長期連載覚悟!関西私鉄全線制覇の時⑥
2015-02-08
再び阪急に乗り出す私は、というより、能勢電鉄も現在はほとんど阪急の支線のような雰囲気だ。私の能勢電鉄のイメージとしては、あの「川西国鉄前」である。現在は全く川西能勢口には面影を感じることができないが、その昔、川西能勢口から更に国鉄の川西池田まで線路が伸びていた。その駅は「川西国鉄前」と称し、砂利を積み上げたような簡素なホームが1本ある地味な駅であった。当時は川西能勢口を境に運転系統が別れていたが、実際は川西国鉄前までが本線であった。そんな路線も時代とともに消えてゆき、そして現在の姿となっているが・・・能勢電鉄については別途記事を寄せたいと思うのでここではあえて触れないでおこう。

(石橋から箕面線をやっつけて川西能勢口へ。そして能勢電鉄を制覇して更に阪急で宝塚へ・・・短い区間の乗り換えを重ねるので乗り換えに忙しい。)
などと偉そうな事を言ってしまったが、能勢電鉄制覇後、阪急で宝塚へ。以前に福知山線で訪問した時は「いずれ向こう(阪急)にも来るんだろうな」などと考えていたが、とうとうその時がやって来た感じだ。
ところで宝塚といえば・・・とあえて言わなくてもお分かりであろう。そう、「宝塚」である。その「宝塚」である宝塚歌劇団は、ご存知の通り、阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道創始者の小林一三が立ち上げた団体である。その存在や活躍は今私はこの場で述べるまでもないであろう程世間に浸透している存在だ。ただ、意外であったのが「黒木瞳」だった。私は宝塚歌劇団出身ということをつい4~5年前に知ったのでなんとなくの違和感。とは言え天海祐希や真矢みきなど、私などには到底手が届かない程の美形女優が現在も多く活躍しているのは素晴らしい。是非、この歌劇団という文化が後世にずっと受け継がれて貰いたいものだ。

(西宮北口に到着。かつて1本で結ばれていた今津線はこの駅で分断された。しかしながら構内は広く、当時の面影もちらほら。)
などと私がコメントする事でもないが、そんな宝塚から今津線で西宮北口に着いた。西宮北口といえば・・・先述の通り、レールファンならお馴染みの、あの光景があった場所だ。私はとうとうライブで見る事ができなかったが、その存在は鉄道雑誌や単行本などで散々見てきたのでいつかは行ってみたいとの思いはあった。だが・・・結果的に現在の形での訪問となってしまった。しかしながら広い構内はかつてのあの雰囲気が伝わってきそうな感じであった。あの平面交差は実に関西特有のダイナミックな感性であろう。


(画像はウィキペディアより。西宮北口の配線図。もちろん上が改良前でしたが改良後。ダイナミックな配線がなくなってしまったのは残念であるが、安全面を考えればこれで正解なのかも。一時期は立体交差による直通も考えられたが、現在はほぼ実現不可能であろう。)
そんな分断された今津線を西宮北口で乗り換えて一旦塚口に出て伊丹線を処理。更に夙川に出て甲陽線を処理し西宮北口に戻ってくる。そして更に今津線に乗る・・・乗り潰しならではの実に細かい作業を淡々とこなす私でであったが、ただ乗るのではなく、やはりこういった場所でもしっかりと「旅情」を探す作業をする。と言っても一体どう言う「旅情」なのか・・・その旅情探しのために、更に旅は続く・・・

(かつてのイメージでは考えられないが、阪急の駅名標に阪神の文字が・・・もちろん今は「仲間」である。)

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(石橋から箕面線をやっつけて川西能勢口へ。そして能勢電鉄を制覇して更に阪急で宝塚へ・・・短い区間の乗り換えを重ねるので乗り換えに忙しい。)
などと偉そうな事を言ってしまったが、能勢電鉄制覇後、阪急で宝塚へ。以前に福知山線で訪問した時は「いずれ向こう(阪急)にも来るんだろうな」などと考えていたが、とうとうその時がやって来た感じだ。
ところで宝塚といえば・・・とあえて言わなくてもお分かりであろう。そう、「宝塚」である。その「宝塚」である宝塚歌劇団は、ご存知の通り、阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道創始者の小林一三が立ち上げた団体である。その存在や活躍は今私はこの場で述べるまでもないであろう程世間に浸透している存在だ。ただ、意外であったのが「黒木瞳」だった。私は宝塚歌劇団出身ということをつい4~5年前に知ったのでなんとなくの違和感。とは言え天海祐希や真矢みきなど、私などには到底手が届かない程の美形女優が現在も多く活躍しているのは素晴らしい。是非、この歌劇団という文化が後世にずっと受け継がれて貰いたいものだ。

(西宮北口に到着。かつて1本で結ばれていた今津線はこの駅で分断された。しかしながら構内は広く、当時の面影もちらほら。)
などと私がコメントする事でもないが、そんな宝塚から今津線で西宮北口に着いた。西宮北口といえば・・・先述の通り、レールファンならお馴染みの、あの光景があった場所だ。私はとうとうライブで見る事ができなかったが、その存在は鉄道雑誌や単行本などで散々見てきたのでいつかは行ってみたいとの思いはあった。だが・・・結果的に現在の形での訪問となってしまった。しかしながら広い構内はかつてのあの雰囲気が伝わってきそうな感じであった。あの平面交差は実に関西特有のダイナミックな感性であろう。


(画像はウィキペディアより。西宮北口の配線図。もちろん上が改良前でしたが改良後。ダイナミックな配線がなくなってしまったのは残念であるが、安全面を考えればこれで正解なのかも。一時期は立体交差による直通も考えられたが、現在はほぼ実現不可能であろう。)
そんな分断された今津線を西宮北口で乗り換えて一旦塚口に出て伊丹線を処理。更に夙川に出て甲陽線を処理し西宮北口に戻ってくる。そして更に今津線に乗る・・・乗り潰しならではの実に細かい作業を淡々とこなす私でであったが、ただ乗るのではなく、やはりこういった場所でもしっかりと「旅情」を探す作業をする。と言っても一体どう言う「旅情」なのか・・・その旅情探しのために、更に旅は続く・・・

(かつてのイメージでは考えられないが、阪急の駅名標に阪神の文字が・・・もちろん今は「仲間」である。)

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