夕張線への招待②(リメイク版)
2012-12-24
昭和56年10月、石勝線が開通した。この出来事は当時中学生の私には非情に斬新で、サプライズであった。事前情報無しに時刻表にいきなり新線が載っているというのは実に困惑する。何せ、イチ石炭輸送路線が、道東アクセス幹線に変身してしまったのであるから・・・私は白糠線廃止情報と共に制覇の予定を企てた際、夕張線改め石勝線の実態を確認すべく予定を組み込んだ。

苫小牧より夕張線時代の名残のあるダイヤ編成で追分で乗り換えせず直通で夕張へ行ける列車が設定されていたのだが、その列車にあえて乗り込み一気に夕張まで向った。途中新夕張では、廃止となった旧「紅葉山」が残骸をとどめていたのだが、後ほど散策を予定している。まずは夕張へ。夕張駅は現在までに2回移転したのだが、私の行ったのは「第1次」である。現在の第3次駅は、Mt.レースイスキー場の目の前である。炭坑の町からの脱皮を目指し、復興に意欲的な町の姿勢に好感を持てるが、現実はかなり厳しいようである。折り返し新夕張に戻る際に、清水沢では「三菱石炭鉱業」の列車が接続していたが、乗車チャンスが無く非情に残念であった。新夕張に戻り、周遊券を改札で見せて「紅葉山」に向った。既に駅名表や屋根などは無く、ホームだけが残骸をとどめ、レールの無い地面には水溜りが所々にあり、痛々しい表情をしていたが、私の訪れた時間は19時。暗闇に包まれた「駅前一等地」は活気も無くひっそりとしていた。「新駅」に戻り、今度は楓に向う。かつては「登川支線」などといわれ石炭輸送列車も数多く走っていたが、石勝線開通直前に廃止されてしまった。そして旧楓と登川の中間くらいの位置に「新」楓が設置された。新楓は本線の他に普通列車用の独立ホームがありそこへ単行列車が発着する。本線上のホームは旅客扱いせず、信号場扱いとなっている。2004年に旅客扱いを廃止し、完全に信号場となってしまった。本線上のホームには、過去に何回か旅客扱いした記録があるみたいなので、是非体験してみたかったのだが・・・さて、折り返す列車は私一人を乗せ暗闇をすり抜けていった。新夕張で乗り換え再び苫小牧に戻り、札幌から「まりも」に乗り白糠目指した。

途中、深夜に石勝線を通過するのだが、暗闇で景色も見れず、新得で「いい旅チャレンジ20000Km」の証明写真を撮影したのが深夜2時頃であった。しかしこれでは新線区間と新駅が確認できないのでとりあえずこの後白糠線制覇後の札幌に戻る際に再び石勝線を通るため、楽しみはここに取っておいた。白糠線制覇後、釧路より「おおぞら」に乗り予定通り石勝線へ。まずは「石勝高原」。現在は「トマム」と改称し、リゾート地としてその名を馳せ「ツインタワー」たる堂々とした巨頭が聳え立つものの、当時は何もない無人地帯であった。そして次の「占冠」では若干の乗客があった!当時は駅弁も販売しており、村民の期待が込められていた。とにかくこの辺りは山深い。集落と呼べるほどの集落がなく、とにかく付近は山ばかりである。偶然私は紅葉の季節に行ったので、列車に乗りながらにして「紅葉狩り」を堪能した感じであったが、鉄道少年には季節感など関係ない!新駅と、途中の信号場が気になって仕方なかった。夕張線の本線であった新夕張~夕張間は完全に支線に転落し、新線区間との差は歴然であった。新線区間と本線の追分~新夕張間は最新の鉄道技術を惜しみなく投入し、ポイント部にはスノーシェルターが設置され雪からポイントを保護し、CTC制御によりポイントを遠隔操作。PC枕木やカーブを少なくするためトンネルが多い。勿論旧「本線」は改良されておらず、夕張という名の地が「時代」を反映させてるように思えてならなかった。

それから約10年後の1993年1月、私はバイト先のスキー旅行に参加、行き先は北海道となった。3日目は各自自由行動であったため、私は迷わず「トマム」を目指した。朝1番でホテルを出て、札幌発「おおぞら」に乗り込む。勿論自由席であるが、スキー板など重装備であったためかなり周囲に迷惑を掛けたと思う。しかしそれほどの混雑ではなかったのでとりあえず一安心。札幌~千歳空港間でもバリバリ大自然があり、北の大地の壮大さを思い知らされた。そしてすっかり面目を一新した「トマム」に到着。長い連絡通路を渡り「インフォメーションセンター」なるものが登場し、そこからシャトルバスに乗りスキー場へ向った。初心者には優しそうななだらかな斜面が多く、ビギナーにお勧めのスキー場であるが、何と言っても「ツインタワー」なる「象徴」が圧巻。若者を中心に人気が高いのには大納得である。私自身「いつか必ず・・・」の思いが胸を掠めたのであった。帰りは降雪の影響で約40分遅れの特急列車に乗り千歳空港に向った。先ほどまで目の前に大きく聳え立っていた「ツインタワー」はガラス越しに小さくなって行った。途中「占冠」では、小学生ばかり4~5人乗車があり、普通列車の設定が無い区間での「普通列車」でどこへ行くのか・・・とにかく「利用」されているのがなにより嬉しかった。南千歳で乗り換え、新千歳空港駅に着いたが、40分の遅れで、一時はどうなるかと思った。結果的に間に合い、団体行動の秩序を乱すことなく、平和に湘南地区に舞い戻ることが出来た。

それから更に15年、三度(みたび)石勝線を訪れる事となった。今度は北海道の未乗線区の制覇のための宿泊地としてあえて「トマム」を選択したのであった。2009年3月、新得より5分遅れの特急に乗り、雪の舞い散るトマムのホームに足を踏み入れた。懐かしさに浸る間もなく、シャトルバスの乗務員がホームまでお出迎え。以前とは違うサービス振りである。考えてみたら、前回はバブル景気の絶頂期。丁度リゾートやらが流行った時代でもあった。しかし時代は流れ、近年では「デフレ・スパイラル」などと紙面を賑わせて久しいが、そんな中、トマムも民事再生で生き残りをかけている。そして従業員や村が一丸となってトマムを盛り上げているではないか!私は心を打たれながら、密かな夢であった「ツインタワー」に向った。想像していた通り、リゾートの名に相応しい佇まいであった。ホテル内にはコンビニもどきの様な店で弁当が3割引とかで値引販売していた。「旭川でわざわざ買わなければ良かったな~」などと、若干日常の生活染みた気持ちが顔を覗かせてしまった。

翌朝、再びシャトルバスでトマムに戻り、列車到着まで駅を堪能した。近い将来ライバルになるであろう建設中の高速道路が見えた。しかし付近には民家が見当たらず、スキー場が無ければほぼ無人地帯であろう。しかしここから乗る列車はなぜか清々しい。リゾートホテルをビジネスホテル代わりに利用するとは何とも贅沢であったが、わざわざやって来た甲斐があったというものだ。この日の予定では、一気に根室まで行く事になっている。「鉄道に乗るための旅」なのに、すっかりリゾート気分に浸ってしまった感のある「夕張線」の新線区間。銀世界のツインタワーを15年振りに見送り、憧れていた「苫鵡」を後にした。

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苫小牧より夕張線時代の名残のあるダイヤ編成で追分で乗り換えせず直通で夕張へ行ける列車が設定されていたのだが、その列車にあえて乗り込み一気に夕張まで向った。途中新夕張では、廃止となった旧「紅葉山」が残骸をとどめていたのだが、後ほど散策を予定している。まずは夕張へ。夕張駅は現在までに2回移転したのだが、私の行ったのは「第1次」である。現在の第3次駅は、Mt.レースイスキー場の目の前である。炭坑の町からの脱皮を目指し、復興に意欲的な町の姿勢に好感を持てるが、現実はかなり厳しいようである。折り返し新夕張に戻る際に、清水沢では「三菱石炭鉱業」の列車が接続していたが、乗車チャンスが無く非情に残念であった。新夕張に戻り、周遊券を改札で見せて「紅葉山」に向った。既に駅名表や屋根などは無く、ホームだけが残骸をとどめ、レールの無い地面には水溜りが所々にあり、痛々しい表情をしていたが、私の訪れた時間は19時。暗闇に包まれた「駅前一等地」は活気も無くひっそりとしていた。「新駅」に戻り、今度は楓に向う。かつては「登川支線」などといわれ石炭輸送列車も数多く走っていたが、石勝線開通直前に廃止されてしまった。そして旧楓と登川の中間くらいの位置に「新」楓が設置された。新楓は本線の他に普通列車用の独立ホームがありそこへ単行列車が発着する。本線上のホームは旅客扱いせず、信号場扱いとなっている。2004年に旅客扱いを廃止し、完全に信号場となってしまった。本線上のホームには、過去に何回か旅客扱いした記録があるみたいなので、是非体験してみたかったのだが・・・さて、折り返す列車は私一人を乗せ暗闇をすり抜けていった。新夕張で乗り換え再び苫小牧に戻り、札幌から「まりも」に乗り白糠目指した。

途中、深夜に石勝線を通過するのだが、暗闇で景色も見れず、新得で「いい旅チャレンジ20000Km」の証明写真を撮影したのが深夜2時頃であった。しかしこれでは新線区間と新駅が確認できないのでとりあえずこの後白糠線制覇後の札幌に戻る際に再び石勝線を通るため、楽しみはここに取っておいた。白糠線制覇後、釧路より「おおぞら」に乗り予定通り石勝線へ。まずは「石勝高原」。現在は「トマム」と改称し、リゾート地としてその名を馳せ「ツインタワー」たる堂々とした巨頭が聳え立つものの、当時は何もない無人地帯であった。そして次の「占冠」では若干の乗客があった!当時は駅弁も販売しており、村民の期待が込められていた。とにかくこの辺りは山深い。集落と呼べるほどの集落がなく、とにかく付近は山ばかりである。偶然私は紅葉の季節に行ったので、列車に乗りながらにして「紅葉狩り」を堪能した感じであったが、鉄道少年には季節感など関係ない!新駅と、途中の信号場が気になって仕方なかった。夕張線の本線であった新夕張~夕張間は完全に支線に転落し、新線区間との差は歴然であった。新線区間と本線の追分~新夕張間は最新の鉄道技術を惜しみなく投入し、ポイント部にはスノーシェルターが設置され雪からポイントを保護し、CTC制御によりポイントを遠隔操作。PC枕木やカーブを少なくするためトンネルが多い。勿論旧「本線」は改良されておらず、夕張という名の地が「時代」を反映させてるように思えてならなかった。

それから約10年後の1993年1月、私はバイト先のスキー旅行に参加、行き先は北海道となった。3日目は各自自由行動であったため、私は迷わず「トマム」を目指した。朝1番でホテルを出て、札幌発「おおぞら」に乗り込む。勿論自由席であるが、スキー板など重装備であったためかなり周囲に迷惑を掛けたと思う。しかしそれほどの混雑ではなかったのでとりあえず一安心。札幌~千歳空港間でもバリバリ大自然があり、北の大地の壮大さを思い知らされた。そしてすっかり面目を一新した「トマム」に到着。長い連絡通路を渡り「インフォメーションセンター」なるものが登場し、そこからシャトルバスに乗りスキー場へ向った。初心者には優しそうななだらかな斜面が多く、ビギナーにお勧めのスキー場であるが、何と言っても「ツインタワー」なる「象徴」が圧巻。若者を中心に人気が高いのには大納得である。私自身「いつか必ず・・・」の思いが胸を掠めたのであった。帰りは降雪の影響で約40分遅れの特急列車に乗り千歳空港に向った。先ほどまで目の前に大きく聳え立っていた「ツインタワー」はガラス越しに小さくなって行った。途中「占冠」では、小学生ばかり4~5人乗車があり、普通列車の設定が無い区間での「普通列車」でどこへ行くのか・・・とにかく「利用」されているのがなにより嬉しかった。南千歳で乗り換え、新千歳空港駅に着いたが、40分の遅れで、一時はどうなるかと思った。結果的に間に合い、団体行動の秩序を乱すことなく、平和に湘南地区に舞い戻ることが出来た。

それから更に15年、三度(みたび)石勝線を訪れる事となった。今度は北海道の未乗線区の制覇のための宿泊地としてあえて「トマム」を選択したのであった。2009年3月、新得より5分遅れの特急に乗り、雪の舞い散るトマムのホームに足を踏み入れた。懐かしさに浸る間もなく、シャトルバスの乗務員がホームまでお出迎え。以前とは違うサービス振りである。考えてみたら、前回はバブル景気の絶頂期。丁度リゾートやらが流行った時代でもあった。しかし時代は流れ、近年では「デフレ・スパイラル」などと紙面を賑わせて久しいが、そんな中、トマムも民事再生で生き残りをかけている。そして従業員や村が一丸となってトマムを盛り上げているではないか!私は心を打たれながら、密かな夢であった「ツインタワー」に向った。想像していた通り、リゾートの名に相応しい佇まいであった。ホテル内にはコンビニもどきの様な店で弁当が3割引とかで値引販売していた。「旭川でわざわざ買わなければ良かったな~」などと、若干日常の生活染みた気持ちが顔を覗かせてしまった。

翌朝、再びシャトルバスでトマムに戻り、列車到着まで駅を堪能した。近い将来ライバルになるであろう建設中の高速道路が見えた。しかし付近には民家が見当たらず、スキー場が無ければほぼ無人地帯であろう。しかしここから乗る列車はなぜか清々しい。リゾートホテルをビジネスホテル代わりに利用するとは何とも贅沢であったが、わざわざやって来た甲斐があったというものだ。この日の予定では、一気に根室まで行く事になっている。「鉄道に乗るための旅」なのに、すっかりリゾート気分に浸ってしまった感のある「夕張線」の新線区間。銀世界のツインタワーを15年振りに見送り、憧れていた「苫鵡」を後にした。

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