恋の列車はオオアライ発①
2015-10-22
つい最近の出来事であったが、仕事が休みの日の朝、テレビの声が聞こえていた。私はまだ布団の中で半分寝ていた状態からであるが、なんとなく日本放送協会のドキュメンタリー番組的な感じだと瞬時にわかった。せっかくの休みなのに朝早くから妻にテレビで起こされた感じであるが、気がついてみれば寝ながら、目を瞑りながらではあるが番組に強い関心を持ち釘付けになっていた印象であった。

(鹿島神宮に停車中の大洗鹿島線車両。単行DCとは若干物足りない気もするが、逆に味があっていいかも。)
私は「一青窈」という歌手にはそれほど関心を持っていなかったが、その番組では「ハナミズキ」という自身のヒット曲の背景について語っていたようだ。その中で印象に残ったのが「果てない夢がちゃんと終わりますように」という歌詞の部分についての事であった。普通「夢が終わる」という表現はしないであろうがなぜ?と思うし、その事をインタビュアーに突っ込まれていた。「物事には必ず終わりがある。終わりがあるからこそ、そこに向かって頑張ろうという気持ちになる」「終わったらまた新たなスタートがそこからある」みたいな内容の事を答えていた。そして「それを伝えたかった」とも表現していた。
この歌は、同時多発テロが起きたあの9.11に友人からのメールが元になって作られた歌らしいが、そんな背景があるとは全くわからなかったので、ある意味妻にやられた感じであった。その肝心の妻はと言うと・・・その時は洗濯なんかしていてテレビを全く見ていなかった!お前、アホちゃうか?と思わず関西弁になってしまいそうなある朝の出来事であったが・・・歌ひとつとっても歴史や背景、そして何より作った本人の思い入れなどか凝縮されこの世に出てくる事であろう。鹿島臨海鉄道も、歴史的背景についてはとても奥が深い。

(2015年にはご覧の神栖まで足を伸ばした。現在は貨物駅であるが、かつては旅客営業もしていた。そして現在でも回送の旅客列車がやってきて留置されると聞く。)
私の鹿島臨海鉄道の印象は「神栖」「鹿島港南」がとても強い。「鹿島港南」と聞いて「?」と思われる方もおられるであろう。そう、鹿島臨海鉄道が現在の形になる前、北鹿島、いわゆる現在の鹿島サッカースタジアムでスイッチバックをして奥ノ谷浜方面に向かう貨物線にはかつて旅客列車が走っていた。若い世代の方は、この事は既に「伝説」としての出来事であろうかも知れないが、私にしてみたら当時は非常に興味深く一度は訪問してみたい路線であった。
であるが、かねてから未成線であった北鹿島~水戸を繋ぐ計画が具体化し、第三セクター会社に引き継がれその夢が現在実現している。しかも当初は特急列車を走らせようという思惑もあったため線形が良い!ある意味、現在のイメージはかつてのそれとは全く異なる印象だ。

(かつての北鹿島、つまり鹿島サッカースタジアム。臨時ながら「駅」に昇格したのは嬉しい材料だ。つまり営業日であれば列車での訪問は可能という事。とは言え、JRの車両で来ることができるのか・・・)
残念ながらかつての鹿島臨海鉄道は訪問できなかったが、2008年に現在の大洗鹿島線の訪問を実現させた。そして2015年にはシリーズ「恋の列車は~」で紹介しているようにマイカーでも訪問した。ハッキリ言って2015年の鹿島臨海鉄道訪問に関しては高をくくっていた感があったが、完全に私の負けであった。結論としては「行ってよかった」であった。
2008年の列車での制覇時は鹿島神宮から水戸を目指した。その模様は次章よりお伝えするとして、2015年の訪問時には神栖や奥ノ谷浜にも足を伸ばしたのでそちらもいつか紹介してみたいと思う。

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(鹿島神宮に停車中の大洗鹿島線車両。単行DCとは若干物足りない気もするが、逆に味があっていいかも。)
私は「一青窈」という歌手にはそれほど関心を持っていなかったが、その番組では「ハナミズキ」という自身のヒット曲の背景について語っていたようだ。その中で印象に残ったのが「果てない夢がちゃんと終わりますように」という歌詞の部分についての事であった。普通「夢が終わる」という表現はしないであろうがなぜ?と思うし、その事をインタビュアーに突っ込まれていた。「物事には必ず終わりがある。終わりがあるからこそ、そこに向かって頑張ろうという気持ちになる」「終わったらまた新たなスタートがそこからある」みたいな内容の事を答えていた。そして「それを伝えたかった」とも表現していた。
この歌は、同時多発テロが起きたあの9.11に友人からのメールが元になって作られた歌らしいが、そんな背景があるとは全くわからなかったので、ある意味妻にやられた感じであった。その肝心の妻はと言うと・・・その時は洗濯なんかしていてテレビを全く見ていなかった!お前、アホちゃうか?と思わず関西弁になってしまいそうなある朝の出来事であったが・・・歌ひとつとっても歴史や背景、そして何より作った本人の思い入れなどか凝縮されこの世に出てくる事であろう。鹿島臨海鉄道も、歴史的背景についてはとても奥が深い。

(2015年にはご覧の神栖まで足を伸ばした。現在は貨物駅であるが、かつては旅客営業もしていた。そして現在でも回送の旅客列車がやってきて留置されると聞く。)
私の鹿島臨海鉄道の印象は「神栖」「鹿島港南」がとても強い。「鹿島港南」と聞いて「?」と思われる方もおられるであろう。そう、鹿島臨海鉄道が現在の形になる前、北鹿島、いわゆる現在の鹿島サッカースタジアムでスイッチバックをして奥ノ谷浜方面に向かう貨物線にはかつて旅客列車が走っていた。若い世代の方は、この事は既に「伝説」としての出来事であろうかも知れないが、私にしてみたら当時は非常に興味深く一度は訪問してみたい路線であった。
であるが、かねてから未成線であった北鹿島~水戸を繋ぐ計画が具体化し、第三セクター会社に引き継がれその夢が現在実現している。しかも当初は特急列車を走らせようという思惑もあったため線形が良い!ある意味、現在のイメージはかつてのそれとは全く異なる印象だ。

(かつての北鹿島、つまり鹿島サッカースタジアム。臨時ながら「駅」に昇格したのは嬉しい材料だ。つまり営業日であれば列車での訪問は可能という事。とは言え、JRの車両で来ることができるのか・・・)
残念ながらかつての鹿島臨海鉄道は訪問できなかったが、2008年に現在の大洗鹿島線の訪問を実現させた。そして2015年にはシリーズ「恋の列車は~」で紹介しているようにマイカーでも訪問した。ハッキリ言って2015年の鹿島臨海鉄道訪問に関しては高をくくっていた感があったが、完全に私の負けであった。結論としては「行ってよかった」であった。
2008年の列車での制覇時は鹿島神宮から水戸を目指した。その模様は次章よりお伝えするとして、2015年の訪問時には神栖や奥ノ谷浜にも足を伸ばしたのでそちらもいつか紹介してみたいと思う。

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