恋の列車はオオアライ発②
2015-10-26
2008年の大洗鹿島線制覇は鹿島神宮からのスタートとなった。大洗鹿島線で私が一番関心を持っていたのは、もちろん「鹿島サッカースタジアム」であった。かつては北鹿島と称し、スイッチバックをして鹿島港南までの旅客列車が運転されていたのは先述通りであったが、臨時ながら旅客駅に昇格したのだから多少なりとも全容の一部でも確認できることであろう。というより、この列車に乗らなければこの旧・北鹿島(貨)への訪問はできない。かつては国鉄の駅でありながら国鉄では行かれない、しかも鹿島臨海鉄道でいっても列車は止まらない・・・かなり特殊で異様な雰囲気を醸し出す駅であった。なのにあっけなく通過・・・的な、何とも言えない訪問であった。だがしかし、2015年にはマイカーでしっかりと訪問しているので、その模様は後日にしっかりと紹介する予定なので乞うご期待!


(新鉾田はかつての鹿島鉄道・鉾田駅からはかなり離れた位置にあった。そのため両者を乗り継ぐ乗客はほぼ皆無であったと聞く。しかし、文字通り新しい鉾田市の玄関口ではあるが、若干市街地から離れているのがもったいない。)
そして列車は大洗へ向かうが「鹿島臨海鉄道」と名乗るからには相当の海岸沿いを走ることであろうと思うのであるが、実際は、特に大洗まではやや内陸を走る。新鉾田付近では更に内陸に入り込み、とても「臨海」名乗れるかどうかくらいまでくる。新鉾田と言えば市街地中心部からはかなり離れた位置に駅があるが、その中心部にはかつて「鉾田駅」があったのはレールファンならもちろんご存知であろう。2015年に私が訪問した時はちょうど何かも祭りだったらしく、一般道にはかなりの賑わいの中、神輿(みこし)も出ていたほどであるからこの辺りではかなり有名な祭りなのであろう。しかし、その鉾田駅は鹿島鉄道廃止と共に姿を消した。その鉾田駅前に比べたら、こちらの新鉾田駅前は実にすっきり感がある。どうせなら鹿島鉄道鉾田で鹿島臨海鉄道と接続させるようにすればと素人の考えかも知れないが、それが自然の意見であろう。

(シジミの産地として知られる涸沼。2015年訪問時のものであるが、表記は「ひぬま駅」であった。考えてみれば難読であろうかも知れない。)
そんな新鉾田を過ぎ「しじみ」の産地として知られる涸沼を過ぎると大洗に出る。そう、先述通りここには本社や車庫があり、まさに中心的存在である。大洗まで来るとようやく海に近づくが「臨海」と呼ぶにはまだまだ離れた感があるのは気のせいか。2015年訪問時は雨天であったが、やはり構内は広く堂々としていた。実は2005年頃にもこの辺りを訪問している事はどこかの記事でも触れているはずだが、その時の宿泊はここ大洗であった。当時はレールファン休業中であったので大洗駅までは出向かずにいたが、付近のアウトレットモールなどを堪能。9月であったため私が利用した民宿は完全に貸切であったが、基本的に海水浴シーズンから外れた時期であったため宿泊前日に「本当に来ますか?」的なメールが宿泊先から来ていた。もちろん予定通りであるとの意向を伝えたが、向こうにしてみればシーズンオフに2ヶ月前から予約する私が「珍客」であったのだろう。だが、その2年後にレールファンを復活して列車でこの地に再訪するとは、まさか予想もしなかった。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村


(新鉾田はかつての鹿島鉄道・鉾田駅からはかなり離れた位置にあった。そのため両者を乗り継ぐ乗客はほぼ皆無であったと聞く。しかし、文字通り新しい鉾田市の玄関口ではあるが、若干市街地から離れているのがもったいない。)
そして列車は大洗へ向かうが「鹿島臨海鉄道」と名乗るからには相当の海岸沿いを走ることであろうと思うのであるが、実際は、特に大洗まではやや内陸を走る。新鉾田付近では更に内陸に入り込み、とても「臨海」名乗れるかどうかくらいまでくる。新鉾田と言えば市街地中心部からはかなり離れた位置に駅があるが、その中心部にはかつて「鉾田駅」があったのはレールファンならもちろんご存知であろう。2015年に私が訪問した時はちょうど何かも祭りだったらしく、一般道にはかなりの賑わいの中、神輿(みこし)も出ていたほどであるからこの辺りではかなり有名な祭りなのであろう。しかし、その鉾田駅は鹿島鉄道廃止と共に姿を消した。その鉾田駅前に比べたら、こちらの新鉾田駅前は実にすっきり感がある。どうせなら鹿島鉄道鉾田で鹿島臨海鉄道と接続させるようにすればと素人の考えかも知れないが、それが自然の意見であろう。

(シジミの産地として知られる涸沼。2015年訪問時のものであるが、表記は「ひぬま駅」であった。考えてみれば難読であろうかも知れない。)
そんな新鉾田を過ぎ「しじみ」の産地として知られる涸沼を過ぎると大洗に出る。そう、先述通りここには本社や車庫があり、まさに中心的存在である。大洗まで来るとようやく海に近づくが「臨海」と呼ぶにはまだまだ離れた感があるのは気のせいか。2015年訪問時は雨天であったが、やはり構内は広く堂々としていた。実は2005年頃にもこの辺りを訪問している事はどこかの記事でも触れているはずだが、その時の宿泊はここ大洗であった。当時はレールファン休業中であったので大洗駅までは出向かずにいたが、付近のアウトレットモールなどを堪能。9月であったため私が利用した民宿は完全に貸切であったが、基本的に海水浴シーズンから外れた時期であったため宿泊前日に「本当に来ますか?」的なメールが宿泊先から来ていた。もちろん予定通りであるとの意向を伝えたが、向こうにしてみればシーズンオフに2ヶ月前から予約する私が「珍客」であったのだろう。だが、その2年後にレールファンを復活して列車でこの地に再訪するとは、まさか予想もしなかった。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
鹿島臨海鉄道から海は見えるのか?
すんや様
コメントありがとうございます。
2005年の大洗訪問時は確か9月上旬でしたが、今年(2015年)の訪問は8月30日でした。時期的にはほとんど変わらないのですが、ご存知の通り今年の8月末日は気温が非常に低く、それこそ10月下旬並みの、まさに今くらいの陽気でした。
そしてまさに「某アニメ」やアウトレット的な商業施設も増えて海水浴が主役の時代ではなくなりつつありますね。ちなみに私が2005年に訪問した時の宿は貸切状態でした。2人での宿泊にも関わらず、その民宿で一番大きな部屋を用意していただき、しかも朝食は恐らく「那珂湊産」であろう海産物の雨アラレでした。
大洗鹿島線からの車窓で海を期待するのは若干厳しい現実となりますが、かつての旅客営業路線、つまり現在の貨物線の方がまだ「臨海鉄道」を名乗るには説得あるような感じですね。
そして後日にアップするかも知れませんが、その貨物線にも今回訪問してます。が・・・実際問題、神栖から先は恐らく機能していないと思われる状態になっていて、いわゆる「鶴見線」的な貨物線の印象しかなかったです。
2005年の大洗訪問時は確か9月上旬でしたが、今年(2015年)の訪問は8月30日でした。時期的にはほとんど変わらないのですが、ご存知の通り今年の8月末日は気温が非常に低く、それこそ10月下旬並みの、まさに今くらいの陽気でした。
そしてまさに「某アニメ」やアウトレット的な商業施設も増えて海水浴が主役の時代ではなくなりつつありますね。ちなみに私が2005年に訪問した時の宿は貸切状態でした。2人での宿泊にも関わらず、その民宿で一番大きな部屋を用意していただき、しかも朝食は恐らく「那珂湊産」であろう海産物の雨アラレでした。
大洗鹿島線からの車窓で海を期待するのは若干厳しい現実となりますが、かつての旅客営業路線、つまり現在の貨物線の方がまだ「臨海鉄道」を名乗るには説得あるような感じですね。
そして後日にアップするかも知れませんが、その貨物線にも今回訪問してます。が・・・実際問題、神栖から先は恐らく機能していないと思われる状態になっていて、いわゆる「鶴見線」的な貨物線の印象しかなかったです。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/587-f5667d05
大洗と言うと、私のような世代にはやはり「海水浴」のイメージが強い訳ですが、記事中のアウトレットモールや某アニメの影響で、従来のオンシーズンの概念からは外れつつあるのかもしれません。