更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑦
2016-04-25
新幹線で快適に鹿児島中央に到着した私は駅員に状況を確認する。「とりあえずダイヤは平常になっていますよ。」との事であった。ホッと一安心して胸を撫で下ろしたが、もしかしたら、あのまま「くまがわ」に乗っていたらやや遅れた状態であろうがどこかで平常の行程で旅が出来ていたかも知れない。などと雑念が入ってしまったが、平常に戻っているのは良い事だ。

(急遽乗車した新幹線で鹿児島中央へ。突然の予定変更で2時間のインターバルが出来てしまった。だが、逆に余裕ができて昼食の時間も取れる事になったのでよかったのかも知れない。)
南から肥薩線を攻める事にした変更したら、ちょうど鹿児島中央で2時間くらいのインターバルが出来た。昼食を摂るのにちょうどいい。新幹線が開通してかなり様変わりした鹿児島中央駅は非常に便利になり、商業施設も実に多い。2時間なんてあっという間に過ぎてしまい、いよいよ「はやとの風」の待つホームに向かった。予定通りの出発らしい。ダイヤはやはり正常に戻っていたのだ。といっても肥薩線以外はトラブルが起こっていなかったわけだから当然であろう。そしてもちろん、肥薩線も平常に戻っている。

(前年に続き、再び「はやとの風」で吉松に向かう事になった。前回は霧島温泉で豪雨により運転見合わせとなったが、今回は無事吉松まで行く事が出来たのは実に嬉しい材料であった。)
「はやとの風」で吉松に着いた私は早速「いさぶろう・しんぺい」に乗り換える。やはりダイヤは平常に戻っていて、初「肥薩線」も無事クリアできそうだ。指定席券を持っていたが、自由席もそれほど混雑は無く、快適に過ごせるのは良い。いつの間にか太陽まで出始めていた肥薩線の「大御所区間」は、先ほどの雨模様とは打って変わり、残暑厳しい「日本三大車窓」となってしまった。

(そして吉松で「いさぶろう・しんぺい」に乗り換える。昼間の時間帯は「はやとの風」~「いさぶろう・しんぺい」の接続は黄金パターンとなっている。)
まずは楽しみにしていた真幸に到着。かつて駅員がいた頃は、熊手で砂利がきれいに手入れされ日本庭園を思わせるような駅構内であったが、無人となった現在はその砂利がコンクリか何かで固定され維持されていた。「いさぶろう・しんぺい」などの観光列車が運転されてからはこの駅もかなり観光色が強くなってしまったが、それでも駅が廃止されず健在であるのだから嬉しい。だがやはり、できれば国鉄時代に訪れてみたかった。

(真幸では「日本庭園」が見られる。駅員がいた頃は職員が毎日手入れをしていたと聞いているが、現在ではその砂利がコンクリのようなもので固定されている。)
観光色の強い真幸では「幸せの鐘」的なものが設置されていた。過去の真幸駅を知る者にとって、この光景は何となくアンマッチな部分もある。そんな真幸を、気が付いたら三段式スイッチバックの最上段から見下ろしていた。一気にこんなところまで来たのかと思うくらいスイッチバックの威力をまざまざと見せつけられた感のある私だが、次の矢岳でもかなり観光色を前面に打ち出していたのに驚かされた。内容的には皆様の方がご存じであろう。だが、私の知る限り、昔はかなり線路があったはずだ。訪問はしていないが事情は知っている。つまり2面3線あったホームが、事実上棒線化された形となり列車交換ができなくなったのだ。もちろん、かつての特急「おおよど」などが走っていた時代から比べれば、列車本数的に現在の設備でも充分過ぎるであろう。だが、やはり駅には線路がたくさんあって欲しい。何となく観光客でにぎわっている姿とは裏腹に、私の心はそんな気持ちがよぎり寂しさを否定できない思いであった。

(「幸せの鐘」的な観光要素が出現し、かつての「国鉄」的な雰囲気はやや薄れたが、駅舎やその他設備は国鉄時代のものをほぼそのまま受け継ぐ形で現在に至っている。)

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南から肥薩線を攻める事にした変更したら、ちょうど鹿児島中央で2時間くらいのインターバルが出来た。昼食を摂るのにちょうどいい。新幹線が開通してかなり様変わりした鹿児島中央駅は非常に便利になり、商業施設も実に多い。2時間なんてあっという間に過ぎてしまい、いよいよ「はやとの風」の待つホームに向かった。予定通りの出発らしい。ダイヤはやはり正常に戻っていたのだ。といっても肥薩線以外はトラブルが起こっていなかったわけだから当然であろう。そしてもちろん、肥薩線も平常に戻っている。

(前年に続き、再び「はやとの風」で吉松に向かう事になった。前回は霧島温泉で豪雨により運転見合わせとなったが、今回は無事吉松まで行く事が出来たのは実に嬉しい材料であった。)
「はやとの風」で吉松に着いた私は早速「いさぶろう・しんぺい」に乗り換える。やはりダイヤは平常に戻っていて、初「肥薩線」も無事クリアできそうだ。指定席券を持っていたが、自由席もそれほど混雑は無く、快適に過ごせるのは良い。いつの間にか太陽まで出始めていた肥薩線の「大御所区間」は、先ほどの雨模様とは打って変わり、残暑厳しい「日本三大車窓」となってしまった。

(そして吉松で「いさぶろう・しんぺい」に乗り換える。昼間の時間帯は「はやとの風」~「いさぶろう・しんぺい」の接続は黄金パターンとなっている。)
まずは楽しみにしていた真幸に到着。かつて駅員がいた頃は、熊手で砂利がきれいに手入れされ日本庭園を思わせるような駅構内であったが、無人となった現在はその砂利がコンクリか何かで固定され維持されていた。「いさぶろう・しんぺい」などの観光列車が運転されてからはこの駅もかなり観光色が強くなってしまったが、それでも駅が廃止されず健在であるのだから嬉しい。だがやはり、できれば国鉄時代に訪れてみたかった。

(真幸では「日本庭園」が見られる。駅員がいた頃は職員が毎日手入れをしていたと聞いているが、現在ではその砂利がコンクリのようなもので固定されている。)
観光色の強い真幸では「幸せの鐘」的なものが設置されていた。過去の真幸駅を知る者にとって、この光景は何となくアンマッチな部分もある。そんな真幸を、気が付いたら三段式スイッチバックの最上段から見下ろしていた。一気にこんなところまで来たのかと思うくらいスイッチバックの威力をまざまざと見せつけられた感のある私だが、次の矢岳でもかなり観光色を前面に打ち出していたのに驚かされた。内容的には皆様の方がご存じであろう。だが、私の知る限り、昔はかなり線路があったはずだ。訪問はしていないが事情は知っている。つまり2面3線あったホームが、事実上棒線化された形となり列車交換ができなくなったのだ。もちろん、かつての特急「おおよど」などが走っていた時代から比べれば、列車本数的に現在の設備でも充分過ぎるであろう。だが、やはり駅には線路がたくさんあって欲しい。何となく観光客でにぎわっている姿とは裏腹に、私の心はそんな気持ちがよぎり寂しさを否定できない思いであった。

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