線が災害で不通との情報が入ってきたり、サンライズで姫路に到着したら姫新線が災害で不通という事を知らされたり、「いさぶろう・しんぺい」を目指し人吉~吉松間に向かう途中に1回目は霧島温泉で、2回目は坂本で、それぞれ大雨のためずっと列車が立ち往生したり・・・
という感じに事前情報をしっかり仕入れておけば、という自身のミスも含め結構トラブルを経験してます。しかし、逆に「だからこそ」そのトラブルを「楽しむ」の方向へ持っていくとまた違った旅ができると思いますし、そしてそれこそ印象深い旅となる事でしょう。
しかしながら「5時間缶詰」のような経験はまだしてません。そういう意味では私はラッキーな方だと思いますが、今回紹介している旅ではなぜかトラブルの中でも気持ちに余裕がありました。しかしながら台風直撃の中、よく新幹線も運転していたとつくづく思います。そして各駅停車の「のぞみ」に関してもなかなかできない経験でしょう。
お互いに「いい思い出」として、こうしてブログで語れる事が一番ラッキーなのかも知れませんね。
私がまだ学生時代の1980年代の旅では運休などのトラブルは経験がなく、むしろ復帰してからの方がかなりトラブルを経験するようになりました。
例えばこのブログでも紹介してますが、夜行高速バスで初日にタイヤのパンクで1時間40分の遅れをだしたり
(http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-410.html)
西日本全線制覇の旅の出発3日ぐらい前に美祢線が災害で不通との情報が入ってきたり、サンライズで姫路に到着したら姫新線が災害で不通という事を知らされたり、「いさぶろう・しんぺい」を目指し人吉~吉松間に向かう途中に1回目は霧島温泉で、2回目は坂本で、それぞれ大雨のためずっと列車が立ち往生したり・・・
という感じに事前情報をしっかり仕入れておけば、という自身のミスも含め結構トラブルを経験してます。しかし、逆に「だからこそ」そのトラブルを「楽しむ」の方向へ持っていくとまた違った旅ができると思いますし、そしてそれこそ印象深い旅となる事でしょう。
しかしながら「5時間缶詰」のような経験はまだしてません。そういう意味では私はラッキーな方だと思いますが、今回紹介している旅ではなぜかトラブルの中でも気持ちに余裕がありました。しかしながら台風直撃の中、よく新幹線も運転していたとつくづく思います。そして各駅停車の「のぞみ」に関してもなかなかできない経験でしょう。
お互いに「いい思い出」として、こうしてブログで語れる事が一番ラッキーなのかも知れませんね。
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レールファンに復帰した最初の単独遠征が台風とは、なかなか大変でしたね。
僕も、旅を始めて、奇跡的に運休など、10年ぐらい体験したことがなかったんですが、
本当に、ここ5年ぐらいですか、運休に遭遇してルートを変えたりしたことがあります。
もっとも、すごかったのは江差線に5時間もカンヅメにされたことですかね。
ある意味、いい思い出ですけど、できたら勘弁してほしいですね。