男鹿駅の人情(前編)
2016-01-16
早いもので、このブログが開設されて3年が経過、もうすぐ4年が経とうとしている。そもそもこのブログを始めたきっかけは「過去の旅の記録を何らかの形で残そう!」とホームページを立ち上げたのがきっかけだ。そしてホームページでは旅の思い出を綴るとして「旅日記」という欄を設けた。最初は懐かしい思い出などを書いていたが、そのうち容量が足りなくなってきたため旅日記をブログという形で「分社化」させた。その後ブログは一人歩きしていき独立、とうとうそちらが主体となってしまって現在に至っている。

(私の本棚を若干紹介しよう。こんな書物が棚の奥と手前で全巻揃っているが、私にとってこれは最大の資料である。ただ、せっかく写真を撮るなら順番的に並べれば良かったが・・・)
現在では1日100件前後のアクセスがあり大変嬉しい限りである。この場を借りてお礼を申し上げよう。基本的に私はレールファン歴にブランクが存在する。1985年~2006年くらいまでであるが、その間の記事がこのブログには殆ど登場しない。なので私の記事は1980年代前半か現在になってしまう。
最近は駅訪問の記事が多くなってきたが、基本的に私はVVVFインバーターがどうしたとかデジタルATSがどうのとかというのは不得手な方だ。どちらかというと「夜行列車」「駅」などのカテゴリーを最も得意とするのはご覧になっていてお分かりであろう。

(時刻表も1982年から毎年購入していた。1970年代のものは古本屋で購入したものであるが、1990年代は1998年まで空白がある。レールファンは1985~2006年まで休業していたが、その間も時刻表だけは購入していた。)
そんな事から今回は私が最も得意とする「1983年東北」を紹介しよう。先述したが、最近は駅訪問的な記事が目立って多くなってきたため、私が体験した国鉄時代の旅の模様を久々にご覧になりたい方もいらっしゃる事であろう。そんな思いもあり若干引き出しを開けてみた。とは言うものの、もう30年以上も前の話なので記憶も薄い印象であるが、今でも鮮明に覚えている事柄でもある今回の男鹿線。この地に訪問したのは私がまだ中学3年生であった時だ。しかも気持ち的にはややブルーになっていた。その意味は次回に紹介するが、基本的に私は駅寝を嫌う、みたいな事である・・・
という事で私の男鹿線初訪は1983年であった。旅の行程においては最終日前日であった。時間帯的には既に夜である。そんな男鹿線の印象は殆ど無いに等しいが、今でも鮮明に覚えている事柄がある。それは・・・

(1983年年10月に北海道初上陸を果たしたが、その1年前に、今で言う(というより昔からであるが)「通販」で購入した時刻表の北海道内版。いわゆる仮乗降場などが全駅掲載されており、当時はものすごい貴重な資料となった。ただ、当時は北海道への旅は断念し東北にシフトしたのは既にこのブログで述べているが、その事がかえってラッキーだったのかも知れない。)

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村

(私の本棚を若干紹介しよう。こんな書物が棚の奥と手前で全巻揃っているが、私にとってこれは最大の資料である。ただ、せっかく写真を撮るなら順番的に並べれば良かったが・・・)
現在では1日100件前後のアクセスがあり大変嬉しい限りである。この場を借りてお礼を申し上げよう。基本的に私はレールファン歴にブランクが存在する。1985年~2006年くらいまでであるが、その間の記事がこのブログには殆ど登場しない。なので私の記事は1980年代前半か現在になってしまう。
最近は駅訪問の記事が多くなってきたが、基本的に私はVVVFインバーターがどうしたとかデジタルATSがどうのとかというのは不得手な方だ。どちらかというと「夜行列車」「駅」などのカテゴリーを最も得意とするのはご覧になっていてお分かりであろう。

(時刻表も1982年から毎年購入していた。1970年代のものは古本屋で購入したものであるが、1990年代は1998年まで空白がある。レールファンは1985~2006年まで休業していたが、その間も時刻表だけは購入していた。)
そんな事から今回は私が最も得意とする「1983年東北」を紹介しよう。先述したが、最近は駅訪問的な記事が目立って多くなってきたため、私が体験した国鉄時代の旅の模様を久々にご覧になりたい方もいらっしゃる事であろう。そんな思いもあり若干引き出しを開けてみた。とは言うものの、もう30年以上も前の話なので記憶も薄い印象であるが、今でも鮮明に覚えている事柄でもある今回の男鹿線。この地に訪問したのは私がまだ中学3年生であった時だ。しかも気持ち的にはややブルーになっていた。その意味は次回に紹介するが、基本的に私は駅寝を嫌う、みたいな事である・・・
という事で私の男鹿線初訪は1983年であった。旅の行程においては最終日前日であった。時間帯的には既に夜である。そんな男鹿線の印象は殆ど無いに等しいが、今でも鮮明に覚えている事柄がある。それは・・・

(1983年年10月に北海道初上陸を果たしたが、その1年前に、今で言う(というより昔からであるが)「通販」で購入した時刻表の北海道内版。いわゆる仮乗降場などが全駅掲載されており、当時はものすごい貴重な資料となった。ただ、当時は北海道への旅は断念し東北にシフトしたのは既にこのブログで述べているが、その事がかえってラッキーだったのかも知れない。)

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
No title
あいあんさいど様
コメントありがとうございます。
原田氏・宮脇氏監修のご覧の書籍「駅」は今となっては大変貴重なものとなってしまいました。特に国鉄版では、今は亡きローカル線の配線が詳細にひと駅ひと駅記されており、今の私が見ても大変興味深いです。
そして時刻表ですが、交通公社版は、実は中学に入ってから愛用し始めたもので、それまでは弘済出版社の「大時刻表」でした。中学ではクラブ活動で教諭などか交通公社版を使用していたのでなんとなくそちらにシフトしてしまい現在に至っています。
そして道内時刻表は、北海道限定の時刻表で現地でしか購入できないという事に、逆に興味をそそられてしまいました。まだ子供だったのでどうやって手に入れていいかわからなかったのですが、確か種村直樹氏の著書で購入方法を知り早速購入しました。現地の交通公社に代金と返信用の切手を同封したのを覚えてます。そして代金ですが「切手代用可」だったので現金封書ではなかったのですが、現在でも「切手代用可」みたいな通販てあるのでしょうか?何せインターネットの時代ですからね。
道内時刻表は以降ヤミツキになり、後年にご覧の他にもう一冊購入してしまいました。
原田氏・宮脇氏監修のご覧の書籍「駅」は今となっては大変貴重なものとなってしまいました。特に国鉄版では、今は亡きローカル線の配線が詳細にひと駅ひと駅記されており、今の私が見ても大変興味深いです。
そして時刻表ですが、交通公社版は、実は中学に入ってから愛用し始めたもので、それまでは弘済出版社の「大時刻表」でした。中学ではクラブ活動で教諭などか交通公社版を使用していたのでなんとなくそちらにシフトしてしまい現在に至っています。
そして道内時刻表は、北海道限定の時刻表で現地でしか購入できないという事に、逆に興味をそそられてしまいました。まだ子供だったのでどうやって手に入れていいかわからなかったのですが、確か種村直樹氏の著書で購入方法を知り早速購入しました。現地の交通公社に代金と返信用の切手を同封したのを覚えてます。そして代金ですが「切手代用可」だったので現金封書ではなかったのですが、現在でも「切手代用可」みたいな通販てあるのでしょうか?何せインターネットの時代ですからね。
道内時刻表は以降ヤミツキになり、後年にご覧の他にもう一冊購入してしまいました。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/537-f3a4caf7
時刻表といえば、私も「交通公社」派です。かつては駅でもこれだったような気がしましたが、「見やすい二色刷り」を謳うものにとって替えられた時には、本気で悲しくなりました。
それはともかく、道内版というのがあったのは初めて知りましたが、1982年というとまだローカル線も多数存在していた頃ですね。全駅載っているというのは確かに大きいですし、何よりこういうピンポイントなものが通販で出ていたというのは、「それだけ回りづらいから覚悟なさい」ということもあってのことなんでしょうか。まさに今は昔の世界ですね。