更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART2>①
2019-12-10
さて、今回紹介する九州の旅は私がレールファンを復活しての九州制覇第2弾となった。今回の旅は、若干小銭ができたため急遽予定を立てた。日程的には2010年5月の3日間、GWも終わり世間的に行楽や帰省などのイベントが落ち着いている時期だ。つまり普段の生活の中で私は連休を取得しての旅となったわけだ。今回の目玉は「はやとの風」~「いさぶろう・しんぺい」と「ゆふいんの森」を初体験する事。だが、今回の旅は私の九州制覇旅行初のトラブルに遭遇することになった・・・とは言え、1983年の東北を始め、私は数々のトラブルを乗り越えてきた経験と知恵と「野生の感」がある。そんな私が培った英知をフルに発揮した今回の旅は、これまた初めての経験である「ドリームにちりん」を使うというアドベンチャー的な旅となった。私は旅をする時、常に新しい事・経験していない事を取り入れている。今回もこの「ドリーム」を始め初体験が盛りだくさんだ。という事で、今回は仕事を午前中に切り上げ、新横浜から新幹線に飛び乗ったのが午後6時近かった時間帯である。

(新横浜から新幹線で一路小倉へ。飛行機を使わず、地上の交通手段で九州へ向かうのは実に新鮮。)
夜の時間帯に下りの新幹線に乗車するのも初めての経験。なんとなく実に新鮮。だが、さすがの新幹線も新大阪を過ぎると徐々に乗客が減っていき、博多に着く頃には半分貸切状態であった。新幹線で小倉に着いたのが23時40分。すごい時間だ。乗り換える列車は23時52分発「ドリームにちりん」である。新幹線から在来線に乗り換えるのに12分・・・実にスリリングであったが、意外にも余裕があった。だが、それこそ意外に新幹線から「ドリーム」に乗り換える乗客が少なくない。自由席には長蛇とは言わないがそれなりの列ができている。果たして座れるのであろうか。しかも途中の小倉からの乗車だし・・・心配は無用であった。私の乗った車両はそれほど乗客もおらずほとんど貸切状態であった。

(この区間での今回の旅のフォトがなかったので過去の画像での紹介でよろしく・・・という事で、これは1978年に寝台特急「富士」で訪問した際の一枚である。「温泉」と付けなくても温泉街であるとわかる地名は日本に数多くあるが、ここ別府もその一つだ。)
「ドリームにちりん」については以前にも紹介しているのでそちらを参照にしていただきたいが、小倉から乗車後、早速車掌が回ってきた。しかも若い女性である!しかも夜の時間帯の勤務とは・・・大丈夫なのか?とよからぬ心配をしてしまったが、中津に着く頃には既に私の乗った車両は私達だけになってしまった。そう、小倉からの乗客のほとんどは「終列車」としてこのドリームを利用しているようだ。私のように車内改札の際に行き先を「空港まで」と伝える乗客はそう多くないであろう。もちろん全くのゼロという事ではないが、基本的に中津~日向市間はほとんど乗客が私のような「もの好き」などがシェアしているようなものかも知れない。

(同じく1978年の延岡である。さて・・・現在と比べていかがであろう。今回の旅でこの延岡は未明の訪問であったため状況がわからなかった。写真の1978年当時とどれくらい変わっているのか気になる。もちろん「貨物」の姿はないであろうが・・・)
大分では地上ホームにいた。1時間くらいの停車時間があったが、私はほとんど仮眠状態で記憶が意識がモウロウとしていた。だが、この地上時代も終焉を迎えるべく、半分完成した高架ホームを見上げる形で実に見事に堂々と仁王立ちしていた。「2日後に来るよな」などと心の中でつぶやきながら高架ホームを見上げるとは、意識がモウロウとしていないではないか!そんな印象深い大分駅であったが、現在は全てが完成し立派な高架駅になったと聞いた。私が大分駅に初めて訪れたのは1978年の寝台特急「富士」乗車時の事であった。もちろん下車はしていないが、ここ大分で後ろ何両か切り離し身軽になってい西鹿児島(当時)まで向かったのを覚えている。あれから30年以上が経ち再び訪れた・・・実に素晴らしく懐かしかった。

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(新横浜から新幹線で一路小倉へ。飛行機を使わず、地上の交通手段で九州へ向かうのは実に新鮮。)
夜の時間帯に下りの新幹線に乗車するのも初めての経験。なんとなく実に新鮮。だが、さすがの新幹線も新大阪を過ぎると徐々に乗客が減っていき、博多に着く頃には半分貸切状態であった。新幹線で小倉に着いたのが23時40分。すごい時間だ。乗り換える列車は23時52分発「ドリームにちりん」である。新幹線から在来線に乗り換えるのに12分・・・実にスリリングであったが、意外にも余裕があった。だが、それこそ意外に新幹線から「ドリーム」に乗り換える乗客が少なくない。自由席には長蛇とは言わないがそれなりの列ができている。果たして座れるのであろうか。しかも途中の小倉からの乗車だし・・・心配は無用であった。私の乗った車両はそれほど乗客もおらずほとんど貸切状態であった。

(この区間での今回の旅のフォトがなかったので過去の画像での紹介でよろしく・・・という事で、これは1978年に寝台特急「富士」で訪問した際の一枚である。「温泉」と付けなくても温泉街であるとわかる地名は日本に数多くあるが、ここ別府もその一つだ。)
「ドリームにちりん」については以前にも紹介しているのでそちらを参照にしていただきたいが、小倉から乗車後、早速車掌が回ってきた。しかも若い女性である!しかも夜の時間帯の勤務とは・・・大丈夫なのか?とよからぬ心配をしてしまったが、中津に着く頃には既に私の乗った車両は私達だけになってしまった。そう、小倉からの乗客のほとんどは「終列車」としてこのドリームを利用しているようだ。私のように車内改札の際に行き先を「空港まで」と伝える乗客はそう多くないであろう。もちろん全くのゼロという事ではないが、基本的に中津~日向市間はほとんど乗客が私のような「もの好き」などがシェアしているようなものかも知れない。

(同じく1978年の延岡である。さて・・・現在と比べていかがであろう。今回の旅でこの延岡は未明の訪問であったため状況がわからなかった。写真の1978年当時とどれくらい変わっているのか気になる。もちろん「貨物」の姿はないであろうが・・・)
大分では地上ホームにいた。1時間くらいの停車時間があったが、私はほとんど仮眠状態で記憶が意識がモウロウとしていた。だが、この地上時代も終焉を迎えるべく、半分完成した高架ホームを見上げる形で実に見事に堂々と仁王立ちしていた。「2日後に来るよな」などと心の中でつぶやきながら高架ホームを見上げるとは、意識がモウロウとしていないではないか!そんな印象深い大分駅であったが、現在は全てが完成し立派な高架駅になったと聞いた。私が大分駅に初めて訪れたのは1978年の寝台特急「富士」乗車時の事であった。もちろん下車はしていないが、ここ大分で後ろ何両か切り離し身軽になってい西鹿児島(当時)まで向かったのを覚えている。あれから30年以上が経ち再び訪れた・・・実に素晴らしく懐かしかった。

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