1983年3月、松浦鉄道ではなく国鉄松浦線を体験した時の事を記してみた(後編)
2015-07-02
そんな事、当時の中学生が知る由もなく、ただただ時間だけが過ぎていった。ただ、気がかりだったのが、この列車が佐世保に着くのが21時45分。乗り換える夜行列車「ながさき」は翌日の0時30分であったので約3時間待ちであった!現在の私であるならば、事前にインターネットで「旨い店」を検索し、地魚などで一杯嗜んでいた事であろう。だが、当時はそんな事が全く分からなく、そして事前準備も知識もない。ただひたすら待合室で待つのだろうなぁ・・・などと計画段階からわかっていた。というより、中学生だから「旨い店」で過ごしてはいけないであろうが・・・


(今回の記事の写真は全て「プラットホームの旅」よりご提供いただきました。私の訪問とほぼ同時期くらいの松浦駅。私の訪問は夜であったが、こうして昼間の画像を見てみると、またひと味違った雰囲気を醸し出している。)
そんな列車は海岸線を走り、さぞかし景色が素敵だろうなぁと思われるであろうが、そう、私の乗った列車は「最終列車」である。窓の外は何も見えない、というより真っ暗・・・ただひたすら佐世保に着く時間を待つしかなかった。いや、佐世保についても更に3時間近く列車を待たなければならない!これは完全に神に与えられた試練であろう、そう自分に言い聞かせるしかなかった。


(同じく平戸口も同じような「昭和」「国鉄」の雰囲気を醸し出している。写真は「プラットホームの旅」より。
そんな中、ある事件が起こった。確か松浦であったと思うが、私は用を足そうと列車内の化粧室に入った。すると・・・なんと便器に腕時計を落としてしまったのだ! ウワ━(。・ω・)ァァ━・゚・ しかもデジタルだ!私はすぐさま車掌に報告した。すると・・列車の下から時計を取ってきてくれたのだ。ありがとうございます!停車時間が6分くらいあったのでそれもラッキーであった。そう、かつて列車に設置されていたWCは、いわゆる「垂れ流し」であったため便器と線路が「直通」なのであった。その事も追い風になり、時計を紛失せずに済んだのだ。


(佐世保駅も同じく「プラットホームの旅」よりの写真。とても広い待合室で、私は夜行普通列車「ながさき」に乗車するため約3時間程待った。というより、佐世保発は「ながさき」の愛称は無く「4420」という列車番号のみの表現であった。)
やたら「時間との戦い」となったこの松浦線であったが、この車掌の温かさが「旅情」を誘うキッカケとなった。佐世保駅で私は何をしていたのであろう。ハッキリ言って記憶にないが、この車掌の件は非常に鮮明に記憶に残っている。そんな事を考えながら、出発15分前まで開かない改札を見つめ「ながさき」を待つ自分の姿を、今の自分が頭の中に描いていた。
この記事の写真は全て「プラットホームの旅」の管理人様でいらっしゃるmassi1様にご協力いただきました。心から感謝致します。

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そんな列車は海岸線を走り、さぞかし景色が素敵だろうなぁと思われるであろうが、そう、私の乗った列車は「最終列車」である。窓の外は何も見えない、というより真っ暗・・・ただひたすら佐世保に着く時間を待つしかなかった。いや、佐世保についても更に3時間近く列車を待たなければならない!これは完全に神に与えられた試練であろう、そう自分に言い聞かせるしかなかった。


(同じく平戸口も同じような「昭和」「国鉄」の雰囲気を醸し出している。写真は「プラットホームの旅」より。
そんな中、ある事件が起こった。確か松浦であったと思うが、私は用を足そうと列車内の化粧室に入った。すると・・・なんと便器に腕時計を落としてしまったのだ! ウワ━(。・ω・)ァァ━・゚・ しかもデジタルだ!私はすぐさま車掌に報告した。すると・・列車の下から時計を取ってきてくれたのだ。ありがとうございます!停車時間が6分くらいあったのでそれもラッキーであった。そう、かつて列車に設置されていたWCは、いわゆる「垂れ流し」であったため便器と線路が「直通」なのであった。その事も追い風になり、時計を紛失せずに済んだのだ。


(佐世保駅も同じく「プラットホームの旅」よりの写真。とても広い待合室で、私は夜行普通列車「ながさき」に乗車するため約3時間程待った。というより、佐世保発は「ながさき」の愛称は無く「4420」という列車番号のみの表現であった。)
やたら「時間との戦い」となったこの松浦線であったが、この車掌の温かさが「旅情」を誘うキッカケとなった。佐世保駅で私は何をしていたのであろう。ハッキリ言って記憶にないが、この車掌の件は非常に鮮明に記憶に残っている。そんな事を考えながら、出発15分前まで開かない改札を見つめ「ながさき」を待つ自分の姿を、今の自分が頭の中に描いていた。
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コメント
3時間あったらちょっと一杯!
すんや様
コメントありがとうございます。
私の今回紹介している旅ですが、既に30年以上前の時代なので今ほどコンビニなども発達しておりませんしインターネットなど皆無の時代でしたから、増して携帯電話など遥か彼方の「未来」だったので情報が限られ、そして狭い範囲でしか得られませんでしたね。逆に、そんな時代だったからこそのアナログ的な旅が出来たのかも知れません。
飯山線にて紛失なされたデジタルは非常に残念でしたね。私の場合、そのデジタルで後に東北を巡る事になるわけですが、その旅はご存知のように波乱万丈の旅でした。が、お陰で今も非常に印象に残ってます。やはり時計にウンをもらったのでしょうか・・・
私の今回紹介している旅ですが、既に30年以上前の時代なので今ほどコンビニなども発達しておりませんしインターネットなど皆無の時代でしたから、増して携帯電話など遥か彼方の「未来」だったので情報が限られ、そして狭い範囲でしか得られませんでしたね。逆に、そんな時代だったからこそのアナログ的な旅が出来たのかも知れません。
飯山線にて紛失なされたデジタルは非常に残念でしたね。私の場合、そのデジタルで後に東北を巡る事になるわけですが、その旅はご存知のように波乱万丈の旅でした。が、お陰で今も非常に印象に残ってます。やはり時計にウンをもらったのでしょうか・・・
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この試練が後に役立つ時が来るのをこの時は知る由も無いダイヤモンド☆トナカイさんであったw
私もこの頃ALBAのデジタル腕時計買ってもらいましたよ。
乱数計とかスロット機能が面白くてよく遊んでましたっけ。
その時計は飯山線の列車内に置き忘れて無くしましたけど(泣)
夜中だったのに便器を通った腕時計を見つけてくれるとは、車掌さんには感謝感激、ウンが良かったですね!