更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>③
2019-11-05
日田彦山線は、乗車していて実に歴史を感じる路線であると改めて感じた。まず呼野。周知の通りスイッチバックの駅であった事でその名を知られているが、もともと勾配上にあったホームだけが残り、その他のスイッチバック設備は全て撤去されてしまった。そしてその隣の駅はズバリ「採銅所」である。もう何も説明する必要がないであろう。いかにも「ナウい」駅名ではないのは明白だが、駅設備も開設当時のものがかなり残っていた印象であった。気が付けば座席から身を乗り出し、その車窓に釘付けになっていた。

(その名もズバリ「採銅所」。この駅名だけでも日田彦山線の訪問意欲をそそるではないか!昔からの佇まいはなかなかの訪問価値がありそうだ。)
田川後藤寺で下車し一旦後藤寺線を制覇するため新飯塚に向かった。途中、船尾では実に「昭和」を感じる風景に出会った。レールファンにはとくに周知の事実であるが、目の当たりにすると実に実感するというか胸に染みる光景であった。そう、ここはかつて石灰石の積出駅として栄えたが、現在はそのだだっ広い更地の構内がかつての面影をとどめる程度になっている。真っ白に染まった駅舎がその存在をアピールしていたが、現在はその駅舎も取り壊され寂しくなってしまった。船尾の歴史を確認するためちょっとウィキを覗いてみた。するととんでもないことが判明!輸送量を見てびっくりした。1935年では、利用者がなんと11万人!そして貨物がなんと140万トン!1日平均で旅客だと304人程度であるが、貨物は3800トンになる。私は数学が不得手のためこの数値がどういうものか分からないが、この船尾駅のひとつの物差しになる事に変わりはない。だが、この貨物の数値は間違えなく船尾駅の大部分の収入を支えていた事であろう。

(船尾駅の石灰石積出はなくなったが、だだっ広い構内はかつての盛栄を無言で語りかけていた。構内では1社のみ残るセメント工場がある。)
かつての北九州の鉄道路線網は、それこそ東京の地下鉄路線図より複雑であった。現在はものすごくスッキリとした感じであるが、この船尾を見た途端に「北九州の鉄道」が私に何かを語りかけてきた。当時の「国鉄」を彷彿させるような光景・・・私は思わず座席を立ち上がってしまった。船尾に来る前は田川後藤寺で乗り換えをしているが、こちらも「国鉄」の風景・・・だが、船尾は更に「国鉄」が凝縮された感じであった。しかしながら現在は「面影」のみ。私は全国の鉄道路線を放浪したが、ローカル方面には必ず「かつて」というキーワードが見え隠れし「盛栄」という過去が潜んでいる。そう、鉄道には必ず歴史がある。

(画像は「昔訪ねた気動車ローカル線」より、1998年の筑前庄内。「国鉄」ではなく、現在の「JR」に近い雰囲気。とはおかしな表現かもしれないが、JR化されて10年が経ち、JRがそろそろ全国的に馴染んできた時期であったろう。)
そういえば、最近NHKの番組で「ファミリーヒストリー」という番組を視た。多分再放送であったろうが、ロックバンド「くるり」の岸田繁の先祖の歴史が綴られていた。私は「くるり」自体全く知らなかったが、祖先の方々は、それは素晴らしい方ばかりで感動してしまう。本人はそんな祖先の歴史をまるで映画館の観客席で映画を観るようにモニターで内容を観る、という番組だ。そして本放送では梅宮辰夫が登場する。梅宮家の歴史が、それこそ細かく調べ上げられで、本人も知らないような事ばかりが登場する。そして涙・・・当然であろう。もし自分の先祖の歴史がモニターで視聴できたら・・・と思うし、自身がその立場であったら感動するであろう。
船尾駅を見つめていると、なんだか北九州の歴史を、いや、鉄道そのものの歴史を見ているようにも感じた。ほんの一瞬の停車時間なのに、なんとなくその時間が何分にも何時間にも感じたのはなぜだろう・・・

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(その名もズバリ「採銅所」。この駅名だけでも日田彦山線の訪問意欲をそそるではないか!昔からの佇まいはなかなかの訪問価値がありそうだ。)
田川後藤寺で下車し一旦後藤寺線を制覇するため新飯塚に向かった。途中、船尾では実に「昭和」を感じる風景に出会った。レールファンにはとくに周知の事実であるが、目の当たりにすると実に実感するというか胸に染みる光景であった。そう、ここはかつて石灰石の積出駅として栄えたが、現在はそのだだっ広い更地の構内がかつての面影をとどめる程度になっている。真っ白に染まった駅舎がその存在をアピールしていたが、現在はその駅舎も取り壊され寂しくなってしまった。船尾の歴史を確認するためちょっとウィキを覗いてみた。するととんでもないことが判明!輸送量を見てびっくりした。1935年では、利用者がなんと11万人!そして貨物がなんと140万トン!1日平均で旅客だと304人程度であるが、貨物は3800トンになる。私は数学が不得手のためこの数値がどういうものか分からないが、この船尾駅のひとつの物差しになる事に変わりはない。だが、この貨物の数値は間違えなく船尾駅の大部分の収入を支えていた事であろう。

(船尾駅の石灰石積出はなくなったが、だだっ広い構内はかつての盛栄を無言で語りかけていた。構内では1社のみ残るセメント工場がある。)
かつての北九州の鉄道路線網は、それこそ東京の地下鉄路線図より複雑であった。現在はものすごくスッキリとした感じであるが、この船尾を見た途端に「北九州の鉄道」が私に何かを語りかけてきた。当時の「国鉄」を彷彿させるような光景・・・私は思わず座席を立ち上がってしまった。船尾に来る前は田川後藤寺で乗り換えをしているが、こちらも「国鉄」の風景・・・だが、船尾は更に「国鉄」が凝縮された感じであった。しかしながら現在は「面影」のみ。私は全国の鉄道路線を放浪したが、ローカル方面には必ず「かつて」というキーワードが見え隠れし「盛栄」という過去が潜んでいる。そう、鉄道には必ず歴史がある。

(画像は「昔訪ねた気動車ローカル線」より、1998年の筑前庄内。「国鉄」ではなく、現在の「JR」に近い雰囲気。とはおかしな表現かもしれないが、JR化されて10年が経ち、JRがそろそろ全国的に馴染んできた時期であったろう。)
そういえば、最近NHKの番組で「ファミリーヒストリー」という番組を視た。多分再放送であったろうが、ロックバンド「くるり」の岸田繁の先祖の歴史が綴られていた。私は「くるり」自体全く知らなかったが、祖先の方々は、それは素晴らしい方ばかりで感動してしまう。本人はそんな祖先の歴史をまるで映画館の観客席で映画を観るようにモニターで内容を観る、という番組だ。そして本放送では梅宮辰夫が登場する。梅宮家の歴史が、それこそ細かく調べ上げられで、本人も知らないような事ばかりが登場する。そして涙・・・当然であろう。もし自分の先祖の歴史がモニターで視聴できたら・・・と思うし、自身がその立場であったら感動するであろう。
船尾駅を見つめていると、なんだか北九州の歴史を、いや、鉄道そのものの歴史を見ているようにも感じた。ほんの一瞬の停車時間なのに、なんとなくその時間が何分にも何時間にも感じたのはなぜだろう・・・

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コメント
No title
あいあんさいど様
コメントありがとうございます。こちらこそ大変ご無沙汰しておりましたね。
「くるり」の件ですが、私はその存在すら全くわかりませんでしたが、NHKの番組を同日に視ていたとは偶然ですね。あの番組、なかなか味があって奥が深いですね。「梅宮家」の方もなかなか見応えがありましたよ。岸田氏の「鉄」はもちろん初めて知りました。なるほど、京急的な歌が多いとは、なかなかの思い入れがある事でしょう。私的に行政区域的の地元民としては嬉しいことですね。
ところで北九州の鉄道路線ですが、現在でもかなり昔の面影が感じられると思います。もちろんレールは撤去されたりしていてだだっ広い構内があったり、直方のようにホームなどは昔のままだけど駅舎が建て替えられたりとか、いわゆる地味な変化はありますが、エッセンス的には昔を感じられるはずです。ですが、近年にベットタウン化が進行して、特に博多側の発展は周知の通りですね。もし、現在でも勝田線が存在していたならば、それこそ「電車」が走っていたかもしてない想像が頭をよぎります・・・
あいあんさいど様も是非時間をとって訪問してみてはいかがでしょう。それこそ、古舘伊知郎的な表現を借りると「四次元」的な空間があいあんさいど様を迎えてくれる事でしょう。
「くるり」の件ですが、私はその存在すら全くわかりませんでしたが、NHKの番組を同日に視ていたとは偶然ですね。あの番組、なかなか味があって奥が深いですね。「梅宮家」の方もなかなか見応えがありましたよ。岸田氏の「鉄」はもちろん初めて知りました。なるほど、京急的な歌が多いとは、なかなかの思い入れがある事でしょう。私的に行政区域的の地元民としては嬉しいことですね。
ところで北九州の鉄道路線ですが、現在でもかなり昔の面影が感じられると思います。もちろんレールは撤去されたりしていてだだっ広い構内があったり、直方のようにホームなどは昔のままだけど駅舎が建て替えられたりとか、いわゆる地味な変化はありますが、エッセンス的には昔を感じられるはずです。ですが、近年にベットタウン化が進行して、特に博多側の発展は周知の通りですね。もし、現在でも勝田線が存在していたならば、それこそ「電車」が走っていたかもしてない想像が頭をよぎります・・・
あいあんさいど様も是非時間をとって訪問してみてはいかがでしょう。それこそ、古舘伊知郎的な表現を借りると「四次元」的な空間があいあんさいど様を迎えてくれる事でしょう。
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ところで…。実は「くるり」は、最近は聴かなくなりましたが好きでして、私も先日その岸田氏の回の「ファミリーヒストリー」を再放送で見ました。殊に、母上方の伯父さんのアグレッシブさには、他所の家のことながら感動を覚えました。
岸田氏は無類の「鉄」で知られ、そういう歌も多く書いていますが、京都生まれなのになぜか京急を歌った歌が多かったりします(「赤い電車」「屏風浦」など)。「赤い~」は品川駅の接近メロディに使われています。でも、バンド名自体は「千葉のローカル線」に由来するわけでもないようです(笑)。
長々とご無礼いたしました…。