今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた④
2015-05-06

(大崎を出ると山手線と品鶴線が立体交差で分岐する。というより、なんとなく心霊写真みたいになって申し訳ないが・・・)
大崎を出ると品鶴線、つまり横須賀線に合流する。「横須賀線」とはおかしな表現であるが、その理由については先述通りである。だが、この大崎を出て品鶴線と合流するあたり、実に新鮮であった。いわゆるかつての「蛇窪信号場」と呼ばれる大崎駅構内扱いの合流地点と、後述する戸塚駅の交点の役割は実に大きい。そう、湘南新宿ラインの特徴としては、なんと言っても「横須賀線」を経由する事である。そして近年に開設された武蔵小杉も魅力的物件だ。品鶴線開業当時は無かった西大井を過ぎると武蔵小杉に到着するわけであるが、実にこの駅の役割は大きく機能している。今までこの駅がなかったのが不思議であるが、NEXなどを始めほぼ全ての列車が停車するのは実に便利であるが、他社との乗換には若干徒歩を要するのが難点である。だが、品鶴線開業当時(横須賀線分離運転時)から知る私にとてこの武蔵小杉の開業は実にサプライズだし、その当時は新川崎しか駅がなかった事を考えると着実に「旅客的」に進歩しているなとの印象である。

(武蔵小杉は品鶴線の中で一番新しい駅だ。南武線はもちろん、東急との乗換駅としてその役割は実に大きい。)
その武蔵小杉を過ぎると間もなく、固定資産税の支払いを心配してしまいそうな広大な土地が広がってくる。そう、ここが新川崎だ。かつては貨物路線として計画された品鶴線であることを象徴するかのように、周知の通り新鶴見操車場のすぐ横に設置されている駅である。1982年11月15日の上越新幹線開通の時のダイヤ改正の時に貨物列車が一気に整理されてしまった時に、ここ新鶴見もその機能をほぼ失ってしまった。現在、一部の土地は分譲されマンションなどになっているが、まだまだ他の部分は鉄道らしさが残る部分が多い。新川崎と言えば、南武線の鹿島田駅とかなりの至近距離にある。そう考えた場合、果たして駅の設置の意味があったのかと思ってしまう。むしろ武蔵小杉の方が条件的にも実にいいと思うのだが、当時の国鉄はそういう発想が無かったのかなと思ってしまう。そして「新川崎」というネームングも何やら怪しい感じだ。とは言え私の乗った列車は新川崎を通過、鶴見で東海道線と合流して横浜に着く。


(新鶴見はほとんど機能を失ったが、現在でも若干ながら機能しているみたいだ。とは言え、かつての盛栄は失われてしまい規模もかなり縮小された。)
横浜より先は、時刻表の地図上だとひとつの線になっているが、実はかなり離れた場所を走る場合もある保土ヶ谷~戸塚間である。特に分離運転の際に戸塚に東海道線が停車するようになったのが非常に大きい。その保土ヶ谷~戸塚間には東戸塚があるが、この駅も分離運転の際に開設された駅だ。分離運転前に私は散々この区間を通っているが「ここに駅ができますよ」という意味合いの予告看板がたっていた。実際に駅ができてからも通っていたが、なんというか山を切り開いて造ったため発展していくのにやや時間がかかった印象であった。区画整備はできているのだが、そこに建物などがなかなか建たずガラ~ンとした駅前の印象がしばらく続き、この先大丈夫なのかと子供ながらに心配してしまっていた。もちろん、現在はそんなかつての印象が想像できないくらいに建物がギッシリつまっているが、東戸塚駅付近にある横浜寄りのトンネル付近の景色は現在もほとんどかつての雰囲気が残るのが素敵だ。

(横浜を出ると相鉄と暫く併走する。そういえば相鉄もかつては多くの貨物を輸送していたが、現在は全くそんな素振りを見せないくらい面影がない。)

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コメント
新駅開業
すんや様
コメントありがとうございます。
品鶴(横須賀)線版武蔵小杉の出現はかなりの衝撃でしたね。しかもほぼ全ての列車が停車しますし。しかも成田空港まで乗り換えなしで行けるのが実に評判いいと思います。もちろんその存在は東急沿線の乗客も吸収しているでしょうが。
東戸塚は、かなり新百合ケ丘と変遷が類似していますね。しかし、新百合ケ丘は麻生区の区役所もできるなど、かなり発展の著しさを感じました。現在の利用者は本厚木とさほど変わらぬ数値であると聞いてますのでロマンスカーの停車もうなずけます。
東戸塚の現在はもちろん発展しきっていますが、東京寄りのトンネル付近は未だに昔の風景が残っています。
しかし、すんや様が鹿島田と新川崎での乗り換えを経験なされているとは・・・
品鶴(横須賀)線版武蔵小杉の出現はかなりの衝撃でしたね。しかもほぼ全ての列車が停車しますし。しかも成田空港まで乗り換えなしで行けるのが実に評判いいと思います。もちろんその存在は東急沿線の乗客も吸収しているでしょうが。
東戸塚は、かなり新百合ケ丘と変遷が類似していますね。しかし、新百合ケ丘は麻生区の区役所もできるなど、かなり発展の著しさを感じました。現在の利用者は本厚木とさほど変わらぬ数値であると聞いてますのでロマンスカーの停車もうなずけます。
東戸塚の現在はもちろん発展しきっていますが、東京寄りのトンネル付近は未だに昔の風景が残っています。
しかし、すんや様が鹿島田と新川崎での乗り換えを経験なされているとは・・・
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以前は南武線と連絡のため新川崎~鹿島田間を徒歩乗り換えしていたものです。
武蔵小杉で簡単に乗り換えできてしまうと、不便だった鹿島田の徒歩乗換えが懐かしくなったりもします。
東戸塚駅は私にとっては馴染みの薄い駅ではありますが、その成り立ちやその後の発展を見ると地元小田急線の新百合ヶ丘駅と似たものを感じます。
開業直後の何も無い駅前の様子など雰囲気は似ていたんでしょうね。