18の、18による、18のための旅⑦
2016-01-12
「普通列車」の方は乗客の入れ替わりが激しいが、私の乗った「観光列車」は乗客の変化がほとんどないまま長閑な時間が過ぎていく。やがて下車駅となる幡生では後ろ髪引かれる思いであったが、ある意味「偉大なるローカル線」を制覇したという達成感もあった。しかし、面白い事にこの「偉大なるローカル線」を全線直通する列車は無い。そういえば、かつて1980年代であったが門司発福知山行の「824列車」があった。門司を朝5時半頃に出発し、福知山に着くのは夜11時をとっくに超えている時間帯だ。それでも「偉大なるローカル線」を全線制覇できないのだ。余りにも偉大だ、偉大過ぎる!

(画像はウィキペディアより、1980年代前半まで活躍した「824レ」。門司発福知山行で運転され、当時は普通列車では日本最長距離を走る事で有名であった。それよりも旧型客車編成で何本もの優等列車に抜かれながら揺られる旅は、ある意味最高峰の贅沢であろう。)
先日、というより、実はこの記事を書いている時にとても興味を惹かれるTV番組が放送されていた。それは終電に乗り遅れた人に付いていき、その人のお宅にお邪魔する的な趣旨の番組であった。ただそれだけなら普通の番組であったのだが、その番組の最後では終電ではなく、移動販売に買い物に来た人のお宅にお邪魔するという内容になっていた。場所は確か鳥取県のとある町となっていたはずだ。そう、そこには我々がよく目にする長閑な田園風景があった。もちろん列車はやって来ないであろう。

(通学途中の女学生たちをよそに、常識では解読不能な駅名標を撮影。そんな私は、ある意味職務質問されてもおかしくないかも知れない状況であったろうが、所持しているきっぷが「18」である以上、乗車できる列車が制限される中での旅の醍醐味を味わうのも良い。)
お宅にお邪魔したのは年配のご婦人であった。しかしながら喋り方もシャキシャキしていて「お宅にお邪魔してもいいですか?」の問いに、何の躊躇いもなく「ハイ、いいですよ」みたいな感じで即答していた。ここまでなら普通の番組であるが、私が興味を惹かれたのはこの先であった。家からは明治時代や大正時代と思われる家具や道具などが出てくるし、そのうちそのご婦人の祖母と思われる方のカタミや「50銭札」などの、いわゆる「古銭」が登場した。その道の人にとっては実にお宝的映像であったろう。そして私が一番胸を打たれたのが結婚話であった。

(紹介している旅の道中で、計画では美祢線制覇も含まれていたが・・・当時はご覧の状況のため出発3日前に予定を変更。やはり列車でなければ意味がない!それよりも後日に復旧してくれたのが何よりだ。)
番組スタッフが「ご主人とはどういうふうに知り合ったのか」の問いに「結婚する日に初めて会った」と答えた。我々の世代はもちろん、若い世代の方は「おや?」と思うであろう。結婚する日に初めて会ったという事はそれまでは会ったことが無かったということであるが・・・そう、それは「親に決められた結婚」であったのだ。現在ではほとんど考えられない話ではあるが、その昔、結婚とは親に決められたものが、ある意味常識的な形で通っていたらしい。事実、私の義祖母もまさにそれであった。女性は主人の影で支える存在、夫を立てて妻は一歩後ろへ引く・・・それはまさに古くからある日本の情景そのものであった。

(「偉大なるローカル線」にはこういった私好みの渋い駅が、特に出雲市以西には多く存在する。もっと昔に来ればまた違った雰囲気が味わえたろうと悔しい気持ちもあるが・・・)
そんなお宅の家業は農家である。農作業も全く若い者に引けを取らないくらいに元気に作業しているようだ。だが、そのお宅のご主人は2015年の5月に他界したという。幸せですか?の問いに「幸せです」と。続けて「お父さんと結婚して良かった」とも述べていた。親に決められた結婚であったが、最後まで「お父さんは優しかった」「幸せです」と語る姿は本当に幸せだったのであろうか、実に自然と優しい表情になっている。そして、失礼ながらその姿に刻み込まれたシワは、そのご婦人の「年輪」に見えた。そして多くの夫婦の絆的歴史が刻み込まれていることであろう。

(これは余りにも有名処であるが「偉大なるローカル線」に所属してこそ、という価値観があるかも知れない。)
そんなご婦人が暮らす鳥取の田園風景は、やがて季節が来ると色づいた稲穂が力強く頭(こうべ)を垂れる事であろう。そして収穫されたお米の味は「職人技」とは違う、何か「心温まる匠の技」とでも言おうか、なんとなく「おふくろの味」的な感じであろうか。私が「偉大なるローカル線」に再び訪れる時、そんな事を考えながら景色を見ると、また違った「偉大なるローカル線」が楽しめるであろう。もちろん、この「偉大なるローカル線」だけに留まらず、日本全国、もっともっと色々なローカル線の楽しみ方を、これからも私の旅に加えていきたい。

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(画像はウィキペディアより、1980年代前半まで活躍した「824レ」。門司発福知山行で運転され、当時は普通列車では日本最長距離を走る事で有名であった。それよりも旧型客車編成で何本もの優等列車に抜かれながら揺られる旅は、ある意味最高峰の贅沢であろう。)
先日、というより、実はこの記事を書いている時にとても興味を惹かれるTV番組が放送されていた。それは終電に乗り遅れた人に付いていき、その人のお宅にお邪魔する的な趣旨の番組であった。ただそれだけなら普通の番組であったのだが、その番組の最後では終電ではなく、移動販売に買い物に来た人のお宅にお邪魔するという内容になっていた。場所は確か鳥取県のとある町となっていたはずだ。そう、そこには我々がよく目にする長閑な田園風景があった。もちろん列車はやって来ないであろう。

(通学途中の女学生たちをよそに、常識では解読不能な駅名標を撮影。そんな私は、ある意味職務質問されてもおかしくないかも知れない状況であったろうが、所持しているきっぷが「18」である以上、乗車できる列車が制限される中での旅の醍醐味を味わうのも良い。)
お宅にお邪魔したのは年配のご婦人であった。しかしながら喋り方もシャキシャキしていて「お宅にお邪魔してもいいですか?」の問いに、何の躊躇いもなく「ハイ、いいですよ」みたいな感じで即答していた。ここまでなら普通の番組であるが、私が興味を惹かれたのはこの先であった。家からは明治時代や大正時代と思われる家具や道具などが出てくるし、そのうちそのご婦人の祖母と思われる方のカタミや「50銭札」などの、いわゆる「古銭」が登場した。その道の人にとっては実にお宝的映像であったろう。そして私が一番胸を打たれたのが結婚話であった。

(紹介している旅の道中で、計画では美祢線制覇も含まれていたが・・・当時はご覧の状況のため出発3日前に予定を変更。やはり列車でなければ意味がない!それよりも後日に復旧してくれたのが何よりだ。)
番組スタッフが「ご主人とはどういうふうに知り合ったのか」の問いに「結婚する日に初めて会った」と答えた。我々の世代はもちろん、若い世代の方は「おや?」と思うであろう。結婚する日に初めて会ったという事はそれまでは会ったことが無かったということであるが・・・そう、それは「親に決められた結婚」であったのだ。現在ではほとんど考えられない話ではあるが、その昔、結婚とは親に決められたものが、ある意味常識的な形で通っていたらしい。事実、私の義祖母もまさにそれであった。女性は主人の影で支える存在、夫を立てて妻は一歩後ろへ引く・・・それはまさに古くからある日本の情景そのものであった。

(「偉大なるローカル線」にはこういった私好みの渋い駅が、特に出雲市以西には多く存在する。もっと昔に来ればまた違った雰囲気が味わえたろうと悔しい気持ちもあるが・・・)
そんなお宅の家業は農家である。農作業も全く若い者に引けを取らないくらいに元気に作業しているようだ。だが、そのお宅のご主人は2015年の5月に他界したという。幸せですか?の問いに「幸せです」と。続けて「お父さんと結婚して良かった」とも述べていた。親に決められた結婚であったが、最後まで「お父さんは優しかった」「幸せです」と語る姿は本当に幸せだったのであろうか、実に自然と優しい表情になっている。そして、失礼ながらその姿に刻み込まれたシワは、そのご婦人の「年輪」に見えた。そして多くの夫婦の絆的歴史が刻み込まれていることであろう。

(これは余りにも有名処であるが「偉大なるローカル線」に所属してこそ、という価値観があるかも知れない。)
そんなご婦人が暮らす鳥取の田園風景は、やがて季節が来ると色づいた稲穂が力強く頭(こうべ)を垂れる事であろう。そして収穫されたお米の味は「職人技」とは違う、何か「心温まる匠の技」とでも言おうか、なんとなく「おふくろの味」的な感じであろうか。私が「偉大なるローカル線」に再び訪れる時、そんな事を考えながら景色を見ると、また違った「偉大なるローカル線」が楽しめるであろう。もちろん、この「偉大なるローカル線」だけに留まらず、日本全国、もっともっと色々なローカル線の楽しみ方を、これからも私の旅に加えていきたい。

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