姿なき挑戦者⑬ 急行まりも(後編)
2015-01-12
ズボンがズブ濡れに・・・既に理由については紹介しているが、改めて解説すると・・・石勝線の新夕張訪問の際に、旧・紅葉山駅跡に足を運んだ。そこにはレールが全て剥がされたホームのみの姿の駅があり哀愁を漂わせていた。しかし降り続いていた雨が残した水たまりが各所にあり、夜7時頃に訪問した私は暗闇のためにその存在に気づかず、ホームから若干ジャンプしてからの着地の際にその水たまりに思い切りダイビング・・・という事で、急遽スペアのズボンにチェンジして「まりも」の車内で干す事に・・・


(2014年に乗車した「はまなす」より。「まりも」もこの「はまなす」と同じように寝台車を連結していた。だが、この「はまなす」も恐らく近い将来に同じ運命をたどることであろう・・・)
途中の千歳空港(現・南千歳)で若干の乗車があった。そして先ほどまでいた石勝線へと向かう事になるが、ジーンズのズボンがカーテン代わりとなった私の座席で見る石勝線の景色は黒一色であった。占冠、石勝高原(現・トマム)などの通過シーンがあったはずだが、暗闇の中でその存在に気づく事ができずにいた。って、これ、深夜の時間帯。「夜行」急行列車にも関わらず目がギンギンに冴えまくっていた。
そして新得では上下の「まりも」が列車交換するシーンが見られる。お互いに確か30分くらいのインターバルがある。私は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するため一旦下車。私の他にもホームに出て一服する人や列車を撮影する人などを見かけたが、基本的に皆睡眠を重要視しているようだ。しかしながら座席で過ごすそれにはかなりの工夫が必要。体に負担が掛からぬよう皆オリジナルの体勢で果敢に挑んでいた。私が日本で一番好きな鉄道路線・石勝線は、後に乗る「おおぞら」で根室本線とともに昼間の時間帯に確認する予定だ。

(白糠駅到着後、早速「まりも」を収めた。まずは1枚目。14系客車が実に清々しい。そろそろ夜も明け、白糠線の始発列車を待つホームには若干の「同業者」も。私とともに目指すルートは同じであろう。)
そして列車は道東の拠点・帯広に着く。基本的に広尾線と士幌線が接続していて当時はまだ地上時代の帯広駅だが、この「まりも」に連絡する列車は約2時間以上待つ始発列車しかない。特に士幌線に関しては「上士幌タクシー」の代替区間(糠平~十勝三股)は私を虜(とりこ)にするほどの魅力を満載しており、なんとかこの時に制覇してみたかったが・・・広尾線とセットで考えた場合、ほぼ1日かかってしまい効率が悪かった。そんな理由から次回にしたが、その「次回」がやってこないまま永遠の「次回」になってしまった。

(そして2枚目。若干露光が足りないが、私が「まりも」に乗ってきたという証みたいなもの。こういった光景は北海道では唯一「はまなす」のみになってしまった。
帯広では20分くらいのインターバルがあるため入場券を買いに一旦改札へ。到着時刻は3時16分だが、考えてみたらこの深夜の時間帯ですこぶる元気が良い中学生。この体力を現在の私にくれないか・・・今、ここでパソコンのキーを叩きながら頭の中をフッとよぎった・・・
釧路到着は6時15分で、6時24分発の急行「ノサップ」根室行きに連絡するが、私の下車駅は白糠だ。1時間のインターバルで白糠線の車両がやってくる。この白糠線の車両は私のブログの白糠線の章でも述べているが、根室本線の急行「ノサップ」の合間の使用と聞いた。確かに1日僅少の利用しかないと思われ白糠線にキハ58の2両編成はいささか持て余し気味であろう。とは言え、私の訪問時には既に廃止の情報がメディアに流れた後という事で「そちら方面」の乗客で座席が埋め尽くされていたが・・・

(そして・・・何度かこのブログで登場している3枚目。「まりも」ひとつ取ってみても私にしてみたら多くのドラマと思い出がある。北海道初上陸で初めて北海道の夜行列車に乗ったのもこの「まりも」であった。)
朝もやに濡れた白糠駅は実に爽やかであった。蒸気に包まれた14系客車がディーゼルエンジンの音を力強く唸らせながら釧路目指して去っていく。その姿が、まさか夜行急行まりもの「エピローグ」になろうとは当時予想だにしなかった。だが、同じく盟友の「利尻」「大雪」とともに「思い出」となってしまった夜行急行「まりも」は今でも私の脳裏に強く刻まれている。

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(2014年に乗車した「はまなす」より。「まりも」もこの「はまなす」と同じように寝台車を連結していた。だが、この「はまなす」も恐らく近い将来に同じ運命をたどることであろう・・・)
途中の千歳空港(現・南千歳)で若干の乗車があった。そして先ほどまでいた石勝線へと向かう事になるが、ジーンズのズボンがカーテン代わりとなった私の座席で見る石勝線の景色は黒一色であった。占冠、石勝高原(現・トマム)などの通過シーンがあったはずだが、暗闇の中でその存在に気づく事ができずにいた。って、これ、深夜の時間帯。「夜行」急行列車にも関わらず目がギンギンに冴えまくっていた。
そして新得では上下の「まりも」が列車交換するシーンが見られる。お互いに確か30分くらいのインターバルがある。私は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するため一旦下車。私の他にもホームに出て一服する人や列車を撮影する人などを見かけたが、基本的に皆睡眠を重要視しているようだ。しかしながら座席で過ごすそれにはかなりの工夫が必要。体に負担が掛からぬよう皆オリジナルの体勢で果敢に挑んでいた。私が日本で一番好きな鉄道路線・石勝線は、後に乗る「おおぞら」で根室本線とともに昼間の時間帯に確認する予定だ。

(白糠駅到着後、早速「まりも」を収めた。まずは1枚目。14系客車が実に清々しい。そろそろ夜も明け、白糠線の始発列車を待つホームには若干の「同業者」も。私とともに目指すルートは同じであろう。)
そして列車は道東の拠点・帯広に着く。基本的に広尾線と士幌線が接続していて当時はまだ地上時代の帯広駅だが、この「まりも」に連絡する列車は約2時間以上待つ始発列車しかない。特に士幌線に関しては「上士幌タクシー」の代替区間(糠平~十勝三股)は私を虜(とりこ)にするほどの魅力を満載しており、なんとかこの時に制覇してみたかったが・・・広尾線とセットで考えた場合、ほぼ1日かかってしまい効率が悪かった。そんな理由から次回にしたが、その「次回」がやってこないまま永遠の「次回」になってしまった。

(そして2枚目。若干露光が足りないが、私が「まりも」に乗ってきたという証みたいなもの。こういった光景は北海道では唯一「はまなす」のみになってしまった。
帯広では20分くらいのインターバルがあるため入場券を買いに一旦改札へ。到着時刻は3時16分だが、考えてみたらこの深夜の時間帯ですこぶる元気が良い中学生。この体力を現在の私にくれないか・・・今、ここでパソコンのキーを叩きながら頭の中をフッとよぎった・・・
釧路到着は6時15分で、6時24分発の急行「ノサップ」根室行きに連絡するが、私の下車駅は白糠だ。1時間のインターバルで白糠線の車両がやってくる。この白糠線の車両は私のブログの白糠線の章でも述べているが、根室本線の急行「ノサップ」の合間の使用と聞いた。確かに1日僅少の利用しかないと思われ白糠線にキハ58の2両編成はいささか持て余し気味であろう。とは言え、私の訪問時には既に廃止の情報がメディアに流れた後という事で「そちら方面」の乗客で座席が埋め尽くされていたが・・・

(そして・・・何度かこのブログで登場している3枚目。「まりも」ひとつ取ってみても私にしてみたら多くのドラマと思い出がある。北海道初上陸で初めて北海道の夜行列車に乗ったのもこの「まりも」であった。)
朝もやに濡れた白糠駅は実に爽やかであった。蒸気に包まれた14系客車がディーゼルエンジンの音を力強く唸らせながら釧路目指して去っていく。その姿が、まさか夜行急行まりもの「エピローグ」になろうとは当時予想だにしなかった。だが、同じく盟友の「利尻」「大雪」とともに「思い出」となってしまった夜行急行「まりも」は今でも私の脳裏に強く刻まれている。

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コメント
風旅記様
コメントありがとうございます。
私のブログではよく登場する「1983年」というキーワードですが、この年に私の鉄道人生の多くの体験と経験が凝縮されています。
そして紹介している「まりも」ですが、私が人生で初めて北海道という地に足を踏み入れた歴史的瞬間のタイミングでもありました。私にとっての「白糠線」というと、白糠線そのものよりもこうして白糠線を目指す過程など全ての行程が思い出になっており、人生で3本の指に入る旅の経験です。
もうこの旅も既に30年以上前の経験になりますが、今こうして紹介している私の経験をご覧になって、変な話、白糠線を知らない世代の方はどう受け止めていらっしゃるのでしょうか
いずれにしても私は「夜行」「ブルートレイン」「客車」などというキーワードには敏感に反応してしまいます。
と、こんな感じの私ですが、今後ともよろしくお願いいたします。
私のブログではよく登場する「1983年」というキーワードですが、この年に私の鉄道人生の多くの体験と経験が凝縮されています。
そして紹介している「まりも」ですが、私が人生で初めて北海道という地に足を踏み入れた歴史的瞬間のタイミングでもありました。私にとっての「白糠線」というと、白糠線そのものよりもこうして白糠線を目指す過程など全ての行程が思い出になっており、人生で3本の指に入る旅の経験です。
もうこの旅も既に30年以上前の経験になりますが、今こうして紹介している私の経験をご覧になって、変な話、白糠線を知らない世代の方はどう受け止めていらっしゃるのでしょうか
いずれにしても私は「夜行」「ブルートレイン」「客車」などというキーワードには敏感に反応してしまいます。
と、こんな感じの私ですが、今後ともよろしくお願いいたします。
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白糠線への旅、楽しく拝読しています。夜行列車で着いた駅、気だるさとその先の旅程への期待とが混ざったような感覚、もう今では味わうこともしづらいですね。
リンクのご掲載、ありがとうございました。
当方にも掲載させて頂きました。お暇がございましたら、ご確認頂ければ幸いです。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/