1983年10月・「1536列車」で行く東北本線の旅(前編)
2014-12-28
今年も後わずか・・・私は仕事上、この時期は一年で一番の書き入れ時であるが、皆様はどうお過ごしでしょうか。今年最後の記事は、1980年代に私が旅をしていた時に記憶に残る「旧型客車」による列車の旅を紹介しよう。

(画像はウィキペディアより。このような列車が地方では主役の時代があった。私の小学生低学年時代頃までは急行列車としても上野駅とかでよく見かけたが、1980年代は普通列車としての活躍がほぼ全てであった。)
若干以前にも触れたが、私は1983年10月に北海道に初上陸した。テーマは「ニューフェイス(当時)」の石勝線と、廃止が決定していた白糠線制覇であった。そしてそのテーマを消化したあとの帰路で盛岡発仙台行の列車番号「1536」に乗車した。理由は単純で、青函連絡船(当時)の夜行便で青森着4時30分で東北本線の列車に乗り換える列車は嫌でも4時53分発「はつかり2号」しかなかった。当時、私の乗車券は「北海道ワイド周遊券」のためフリー区間以外は特急列車を利用すると別料金が発生する。中学生であった私はその「別料金」にやたらデリケートで、少しでも経費のかからない方法を導き出そうとしたがとても無理難題であった。東北新幹線開業からわずか1年くらいしか経っていなかったためまだまだ在来線には急行列車が健在であったが、夜行連絡船との接続列車は皆無であった。そのため盛岡までを「はつかり」で移動し、仙台までを普通列車で東京へアプローチをする・・・意外に選択肢が見つからなかった。

(同じく画像はウィキペディアより。こんな塗装もあり、上記の写真と2本立てであった。現在も大井川鉄道などでその勇姿を確認する事ができる。)
そんなわけで乗車したのが盛岡発の普通列車1536であった。私の世代か先輩の方々なら1980年代当時の普通列車事情をご存知であろうと思われる。というのも、全国各地ではあちらこちらでDLやELが旧型客車を牽引する普通列車の姿を見られた。東北本線でも旧客による普通列車の運転は珍しくなく、出発時にはあの独特の「ガタガタガタッ」というリズムからの発車が印象的であった。そう、現在のように電車や気動車が主流の時代には無い、あの独特な出発時のリズム・・・先頭の機関車が動き出すと先頭から段々と引っ張られ動いていく・・・SLに牽引される場合などでも味わえるあの時間差的力学とでも言おうか、1車両ごと順番に動き出す間は首都圏では味わえない「異空間」でもあった。

(更に同じく画像はウィキペディアより。車内はこんな感じで私にしてみれば懐かしい。特に独特のニス的な匂いがたまらなく素敵であった。)
583系の「はつかり」で盛岡に着いた私は約7分の乗換で1536列車に乗車した。朝7時22分発の普通列車は、都会の「通勤・通学」からかけ離れた長閑な風景がそこにはあった。というより「通勤」の乗客はほとんど見かけず、地方のローカル線に見る「通学」が主体となる典型的な景色だ。しかも世間的には平日だし通常の風景。逆に私のような者が平日の朝に大きなバッグを抱え普段着で列車の乗っていたら、普通に職務質問であろう。だが、この時私は「家出」ではなく「帰郷」なのでなんとか言い訳がつく、というわけでもないのだが・・・

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(画像はウィキペディアより。このような列車が地方では主役の時代があった。私の小学生低学年時代頃までは急行列車としても上野駅とかでよく見かけたが、1980年代は普通列車としての活躍がほぼ全てであった。)
若干以前にも触れたが、私は1983年10月に北海道に初上陸した。テーマは「ニューフェイス(当時)」の石勝線と、廃止が決定していた白糠線制覇であった。そしてそのテーマを消化したあとの帰路で盛岡発仙台行の列車番号「1536」に乗車した。理由は単純で、青函連絡船(当時)の夜行便で青森着4時30分で東北本線の列車に乗り換える列車は嫌でも4時53分発「はつかり2号」しかなかった。当時、私の乗車券は「北海道ワイド周遊券」のためフリー区間以外は特急列車を利用すると別料金が発生する。中学生であった私はその「別料金」にやたらデリケートで、少しでも経費のかからない方法を導き出そうとしたがとても無理難題であった。東北新幹線開業からわずか1年くらいしか経っていなかったためまだまだ在来線には急行列車が健在であったが、夜行連絡船との接続列車は皆無であった。そのため盛岡までを「はつかり」で移動し、仙台までを普通列車で東京へアプローチをする・・・意外に選択肢が見つからなかった。

(同じく画像はウィキペディアより。こんな塗装もあり、上記の写真と2本立てであった。現在も大井川鉄道などでその勇姿を確認する事ができる。)
そんなわけで乗車したのが盛岡発の普通列車1536であった。私の世代か先輩の方々なら1980年代当時の普通列車事情をご存知であろうと思われる。というのも、全国各地ではあちらこちらでDLやELが旧型客車を牽引する普通列車の姿を見られた。東北本線でも旧客による普通列車の運転は珍しくなく、出発時にはあの独特の「ガタガタガタッ」というリズムからの発車が印象的であった。そう、現在のように電車や気動車が主流の時代には無い、あの独特な出発時のリズム・・・先頭の機関車が動き出すと先頭から段々と引っ張られ動いていく・・・SLに牽引される場合などでも味わえるあの時間差的力学とでも言おうか、1車両ごと順番に動き出す間は首都圏では味わえない「異空間」でもあった。

(更に同じく画像はウィキペディアより。車内はこんな感じで私にしてみれば懐かしい。特に独特のニス的な匂いがたまらなく素敵であった。)
583系の「はつかり」で盛岡に着いた私は約7分の乗換で1536列車に乗車した。朝7時22分発の普通列車は、都会の「通勤・通学」からかけ離れた長閑な風景がそこにはあった。というより「通勤」の乗客はほとんど見かけず、地方のローカル線に見る「通学」が主体となる典型的な景色だ。しかも世間的には平日だし通常の風景。逆に私のような者が平日の朝に大きなバッグを抱え普段着で列車の乗っていたら、普通に職務質問であろう。だが、この時私は「家出」ではなく「帰郷」なのでなんとか言い訳がつく、というわけでもないのだが・・・

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コメント
No title
ももぴー様
コメントありがとうございます。
「山陰号」ですか!私も何度か利用しましたよ。正確には3回ですね。そして山陰本線の鈍行列車はかつて旧型客車の宝庫でした。特に「824列車」は私の世代では有名でして「日本最長距離運転の鈍行列車」としてその名を馳せました。関西方面でも旧型客車はかなり活躍してましたね。現在では信じられないくらいに。
臨時や観光用ではなく、定期便としてそれこそ山陰方面辺りで復活してくれるとかなり話題になると思いますが・・・
「山陰号」ですか!私も何度か利用しましたよ。正確には3回ですね。そして山陰本線の鈍行列車はかつて旧型客車の宝庫でした。特に「824列車」は私の世代では有名でして「日本最長距離運転の鈍行列車」としてその名を馳せました。関西方面でも旧型客車はかなり活躍してましたね。現在では信じられないくらいに。
臨時や観光用ではなく、定期便としてそれこそ山陰方面辺りで復活してくれるとかなり話題になると思いますが・・・
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私は田舎が山陰なのですが、かつてはかなり走っていましたよ。
わざわざ京都回りで「山陰号」という鈍行夜行に乗ってみたり・・・。
というか、大阪駅でも福知山線に向けて走る鈍行は旧型がばんばん走っていましたね。