レールファン復活後、初の北海道遠征③
2019-07-05
そういえば、私がかつて勤めていた会社に室蘭出身の人がいた。その人は郷ひろみと年齢的に同じくらいなので私よりも10年以上も先輩である。とある日、私は通常の会話の中で「出身はどちらですか?」的な会話をしていた。「北海道です」との事なので「北海道はどちらで?」と振ると「室蘭」という答えが返ってきた。「あぁ、昔は石炭輸送でSLとか活躍していてすごかったみたいですね」と言ったら「えっ、随分詳しいね」と驚きを隠せない表情をしていた。室蘭と言って、まさか自身の幼少時代の事を言われるとは思わなかったのであろう。そう、年代的には石炭積出で清栄していた頃はまだまだ物心付きかけた頃であったろう。
私が小学校に入学する頃には追分でSL最後の活躍が見られた時代であった。というより、私が物心着いた頃には既にSLという機関車自体馴染みのないものであったし生活の一部からは既に遠ざかっていた時代でもあった。やはり10年も年の差があると経験する数もかなり違うなと染み染み実感した時でもあった。

(室蘭駅の駅舎は現在4代目と聞いた。何回か移転を繰り返し多くの変遷があると聞いているが、やはり「黒ダイヤ」時代の清栄に比べたらかなりひっそりとした印象であろう。)
そんな室蘭も、時代が変わり役目も変わった。多くの変遷があり駅舎も何回か建て替えられたようであるが、駅構内はとにかく昔の面影が伝わってくるくらい広い。が、とにかく「昔は線路があったんだろうな」的な空間がほとんどであった。そしてかつては線路があったと思われる空間には商業施設や駐車場にも変身していた。土地の有効利用的な面においては実に実用的ではあるが、ある意味、そういう姿になっている事だけでも既に鉄道は「主役」の時代ではない事を察する。

(同じく室蘭にて撮影。駅周辺はかなり広い空間が存在し商業施設などが誕生しているが、その空間は、かつてレールが沢山敷かれていたであろう事が容易に推測できる。)
そういえば東室蘭~室蘭は既に複線化されているが、これも石炭時代の名残である。現在では単線でも充分に機能すると思われるが、あえて複線のまま現在も維持しているのがいい。だが、この区間を走る列車は現在全て普通列車である。とは言え、例えば特急列車の車両も普通列車としてこの区間を乗り入れてくるため、タイミングが良ければ優雅な気分で移動できるかも知れない。
そしてこの区間で忘れてはいけないのが、レールファンにはお馴染みの母恋駅の存在であろう。お馴染みの駅弁は、蓋を開けると大きな北寄(ホッキ)貝が必要以上にアピールしてくる。北寄貝と言えば、青森県の三沢でも大々的にアピールしているが、こちらの母恋も負けてはいないであろう。つい先日も、某路線バスの旅でその模様が放送され「健在」である事が確認できた。

(1983年10月に訪問した際の札幌駅風景。被写体は「ライラック」であるが、当時は地上駅時代であったのは先述通りである。この旅では札幌駅で約4時間の列車待ち合わせがあったが、インターネットなど発達していない時代であったので事前調査などできず、ただただ駅で過ごすという時間が過ぎていった。とは言え当時は中学生であったので「レール」にしか興味なかったが・・・)
そんな私は、実はタイミングよく特急列車の車両での普通列車でこの区間を乗車していた。つまり室蘭から直接札幌に向かえてしまうのだ。久々に見る苫小牧や、1983年訪問時は「千歳空港」であった南千歳を通り過ぎ終点の札幌に到着。今回の宿泊地として既に予定してる。1983年訪問時は地上駅であったが、既に高架駅に生まれ変わっていた。とは言え、高架駅の札幌駅は今回の訪問が初めてではなく、実は1993年に社員旅行で訪問しているので既に免疫が出来上がっていた。というより1983年の訪問時が国鉄として、そして地上駅としての最初で最後の訪問であった。当時は廃止される報告を受けた白糠線制覇のために訪れたのであるが、その事で貴重な副産物が付いてきたわけだ。社員旅行の時に訪問した札幌駅は、地上時代に比べ全体がやや後退した印象でかなりスリムになっていた。そして旧・駅舎と新しい現在の高架駅との間には更地的な空間があり、ひと目で生まれ変わったなという雰囲気が伝わってきた。もちろん、現在のその空間は周知の通りである。今回の旅で訪れた札幌駅であるが、北海道の中心駅らしく実に機能的に、そして堂々とした「主(あるじ)」の姿は、とても逞しく凛々しい印象でもあった。

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私が小学校に入学する頃には追分でSL最後の活躍が見られた時代であった。というより、私が物心着いた頃には既にSLという機関車自体馴染みのないものであったし生活の一部からは既に遠ざかっていた時代でもあった。やはり10年も年の差があると経験する数もかなり違うなと染み染み実感した時でもあった。

(室蘭駅の駅舎は現在4代目と聞いた。何回か移転を繰り返し多くの変遷があると聞いているが、やはり「黒ダイヤ」時代の清栄に比べたらかなりひっそりとした印象であろう。)
そんな室蘭も、時代が変わり役目も変わった。多くの変遷があり駅舎も何回か建て替えられたようであるが、駅構内はとにかく昔の面影が伝わってくるくらい広い。が、とにかく「昔は線路があったんだろうな」的な空間がほとんどであった。そしてかつては線路があったと思われる空間には商業施設や駐車場にも変身していた。土地の有効利用的な面においては実に実用的ではあるが、ある意味、そういう姿になっている事だけでも既に鉄道は「主役」の時代ではない事を察する。

(同じく室蘭にて撮影。駅周辺はかなり広い空間が存在し商業施設などが誕生しているが、その空間は、かつてレールが沢山敷かれていたであろう事が容易に推測できる。)
そういえば東室蘭~室蘭は既に複線化されているが、これも石炭時代の名残である。現在では単線でも充分に機能すると思われるが、あえて複線のまま現在も維持しているのがいい。だが、この区間を走る列車は現在全て普通列車である。とは言え、例えば特急列車の車両も普通列車としてこの区間を乗り入れてくるため、タイミングが良ければ優雅な気分で移動できるかも知れない。
そしてこの区間で忘れてはいけないのが、レールファンにはお馴染みの母恋駅の存在であろう。お馴染みの駅弁は、蓋を開けると大きな北寄(ホッキ)貝が必要以上にアピールしてくる。北寄貝と言えば、青森県の三沢でも大々的にアピールしているが、こちらの母恋も負けてはいないであろう。つい先日も、某路線バスの旅でその模様が放送され「健在」である事が確認できた。

(1983年10月に訪問した際の札幌駅風景。被写体は「ライラック」であるが、当時は地上駅時代であったのは先述通りである。この旅では札幌駅で約4時間の列車待ち合わせがあったが、インターネットなど発達していない時代であったので事前調査などできず、ただただ駅で過ごすという時間が過ぎていった。とは言え当時は中学生であったので「レール」にしか興味なかったが・・・)
そんな私は、実はタイミングよく特急列車の車両での普通列車でこの区間を乗車していた。つまり室蘭から直接札幌に向かえてしまうのだ。久々に見る苫小牧や、1983年訪問時は「千歳空港」であった南千歳を通り過ぎ終点の札幌に到着。今回の宿泊地として既に予定してる。1983年訪問時は地上駅であったが、既に高架駅に生まれ変わっていた。とは言え、高架駅の札幌駅は今回の訪問が初めてではなく、実は1993年に社員旅行で訪問しているので既に免疫が出来上がっていた。というより1983年の訪問時が国鉄として、そして地上駅としての最初で最後の訪問であった。当時は廃止される報告を受けた白糠線制覇のために訪れたのであるが、その事で貴重な副産物が付いてきたわけだ。社員旅行の時に訪問した札幌駅は、地上時代に比べ全体がやや後退した印象でかなりスリムになっていた。そして旧・駅舎と新しい現在の高架駅との間には更地的な空間があり、ひと目で生まれ変わったなという雰囲気が伝わってきた。もちろん、現在のその空間は周知の通りである。今回の旅で訪れた札幌駅であるが、北海道の中心駅らしく実に機能的に、そして堂々とした「主(あるじ)」の姿は、とても逞しく凛々しい印象でもあった。

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コメント
風旅記様
コメントありがとうございます。
コメントしていただいた通り、かつては相当の賑わいを魅せてくれていた事でしょう。実際に私も、記事にある様に職場では室蘭出身の方がおられて、私がその人に話をした際には驚きを隠せずにいました。私の室蘭駅訪問は今回紹介してる旅が初訪なので、かつての姿の実体験がありません。が、やはり鉄道は「石炭」というキーワードは切っても切れない縁なのでしょうね。
そして何より、「東室蘭までの複線に車窓を眺めれば、静かな途中駅があったり」と、おっしゃるように、それこそ一般的には「母恋」でしょう。つい最近も、あの「路線バス乗り継ぎの~」的な番組で放送されましたが、母恋の「北寄貝(ホッキ貝)」は実にいいですね、って、太川陽介も言っていますが・・・
実際に、東室蘭~室蘭間は恐らく現在は単線でも充分営業できると思いますが、あえて複線を保っているあたりが実にいいですね。
我々が何気なく現在見ている鉄道風景も、そのひとつひとつに歴史が存在する事を忘れてはならない思いにさせてくれるような・・・そんな存在の室蘭ではないでしょうか?ちなみに、一応「本線」ですから・・・
コメントしていただいた通り、かつては相当の賑わいを魅せてくれていた事でしょう。実際に私も、記事にある様に職場では室蘭出身の方がおられて、私がその人に話をした際には驚きを隠せずにいました。私の室蘭駅訪問は今回紹介してる旅が初訪なので、かつての姿の実体験がありません。が、やはり鉄道は「石炭」というキーワードは切っても切れない縁なのでしょうね。
そして何より、「東室蘭までの複線に車窓を眺めれば、静かな途中駅があったり」と、おっしゃるように、それこそ一般的には「母恋」でしょう。つい最近も、あの「路線バス乗り継ぎの~」的な番組で放送されましたが、母恋の「北寄貝(ホッキ貝)」は実にいいですね、って、太川陽介も言っていますが・・・
実際に、東室蘭~室蘭間は恐らく現在は単線でも充分営業できると思いますが、あえて複線を保っているあたりが実にいいですね。
我々が何気なく現在見ている鉄道風景も、そのひとつひとつに歴史が存在する事を忘れてはならない思いにさせてくれるような・・・そんな存在の室蘭ではないでしょうか?ちなみに、一応「本線」ですから・・・
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室蘭駅、今では1面2線の小さな駅ですが、その先にある前の時代の木造駅舎を見ると、往時の賑わい、活況が眼に浮かぶようです。
東室蘭までの複線に車窓を眺めれば、静かな途中駅があったり、貨物のターミナルがあったりと、飽きる間も無く過ぎてしまいます。
海を眺めながら、港の周りに張り巡らされていたであろう線路を想像し、北海道の鉄道は本当に小さくなってしまったと実感するのでした。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc