紀州の奇襲!(リメイク版)
2012-12-22

2009年の年明け早々、青春18きっぷを使いJR線大阪方面の制覇を企てた。以前より訪れてみたかった鉄道・・・紀州鉄道に行く決意をした。実は、個人的に「最終制覇路線」と密かに決めていたのであったが、結論から言うと、いつ無くなってしまうか分からないという不安からの決意であった。関西ならば連休を取れば気軽に行ける地域であるため、思い立ったら何とか、である。という事で、毎度お馴染み「ムーンライトながら」で関西入りした。その日のうちに関西本線と和歌山線の一部、そして阪和線の一部と関西空港線を制覇し、御坊入りした。既に紀州鉄道の列車は私を待っており、乗車して間もなくディーゼルエンジンの音を響かせた。車両はレールバスで若干味気なかったが、こればかりは仕方ない。密かに旧式の車両(キハ600)を期待していたのだが・・・暫く紀勢本線と平行して走るが、やがて紀勢本線を右に見ながら颯爽と一人わが道を突き進むかように一本の鉄路を頼りに西御坊を目指した、と思っていたら早速最初の停車駅に到着した。「学問」という奇妙な駅名に気を取られながらも、この区間が紀州鉄道最長区間の1.5㌔であることがこの後思い知らされることとなる。約300m程進むと、紀州鉄道の拠点駅「紀伊御坊」に到着する。ここは駅員も配置され切符の回収もする。また、車庫や側線があり構内は広い。

そして側線にはあの「キハ600」が留置されていた。情報によると、休日のみこの車両で運転するとの事。そして市街地を縫うように進むともう「市役所前」に到着。無人駅で、ワンマン運転である列車の運転手が料金回収業務を行う。と、そこで気がついた。ワンマン特有の運賃箱が塞がれているではないか。ではどういう風にやり取りしているのか・・・運転手が直接手渡しで料金を回収しているのである。普通に一万円渡したら果たしてどうなるのか・・・等と余計な事を考えてしまったため早速小銭を用意した、と思ったら、すぐに終点「西御坊」に到着した。恐らく開業当時のままであろうと思われる駅舎が私を待ち構えていた。と同時に運転手も駅舎の「福利厚生施設」の中に入って行った。折り返す列車の運転まで時間があるための「休憩」であろう。乗って来た列車で折り返し、再び御坊に向う予定なのだがまだ出発まで30分近くもあるので駅前のスーパーに買出しに出た。勿論、抜かりなく酒類を格安でゲット。ついでに野菜なども買って行きたい位の格安であったが・・・それはさておき、西御坊より先にはまだ鉄路が延びていた。そう、廃止された日高川までの「廃線跡」である。と言ってもほぼ原型のまま残っているため、西御坊のすぐ先を流れる川にかかる鉄橋こそ無いものの、その気になればいつでも再会出来そうである。現に、日高川から先の延長もつい最近まで本気で考えられていたくらいだ、と言うより、会社首脳陣は本気で今も考えているのかも知れない。紀勢本線の御坊と御坊市の市街地を結ぶ紀州鉄道の役割は、既に並行する道路に走っていると思われる路線バスの方が圧倒的な地位であろうが、地方に行くほど鉄道は学生の味方である。
さながら「時代遅れ」と思われる交通手段であっても、ちゃんと歴史があり盛栄時代もあった。しかし私を含め「こういうところ」を好んでやってくる青年(?)も居るではないか!最も、地元民に対して役立っていただいてナンボであるが・・・いずれにしても、この時代に紀州鉄道が残っているのが奇跡である。次回に訪問の際にはぜひ「廃線跡」を散策してみたいが、その廃線跡が「廃止」にならないよう祈るのみである。


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