各駅停車で宗谷本線を旅してみた!②
2014-12-13
名寄を出た列車は早速北海道の大自然をじっくり私に見せてくれた。とりあえず今回の旅は鹿や熊などの被害はなかったが、いつ出てもおかしくない風景が延々と続く。天塩川に寄り添うように、季節によっては車窓をバラエティーにさせてくれるのは周知の通りであるが、どちらかというと私は駅設備の方が気になる存在だが・・・
(名寄駅に到着。稚内行きに乗り換えるが、その時間3分。しかも跨線橋を使わせるとは!ダッシュしたのは言うまでもない。)
最初にたどり着いたのは日進である。なんというか、宗谷本線の、いや北海道の哀愁漂う駅の基本形のような駅だ。絵に書いたような日進。決して「指扇の隣」では無く、純粋に北海道の匂いがした(当然であろうが)。続いて北星。レールファンお馴染みのあの駅舎?というか待合室がデーンと出現。相変わらず味がある建物は、いつしか下車してみたい衝動を醸し出す。よくこの辺りの駅が「秘境」として紹介されるが、私が思うにそのような秘境度はあまり感じられず、むしろ付近に民家、というより酪農業の施設がそれなりに存在した。これが駅の存在する理由であろう。
(宗谷本線らしい駅舎、というか待合室が現れる。まずは日進。)
そして更に天塩川が諄いくらいにくっついてくる景色の中、常に進行方向左側に集中して現れる。智恵文では貨車駅舎が登場する。そして隣の智北や南美深は典型的な仮乗降場の姿をしていて「らしさ」を醸し出していた。やはりこの辺はレンタカーで「熊シリーズ第二弾」でもやらないといけない雰囲気になってきた。いずれタイミングができたら是非実行してみようと思う。
(そして北星。もうこの駅はお馴染みであろうが、私の訪問は11月。なのにもう「北海道らしさ」が顔をのぞかせていた。)
さて、美深に到着すると私はある行動にでた。それはかつての「美幸線」の確認作業だ。とは言え2008年には「スーパー宗谷」で下車はしなかったが初訪したためその作業は若干ながらした。しかし僅かな停車時間と美幸線とは逆の席に座っていたためその作業はできずにいた。帰りのサロベツでも同じであったが、今回は普通列車。そのため若干余裕があった。しかしながらもう既に確認作業をするまでもなく面影すら感じられなかった・・・中学時代は何度も訪問計画を立てたが「計画」で終わってしまい現在に至る、そんな美幸線は是非現役時代に体験してみたかったものだ。
(智恵文では下車客の姿が!つまりこれが駅の存在理由になるのだが・・・よくぞお元気で!このあとこの乗客は駅舎横に停めてあった自転車で駅を離れていった。)
しかしながら「日本一」に輝いたのは、理由はどうあれある意味素晴らしい。そういえば九州の添田線なども「日本一」になった。赤字赤字と言ってはいたが、つまり「赤字率」であって「赤字額」ではない。美幸線の赤字額は、当時の国鉄全体で考えた場合、それほど大きな「額」ではなかったと思う。確かに赤字ではあったが、東海道線のそれに比べたら天と地ほどの差があったろう。
(美深では美幸線の存在が私にとっては実に大きかった。しかしながら訪問できずに現在を迎えてしまったのが残念でならないが、現在は旧・仁宇布駅でその勇姿を確認できる。)
と、若干昔話をしてしまったが、逆にいえばそんな宗谷本線ひとつ取っても北海道の鉄路には色々なかつての記憶がいたるところにたくさん凝縮されいるので訪問していても実に明るく・楽しく・激しい!って、どこかのプロレス団体のキャッチフレーズになってしまったが・・・
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最初にたどり着いたのは日進である。なんというか、宗谷本線の、いや北海道の哀愁漂う駅の基本形のような駅だ。絵に書いたような日進。決して「指扇の隣」では無く、純粋に北海道の匂いがした(当然であろうが)。続いて北星。レールファンお馴染みのあの駅舎?というか待合室がデーンと出現。相変わらず味がある建物は、いつしか下車してみたい衝動を醸し出す。よくこの辺りの駅が「秘境」として紹介されるが、私が思うにそのような秘境度はあまり感じられず、むしろ付近に民家、というより酪農業の施設がそれなりに存在した。これが駅の存在する理由であろう。
(宗谷本線らしい駅舎、というか待合室が現れる。まずは日進。)
そして更に天塩川が諄いくらいにくっついてくる景色の中、常に進行方向左側に集中して現れる。智恵文では貨車駅舎が登場する。そして隣の智北や南美深は典型的な仮乗降場の姿をしていて「らしさ」を醸し出していた。やはりこの辺はレンタカーで「熊シリーズ第二弾」でもやらないといけない雰囲気になってきた。いずれタイミングができたら是非実行してみようと思う。
(そして北星。もうこの駅はお馴染みであろうが、私の訪問は11月。なのにもう「北海道らしさ」が顔をのぞかせていた。)
さて、美深に到着すると私はある行動にでた。それはかつての「美幸線」の確認作業だ。とは言え2008年には「スーパー宗谷」で下車はしなかったが初訪したためその作業は若干ながらした。しかし僅かな停車時間と美幸線とは逆の席に座っていたためその作業はできずにいた。帰りのサロベツでも同じであったが、今回は普通列車。そのため若干余裕があった。しかしながらもう既に確認作業をするまでもなく面影すら感じられなかった・・・中学時代は何度も訪問計画を立てたが「計画」で終わってしまい現在に至る、そんな美幸線は是非現役時代に体験してみたかったものだ。
(智恵文では下車客の姿が!つまりこれが駅の存在理由になるのだが・・・よくぞお元気で!このあとこの乗客は駅舎横に停めてあった自転車で駅を離れていった。)
しかしながら「日本一」に輝いたのは、理由はどうあれある意味素晴らしい。そういえば九州の添田線なども「日本一」になった。赤字赤字と言ってはいたが、つまり「赤字率」であって「赤字額」ではない。美幸線の赤字額は、当時の国鉄全体で考えた場合、それほど大きな「額」ではなかったと思う。確かに赤字ではあったが、東海道線のそれに比べたら天と地ほどの差があったろう。
(美深では美幸線の存在が私にとっては実に大きかった。しかしながら訪問できずに現在を迎えてしまったのが残念でならないが、現在は旧・仁宇布駅でその勇姿を確認できる。)
と、若干昔話をしてしまったが、逆にいえばそんな宗谷本線ひとつ取っても北海道の鉄路には色々なかつての記憶がいたるところにたくさん凝縮されいるので訪問していても実に明るく・楽しく・激しい!って、どこかのプロレス団体のキャッチフレーズになってしまったが・・・
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