よろしく哀愁。よろしく九州⑫ 西相知
2016-03-12

さて、この西相知を紹介する前に皆様に報告しなければならない事がある。それは・・・今回の西相知訪問に関して相互リンクさせていただいている「LM徒然草」の管理人でいらっしゃるLMさんから少々ご意見をいただいてしまった。西相知と言えばLMさんのお膝元。そのLMさんのブログに関しては私が説明するまでもなく、どの記事も素晴らしい内容と作品の数々。そしてこの西相知に関してもかなりの思い入れを記されていらっしゃる。そんなLMさんの「メッカ」に、私は挨拶もせずに足を踏み入れてしまった!そんな私はかなりの不行き届き者である。という事で、次回はしっかりとLMさんに報告してからの訪問とする事にした!きっとLMさんから良い情報とアドバイス、そしてご利益が頂ける事であろう。

という事で、今回の西相知の訪問は、今回紹介している九州の旅では最終日の行程である。宿泊先の嬉野温泉から有田、伊万里方面を回り西相知にやって来た。カーナビに案内されるままに到着したが、到着する前から「あれがそうかな」とかなり遠くからでも確認できる西相知の佇まいであった。さて、ここを左折すれば駅かなと左折車線に入った途端・・・なんと駅から赤いダンプの行列が私の行く手を塞いでしまったのだ。1台、2台・・・強面(こわもて)のダンプは恐らく4台は通りすぎたであろうか。私は左折ウインカーを出したまま立ち往生してしまった。ところが、確か5台目あたりでダンプの動きが一旦停止した。そう、私が駅に入りたいと察したのかそのまま動かない。私は即座に西相知駅に向かいハンドルを切った。待っていてくれた運転手に窓越しに挨拶をした。迫力ある表情(とは失礼かも知れない。この場を借りてお詫び申し上げます!)は一転して笑顔で私を迎えてくれた。ありがとう!運転手さん。さすが九州男児。やはり義理人情に厚い何かを感じてしまう。そしてLMさんありがとう!こんな素敵な場所がLMさんのお膝元とは羨ましい!!!これからもよろしくお願いいたします。


さて、私が西相知駅に入ろうと左折ウインカーを出したら、狙っていたかのようにダンプの行列が!そして4台目が過ぎた頃で一台のダンプが止まった。そう、私に道を譲ってくれたのだ。私はすかさず脇道へ。そしてダンプが通り過ぎるのを待ち、駅の駐車スペースに車を入れた。

そしていよいよ西相知駅へ。LMさんのブログによると、かつては素敵な木造駅舎があると記されていたが・・・現在ではご覧の状況。





ご覧の通り、かつては交換設備があったと思われるが、現在ではご覧の状況。だが、しっかりと面影を残している。

ホームからダイレクト的に一般道へ繋がる道路。多分写真右側に駅舎があったと思われるがLMさんいかがでしょう。


かつての下り線はご覧の状況に。LMさん情報によると、どうやらここはJRの保線的資材置き場になっているらしい。このPC枕木と思われる資材は当然筑肥線の西区間で使用されているとは思えない。ここから東区間や他の路線に運び出されているのであろうか。


私が思うに、これって秘境駅にある定番的アイテムなのであろうか。
今回の旅であるが、初日を除き天気に恵まれた感がある。特に最終日はご覧の状況で、この後向かう唐津線等は実に心地よく、そして1月とは思えない気温の中で旅は進行していった。実は、この最終日の行程は宿泊先である嬉野温泉を出発する直前に予定ルートを変更した。とは言え、最初から西相知駅への訪問計画はあったから予定通りと言えば予定通りであるが、今回の旅では「外から鉄道を見る」という楽しさを再確認させられた旅でもあった。決して鉄道旅では味わえないレンタカーによる鉄道路線めぐりの旅。時間的に許されるならここ西相知駅にしばらく佇んでいたかった。が、この後航路にて帰宅しなければならない時間がある。後ろ髪ひかれる思いで西相知駅を去ったが、次回訪問する時は、それこそ1時間とか2時間とか滞在時間をしっかり取って来よう。もちろんLMさんにもご一報入れさせていただいて・・・

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コメント
遅くなりました
LM様
コメントありがとうございます。
「かつて、駅前には旅館や商店街が並び、あの村田英雄が生まれ育った」とはかなりの衝撃的事実ですね。某秘境駅訪問家がそう評価しているように、現在の姿からは全く想像つかないです。
私は1983年3月に初めて訪れましたが、ちょうど筑肥線電化直後でこの時は下車できず、ただ通り過ぎただけでした。というより、当時中学生の感性からか、全くのノーマークでしたのでほとんど記憶がありません。
という事で、次回訪問の際はぜひLMさんにご案内していただきましょう!
「かつて、駅前には旅館や商店街が並び、あの村田英雄が生まれ育った」とはかなりの衝撃的事実ですね。某秘境駅訪問家がそう評価しているように、現在の姿からは全く想像つかないです。
私は1983年3月に初めて訪れましたが、ちょうど筑肥線電化直後でこの時は下車できず、ただ通り過ぎただけでした。というより、当時中学生の感性からか、全くのノーマークでしたのでほとんど記憶がありません。
という事で、次回訪問の際はぜひLMさんにご案内していただきましょう!
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コメントしようと思いながらも仕事が忙しく、二度も寝落ちしてコメントのタイミングを逃し失礼しましたorz
次回来るときはちゃんとご一報ください。
ご依頼あればご案内しますから(笑)。
駅舎の位置は、その道の正面です。
写真でトラックが停車中の場所も、かつては駅舎でした。
私のサイトの、こちらを見ると分かりがよいでしょう。
http://blueribbon3737.blog87.fc2.com/blog-entry-179.html
PC枕木は筑肥(西)線にも使われるそうですが、詳しくはよくわかっていません。
かつて、駅前には旅館や商店街が並び、あの村田英雄が生まれ育った(何かの資料で見ましたが詳細不明)というエピソードを持つ駅ですが、今では秘境駅となりわびしい姿をさらすのみです。
せめて、かつての駅舎や待合室でもあれば少しは風情が残ったはずですが・・・。