18の、18による、18のための旅②
2015-12-21
さて、京都に着くまでに信楽線(当時)や草津線、和歌山線など、実に細かく制覇のための行程が続いた。そして今夜の宿となるのが夜行普通列車「山陰」であった。つまり寝ながら制覇出来る・・・制覇路線を稼げるわけである。と書くと、なんとなく制覇の数だけを稼げばいいんじゃねぇ?と思われてしまいそうであるが、ちゃんとしっかり旅情も味わっている。というより、私が一番最初に乗車した客車による夜行普通列車であるのがこの「山陰」でもあったのだ。

(以前にも「PHOTO:1980JNR.com」より使用させていただいた夜行普通列車「山陰」のサボ写真。寝台車が連結されているため愛称が設定されていたわけであるが、10系寝台とは実に時代を感じさせるものである。
乗車率としては、ハッキリ言ってフルハウスであったろう。京都で1時間半待った甲斐あってメンバー全員着席出来たが、何せ寝ようと思っても眠れない。4人でワンボックスを使うわけであるが、なんというか、普段家で寝る時に取る体勢では当然ないため皆が皆不自然な格好である。が、逆にそれぞれが工夫して睡眠体勢に入っているのも面白い。人間、いざとなればどんな過酷な条件でも眠ることが出来るのだ。そんな事を当時中学生の私がこの旅で学んだ。しかし夜行列車とは実に独特の雰囲気がある。景色は当然夜のため真っ暗である。車内灯は煌々と点いていて周りはみんな仮眠体勢の中、私がする事と言えば寝るか食べるかしかない。何と言うか、夜行列車とはグループで旅をしていても孤独なものだ。だがこの孤独感がたまらない。そう、もしかしたら私の夜行列車好きはこの孤独感を味わいたいからかも知れない。

(鳥取は国鉄時代に高架化された。確か昭和50年代の出来事であったと思うが、当時「流行り」であったかもしれない浜松や静岡とそっくりな造りである。)
鳥取で乗客の入れ替わりがあり、倉吉は全く気づかないほど恐らく熟睡していたであろう私は、もちろん餘部橋梁など知る由もないし、起きていたとしても闇に遮られその一部ですら見えなかったであろう。だが、大山口に着く頃には既に明るくなっており、我々も活動的な体勢になっていた。どうやら列車交換で停車時間がややあるとの車内放送があったので入場券を買いに改札へ向かった。もちろん私ではなく同行した仲間である。

(私の「きっぷアルバム」に張り付いたまま離れなかった大山口の入場券。約30年もアルバムに張り付いていると、アルバム台紙の一部になってしまうのか・・・)
それよりこの大山口の停車中に気付いたが、旧型客車で朝を迎えるのは初めての経験であった。というか、その旧型客車という存在を知ったのもこの旅をしてからであったと思う。それまでの私は「ブルートレイン」が主流であったから、旧型客車という意味もそれほどわかっていなかったと思う。しかし同行した教諭がやたらと旧型客車をアピールしていたのでいずれ消え去るという事を当然分かっていたのであろう。そしてこの時はこの「偉大なるローカル線」は旧型客車の宝庫でもあった。そんな客車に揺られ旅するという事は今になって貴重な体験であったと思う。窓越しに見る大山口のホームに、朝日を浴びた交換列車がゆっくりと滑り込んでくる。その景色は実に爽やかに心地よく、そして柔らかな時間帯を私達に与えてくれた。

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乗車率としては、ハッキリ言ってフルハウスであったろう。京都で1時間半待った甲斐あってメンバー全員着席出来たが、何せ寝ようと思っても眠れない。4人でワンボックスを使うわけであるが、なんというか、普段家で寝る時に取る体勢では当然ないため皆が皆不自然な格好である。が、逆にそれぞれが工夫して睡眠体勢に入っているのも面白い。人間、いざとなればどんな過酷な条件でも眠ることが出来るのだ。そんな事を当時中学生の私がこの旅で学んだ。しかし夜行列車とは実に独特の雰囲気がある。景色は当然夜のため真っ暗である。車内灯は煌々と点いていて周りはみんな仮眠体勢の中、私がする事と言えば寝るか食べるかしかない。何と言うか、夜行列車とはグループで旅をしていても孤独なものだ。だがこの孤独感がたまらない。そう、もしかしたら私の夜行列車好きはこの孤独感を味わいたいからかも知れない。

(鳥取は国鉄時代に高架化された。確か昭和50年代の出来事であったと思うが、当時「流行り」であったかもしれない浜松や静岡とそっくりな造りである。)
鳥取で乗客の入れ替わりがあり、倉吉は全く気づかないほど恐らく熟睡していたであろう私は、もちろん餘部橋梁など知る由もないし、起きていたとしても闇に遮られその一部ですら見えなかったであろう。だが、大山口に着く頃には既に明るくなっており、我々も活動的な体勢になっていた。どうやら列車交換で停車時間がややあるとの車内放送があったので入場券を買いに改札へ向かった。もちろん私ではなく同行した仲間である。

(私の「きっぷアルバム」に張り付いたまま離れなかった大山口の入場券。約30年もアルバムに張り付いていると、アルバム台紙の一部になってしまうのか・・・)
それよりこの大山口の停車中に気付いたが、旧型客車で朝を迎えるのは初めての経験であった。というか、その旧型客車という存在を知ったのもこの旅をしてからであったと思う。それまでの私は「ブルートレイン」が主流であったから、旧型客車という意味もそれほどわかっていなかったと思う。しかし同行した教諭がやたらと旧型客車をアピールしていたのでいずれ消え去るという事を当然分かっていたのであろう。そしてこの時はこの「偉大なるローカル線」は旧型客車の宝庫でもあった。そんな客車に揺られ旅するという事は今になって貴重な体験であったと思う。窓越しに見る大山口のホームに、朝日を浴びた交換列車がゆっくりと滑り込んでくる。その景色は実に爽やかに心地よく、そして柔らかな時間帯を私達に与えてくれた。

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