姿なき挑戦者⑮ L特急はつかり(前編)
2015-05-12
「はつかり」と言えば皆様はどういうイメージをお持ちであろうか?私的には上野~青森を走る583系の特急のイメージが強い。東北新幹線が開通してからは盛岡~青森に変更され新幹線連絡の役割を担っていた。私が「はつかり」に乗車した履歴を確認してみると、意外にも乗車回数が少なく、なんと1回であった!1983年に東北の旅をした際に何回か乗ったのかと思っていたが、なんと同じ年の北海道の旅の時、帰路での乗車が最初で最後であったようだ。
「はつかり」の歴史はネットなどで調べればすぐにわかる時代であるが、基本的には「東京VS北海道の連絡輸送」としてのスタートであった。1958年であるから私自身全くこの世に存在しなかったので「伝説」であるが、当時は航空機は現在ほど発達しておらず、当然ながら鉄道が主役の時代であった。そしてなんとSLというのだからなんとも考えられない話であるが・・・

(1983年8月、東北に訪れた際の「はつかり」。当時は東北新幹線が開通して1年が経過していた。1982年11月に上越新幹線が開通した時に全国的に大幅なダイヤ改正が行われ、この時にもうひとつのしもべ「たざわ」が誕生。「はつかり」とともに新幹線連絡特急として活躍した。)
東海道新幹線開通前は東海道線にはご存知「こだま」なる電車特急が運転されていた。だが、東北本線は黒磯以北の、いわゆる交流電車の開発にやや時間がかかり、全線複線化も併せて発展途上であった。福島、盛岡など電化区間が伸びるにつれ車両も順次置き換えられていった。SLからスタートしDL~DC~583系~485系へと進化していくのであるが、私の知っている頃は583系くらいからである。ただ、対北海道を意識していたため東北方面が利用しにくいらしかった。しかも少しでも早く青森に到着させるため常磐線経由であった。その不便さを解消させようと、後に「やまばと」「ひばり」などが誕生している。やがて常磐線経由は「みちのく」に譲り、自身は純粋に東北本線経由となって青森目指すことになった。そして1983年に私が乗車した時は盛岡~青森に区間が短縮され新幹線連絡の役割に全力を注ぐ姿になっていた。

(恐らく1978年~1980年頃であったと思う上野駅にて。「ひばり」「やまばと」は「はつかり」からの分家的存在である。だが、新幹線開業と同時に姿を消した。)
青函連絡船で未明の4時半に着いた青森駅から東京方面に向かう列車は今回紹介する「はつかり」のみの接続であったので必然的に乗らなければならなかった。私は「北海道ワイド周遊券」であったため、北海道内では特急列車も特急券無しで乗車できたが、行き、または帰りの経路は特急列車は別料金になってしまう・・・当時中学生の私はこの「ルール」がかなりの負担になってしまう印象であった。だが、接続する列車がないのだから仕方なく乗車した。いや、表現がよろしくないようだ。「仕方なく」というのは良くないかもしれない。とは言え、結果的に最初で最後の経験になったのだから実に貴重であった。しかも583系での運転である!当時は実に嬉しかったが、一般的にはリクライニングができないなど、基本的に「前近代的」な印象であったろう。

(写真はダイナミック✩トナカイより提供の583系バージョン「はつかり」。上記の写真と時期的に同じ頃であるが、場所も同じく盛岡にて。583系で座席運用の場合、我々レールファン的にはいいとして、一般の乗客からはリクライニングができないなど評価はイマイチであったようだ。「パン下」も関係ないし・・・)

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「はつかり」の歴史はネットなどで調べればすぐにわかる時代であるが、基本的には「東京VS北海道の連絡輸送」としてのスタートであった。1958年であるから私自身全くこの世に存在しなかったので「伝説」であるが、当時は航空機は現在ほど発達しておらず、当然ながら鉄道が主役の時代であった。そしてなんとSLというのだからなんとも考えられない話であるが・・・

(1983年8月、東北に訪れた際の「はつかり」。当時は東北新幹線が開通して1年が経過していた。1982年11月に上越新幹線が開通した時に全国的に大幅なダイヤ改正が行われ、この時にもうひとつのしもべ「たざわ」が誕生。「はつかり」とともに新幹線連絡特急として活躍した。)
東海道新幹線開通前は東海道線にはご存知「こだま」なる電車特急が運転されていた。だが、東北本線は黒磯以北の、いわゆる交流電車の開発にやや時間がかかり、全線複線化も併せて発展途上であった。福島、盛岡など電化区間が伸びるにつれ車両も順次置き換えられていった。SLからスタートしDL~DC~583系~485系へと進化していくのであるが、私の知っている頃は583系くらいからである。ただ、対北海道を意識していたため東北方面が利用しにくいらしかった。しかも少しでも早く青森に到着させるため常磐線経由であった。その不便さを解消させようと、後に「やまばと」「ひばり」などが誕生している。やがて常磐線経由は「みちのく」に譲り、自身は純粋に東北本線経由となって青森目指すことになった。そして1983年に私が乗車した時は盛岡~青森に区間が短縮され新幹線連絡の役割に全力を注ぐ姿になっていた。

(恐らく1978年~1980年頃であったと思う上野駅にて。「ひばり」「やまばと」は「はつかり」からの分家的存在である。だが、新幹線開業と同時に姿を消した。)
青函連絡船で未明の4時半に着いた青森駅から東京方面に向かう列車は今回紹介する「はつかり」のみの接続であったので必然的に乗らなければならなかった。私は「北海道ワイド周遊券」であったため、北海道内では特急列車も特急券無しで乗車できたが、行き、または帰りの経路は特急列車は別料金になってしまう・・・当時中学生の私はこの「ルール」がかなりの負担になってしまう印象であった。だが、接続する列車がないのだから仕方なく乗車した。いや、表現がよろしくないようだ。「仕方なく」というのは良くないかもしれない。とは言え、結果的に最初で最後の経験になったのだから実に貴重であった。しかも583系での運転である!当時は実に嬉しかったが、一般的にはリクライニングができないなど、基本的に「前近代的」な印象であったろう。

(写真はダイナミック✩トナカイより提供の583系バージョン「はつかり」。上記の写真と時期的に同じ頃であるが、場所も同じく盛岡にて。583系で座席運用の場合、我々レールファン的にはいいとして、一般の乗客からはリクライニングができないなど評価はイマイチであったようだ。「パン下」も関係ないし・・・)

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