今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた②
2015-04-30
既に先述したが、岳南電車を訪問した後私は草津に向かった。そう、湘南新宿ラインで。そして草津からの帰りも湘南新宿ラインを利用した。お陰で交通費が格安で済んだが、体力的にはやはり疲労を隠せない部分を否定できなかった・・・そんな疲労困憊の中、なぜか湘南新宿ラインを高崎から乗車した時より非常にテンションが高くなり、ならばブログに記事を紹介すべくしっかりと感受性を豊かにしておこうと心に決めた!という決意を元に高崎のホームを後にした。

(高崎で湘南新宿ラインを待っていたらこんな列車がやってきた。もちろん、私はこの列車が到着する前の普通列車に乗ってこの高崎に到着した。)
乗車した車両は東海道線ではお馴染みの車両であり、私にとっては生活の一部に過ぎない。そんな列車にどう「旅情」を探せというのか・・・いや、東海道線は特に私が幼少時代から生活の一部として馴染んできた路線だ。歴史や時間の流れとともにその変化をずっと見守ってきた。とは言え1985年くらいから2007年までレールファンを離れていたが、そんな中でも生活の一部として利用していたし変化していたことはもちろん知っている。逆にこの20年以上のブランクがあったからこそ今が実に新鮮に感じる部分も少なからずある。だから高崎駅で見る「小田原」という方向幕も実に新鮮。とは言えレールファンを復活してから8年以上経過しているので何度も見ているのであるが、改めて「ブログ管理者」的な事を意識するとそう感じてしまうのだ。

(深谷ではお馴染み「東京駅」が見れる。ちなみに「お馴染み」ではない人に解説させていただくと、東京駅の駅舎の材料になっているレンガは、ここ深谷で作られたものを使用している。)
高崎線の変化と言えば、深谷の駅舎が東京駅をモチーフしたくらいしか変化に気付かなかったが、国鉄時代には山手線・新幹線と並び「黒字路線」として名を連ねていたのは周知の通りであろう。そんな時代を今も若干感じさせるが、やはり最大の変化は先述した高崎駅などで「小田原」の行き先が頻繁に見られる事であろう。横須賀線が総武線と直通運転を開始した当時と同じように、湘南新宿ライン開業当時も高崎線の利用者はその方向幕をみて若干戸惑ったのかも知れない。

(廃止直前に訪問した東武熊谷線の熊谷駅にて。正式には秩父鉄道の熊谷駅と言ったほうが正解か・・・)
さて、熊谷に到着しても私の知っている昔の風景とそんなに変わらない。かつては「東武熊谷線」が分岐しており、東武鉄道唯一のDCが運転されていた。私も廃止前に訪問しているが、当時は全く意味もわからずただ廃止と聞くと訪問していたので記憶が薄い。しかしながら今となっては貴重な体験となってしまった。そんな経験を当時は実に多くやっていたが、今となってはよくぞそんな行動を取っていたと感心してしまう。まぁ、当時は中学生だったので休みの度にそんな事をしていたのであろう。それ自体記憶にないが、写真などの記録が残っているという事は、やはりそうだったのかも知れない。

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(高崎で湘南新宿ラインを待っていたらこんな列車がやってきた。もちろん、私はこの列車が到着する前の普通列車に乗ってこの高崎に到着した。)
乗車した車両は東海道線ではお馴染みの車両であり、私にとっては生活の一部に過ぎない。そんな列車にどう「旅情」を探せというのか・・・いや、東海道線は特に私が幼少時代から生活の一部として馴染んできた路線だ。歴史や時間の流れとともにその変化をずっと見守ってきた。とは言え1985年くらいから2007年までレールファンを離れていたが、そんな中でも生活の一部として利用していたし変化していたことはもちろん知っている。逆にこの20年以上のブランクがあったからこそ今が実に新鮮に感じる部分も少なからずある。だから高崎駅で見る「小田原」という方向幕も実に新鮮。とは言えレールファンを復活してから8年以上経過しているので何度も見ているのであるが、改めて「ブログ管理者」的な事を意識するとそう感じてしまうのだ。

(深谷ではお馴染み「東京駅」が見れる。ちなみに「お馴染み」ではない人に解説させていただくと、東京駅の駅舎の材料になっているレンガは、ここ深谷で作られたものを使用している。)
高崎線の変化と言えば、深谷の駅舎が東京駅をモチーフしたくらいしか変化に気付かなかったが、国鉄時代には山手線・新幹線と並び「黒字路線」として名を連ねていたのは周知の通りであろう。そんな時代を今も若干感じさせるが、やはり最大の変化は先述した高崎駅などで「小田原」の行き先が頻繁に見られる事であろう。横須賀線が総武線と直通運転を開始した当時と同じように、湘南新宿ライン開業当時も高崎線の利用者はその方向幕をみて若干戸惑ったのかも知れない。

(廃止直前に訪問した東武熊谷線の熊谷駅にて。正式には秩父鉄道の熊谷駅と言ったほうが正解か・・・)
さて、熊谷に到着しても私の知っている昔の風景とそんなに変わらない。かつては「東武熊谷線」が分岐しており、東武鉄道唯一のDCが運転されていた。私も廃止前に訪問しているが、当時は全く意味もわからずただ廃止と聞くと訪問していたので記憶が薄い。しかしながら今となっては貴重な体験となってしまった。そんな経験を当時は実に多くやっていたが、今となってはよくぞそんな行動を取っていたと感心してしまう。まぁ、当時は中学生だったので休みの度にそんな事をしていたのであろう。それ自体記憶にないが、写真などの記録が残っているという事は、やはりそうだったのかも知れない。

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