更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>⑤
2019-11-15
翌日の朝、宿泊先を後にした私は乗り鉄「らしい」行動に出る。博多から単発の乗り潰し・・・そう「博多南線」だ。博多南線と言えばご存知、新幹線の車庫への引き込み線である。その車庫の片隅にホームを設け、旅客輸送に充てようというスグレモノ。一見「副収入」のようにも思えるが、ウィキで乗車人員を確認したらなんと1万2千人くらいの人が1日平均で利用しているではないか!これは驚きであった。もちろん博多近郊とあって通勤客がほぼ占めている事であろうが、JRもこの数値をある程度予想していたのかという疑問が生まれた。私の予想だともう少し低い数値で見積もっていたと思われるが、私自身が実際に体験して納得した。

(博多南へ向かった列車はご覧の車両であった。撮影は博多南から折り返し博多駅を下車して撮影したものであるが、まさかこれが0系最後の体験となるとは思わなかった。)
博多から博多南へ向かう列車はJR西カラーの「0系」であった。いずれこの車両はなくなるとは感じていたが、私の予想よりも早い時期にそれは訪れてしまった。晩年は初期カラーへ塗装し直し、自身の晩年に華を飾った。0系は、私の世代だと新幹線のイメージそのもの。幼少時代から植えつけられた斬新なフォルムは実に印象深く憧れの存在でもあった。そんな列車が引退していく・・・時代の変化とともに新陳代謝の激しい新幹線は、あの500系までも「こだま専用」のような存在になってしまった。博多南線は非常に短い区間であるが、そんな新幹線の歴史を改めて教えてくれた。

(画像はウィキペディアより、博多南駅。ご覧の通り、新幹線の車庫に隣接する形となっているが博多近郊にあるため「回送などを使う」という発想は実に効率が良いかも知れない。いかにも「北綾瀬」的な考え方だ。
博多南へ向かう列車は全く持って回送状態。私以外の乗客が見当たらないから新幹線の歴史などを車窓に投影してしまうのだが・・・折り返す列車は多分たくさん乗客が乗ってくるだろうなぁとある程度予想していた。「今のうちに(座席の)いい場所を確保しておこう!」と私は座席を物色しだした。そして博多南に近づくと、予想通りとんでもない光景が私を待っていた。片面しかないホームには人・人・人!!スーツ姿の男女がホーム一面に群れをなしていた。「どーですか!お客さん」とでも言わんばかりの人間の山。回送がてらの車両を利用してお客様が利用するのだからこれほど効率よく利益を出せる商品はない!行きは貸切状態の列車であったが、帰りは自由席が立ち席客が出るほどであった。おかげで駅名標を撮影し損ねたではないか!私は通勤客のひとりとなって博多へ折り返した。

(博多からはこんな車両で原田に向かった。JR化後の車両であるから私には全く形式とか特徴が分からない。だが、非常に乗り心地がよく、デザインも「あの人」がなされたであろう印象が。)
博多南線を制覇すると、今度は普通列車で原田へ向かった。そう、あの「筑豊本線」に乗車するためだ。筑豊本線が原田から出ているのはこのご時世に不思議な現象になってしまった。今から50年位前まではこの事象で正解であったのだが、21世紀の風景にはとても似合わない。というより役割がない。だが、現在還暦や古希をお迎えになられた方なら筑豊本線のこの区間の盛栄時代をご存知かも知れない。私の場合はDLが旧型客車を牽引するローカルな姿は中学生頃であった。そんな哀愁漂う筑豊本線の現在はDCの一両編成単行であるが、車両は変われど、なんというか雰囲気とかは昔のままであろう。というよりローカル線の基本のようなものかも知れない。

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(博多南へ向かった列車はご覧の車両であった。撮影は博多南から折り返し博多駅を下車して撮影したものであるが、まさかこれが0系最後の体験となるとは思わなかった。)
博多から博多南へ向かう列車はJR西カラーの「0系」であった。いずれこの車両はなくなるとは感じていたが、私の予想よりも早い時期にそれは訪れてしまった。晩年は初期カラーへ塗装し直し、自身の晩年に華を飾った。0系は、私の世代だと新幹線のイメージそのもの。幼少時代から植えつけられた斬新なフォルムは実に印象深く憧れの存在でもあった。そんな列車が引退していく・・・時代の変化とともに新陳代謝の激しい新幹線は、あの500系までも「こだま専用」のような存在になってしまった。博多南線は非常に短い区間であるが、そんな新幹線の歴史を改めて教えてくれた。

(画像はウィキペディアより、博多南駅。ご覧の通り、新幹線の車庫に隣接する形となっているが博多近郊にあるため「回送などを使う」という発想は実に効率が良いかも知れない。いかにも「北綾瀬」的な考え方だ。
博多南へ向かう列車は全く持って回送状態。私以外の乗客が見当たらないから新幹線の歴史などを車窓に投影してしまうのだが・・・折り返す列車は多分たくさん乗客が乗ってくるだろうなぁとある程度予想していた。「今のうちに(座席の)いい場所を確保しておこう!」と私は座席を物色しだした。そして博多南に近づくと、予想通りとんでもない光景が私を待っていた。片面しかないホームには人・人・人!!スーツ姿の男女がホーム一面に群れをなしていた。「どーですか!お客さん」とでも言わんばかりの人間の山。回送がてらの車両を利用してお客様が利用するのだからこれほど効率よく利益を出せる商品はない!行きは貸切状態の列車であったが、帰りは自由席が立ち席客が出るほどであった。おかげで駅名標を撮影し損ねたではないか!私は通勤客のひとりとなって博多へ折り返した。

(博多からはこんな車両で原田に向かった。JR化後の車両であるから私には全く形式とか特徴が分からない。だが、非常に乗り心地がよく、デザインも「あの人」がなされたであろう印象が。)
博多南線を制覇すると、今度は普通列車で原田へ向かった。そう、あの「筑豊本線」に乗車するためだ。筑豊本線が原田から出ているのはこのご時世に不思議な現象になってしまった。今から50年位前まではこの事象で正解であったのだが、21世紀の風景にはとても似合わない。というより役割がない。だが、現在還暦や古希をお迎えになられた方なら筑豊本線のこの区間の盛栄時代をご存知かも知れない。私の場合はDLが旧型客車を牽引するローカルな姿は中学生頃であった。そんな哀愁漂う筑豊本線の現在はDCの一両編成単行であるが、車両は変われど、なんというか雰囲気とかは昔のままであろう。というよりローカル線の基本のようなものかも知れない。

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