よろしく哀愁。よろしく九州⑮ 山本
2016-05-22

わりと地味に有名かも知れない山本であるが、その理由としては駅名と同じ苗字の方が多くおられる事であろうと思われる。事実、私の親戚にも「山本」はいるし、会社などではよく聞く苗字でもある。というより、そういうことを抜きにしてもこの駅は実に魅力のある駅で、まだまだ昭和の、いや、国鉄の面影が今も残る貴重な駅である。そう、決して地味な存在ではないが、こうした駅も私の得意分野であり好きな駅でもある。
若いレールファン等は筑肥線が分断されている事や本牟田部付近で唐津線と筑肥線がオーバークロスするのが、歴史的背景とはわかっているものの、恐らく実感としてないため不思議な感覚であろうと思う。私自身も実際にこの地に初めて訪問したのは1983年3月で筑肥線電化直後であった。そのため旧・東唐津や虹の松原~山本間の筑肥線は制覇していない。その訪問から30年以上経過して今回の訪問となった訳であるが、逆にその訪問当時とほとんど変わっていなかったのが嬉しかった。そして懐かしかった。初訪当時は、旧線時代はどういう配線になっているのかが非常に気になったものであるが、山本駅自体の配線は意外にも単純でありシンプルであったので逆に驚いてしまった。だが、このシンプルさが今となっては逆に面白い。と、なんだか「逆」という単語がやたらと出てきたが、現在は駅員無配置となってしまい更に寂しくなってしまった。かつては駅員がポイント操作などを行っていたであろう姿がないのが残念であるが、駅舎もホームも昔のままであるから、むしろこのまま22世紀もこの雰囲気を残してもらいたい物件である。
ところで全く関係無いが、駅名を聞いて「小鉄」という文字が頭をよぎったら、あなたは相当の強者(つわもの)であろう・・・

山本駅の駅舎。国道沿いにあるため実にわかりやすい。かつては岸嶽支線と筑肥線の旧線を分岐していてさぞかし賑わった事であろう。現在は駅員無配置である。


列車から降りて駅舎へ向かうのでなく、駅舎から駅のホームへ向かってみる。そう、これぞ地元民の感覚。駅舎は駅員無配置ながらなかなな渋い。



更に駅舎から隣のホームに向かう気分になってみる。跨線橋は無く、ご覧のような構内踏切によりホームを移動する。懐かしい風景だ。





構内は確かに広いが、かつての岸嶽支線や旧・筑肥線の面影は感じられなかった。岸嶽支線はともかく、旧・筑肥線の面影はないのが意外であった。とは言え、東唐津~山本の旧線が廃止されて既に30年以上経っているので当然といえば当然か。



山本に着く前に、実は本牟田部の前も通った。もちろん筑肥線と唐津線のオーバークロス部も拝んできた。本牟田部付近はオーバークロス部より山本までは、ある意味複線のような感じであるが、列車本数的に考えても、この本牟田部で一旦収束して山本までを単線にした方がJR的にも都合がいいのではないのか。

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コメント
No title
あいあんさいど様
コメントありがとうございます。
放送席に「山本」がいる時にはまだ普通の、というより安定した解説ですが、それこそ「マサ」が解説席にいる時は「それが橋本のダメなところなんですよ・・・」とか「ベノイ、松田・・・この辺が」みたいな、少々アナウンサーを焦らせるコメントがある一方、UWFインターとの交流試合において新日とUインターとの力の差、つまりUインターの選手が一連の試合で投げ技に弱い点においてマサは投げ技について「Uは攻め技の一種、新日は決め技の一種」と、ズバリ的確な解説をしていたのがとても印象的で、というか、天と地の差が激しい解説な印象でした。「五十六」はともかく「リンダ」「譲二」とはジェネレーションを感じますね。
分岐点での「むじんくん」というシチュエーションもまた特徴的な山本ですが、備後落合のそれにはかなわないにしてもかつてから比べれば限りなく備後落合のそれに近い感じですね。一般の方にすればなんの変哲もない駅でしょうが、私にしてみればこの変化がとても気になる存在であり特徴でもあります。それが訪問へのきっかけにもなりましたしこの駅の最大の魅力なのかも知れません。もちろん国鉄的なあの雰囲気も魅力ですが。
放送席に「山本」がいる時にはまだ普通の、というより安定した解説ですが、それこそ「マサ」が解説席にいる時は「それが橋本のダメなところなんですよ・・・」とか「ベノイ、松田・・・この辺が」みたいな、少々アナウンサーを焦らせるコメントがある一方、UWFインターとの交流試合において新日とUインターとの力の差、つまりUインターの選手が一連の試合で投げ技に弱い点においてマサは投げ技について「Uは攻め技の一種、新日は決め技の一種」と、ズバリ的確な解説をしていたのがとても印象的で、というか、天と地の差が激しい解説な印象でした。「五十六」はともかく「リンダ」「譲二」とはジェネレーションを感じますね。
分岐点での「むじんくん」というシチュエーションもまた特徴的な山本ですが、備後落合のそれにはかなわないにしてもかつてから比べれば限りなく備後落合のそれに近い感じですね。一般の方にすればなんの変哲もない駅でしょうが、私にしてみればこの変化がとても気になる存在であり特徴でもあります。それが訪問へのきっかけにもなりましたしこの駅の最大の魅力なのかも知れません。もちろん国鉄的なあの雰囲気も魅力ですが。
御無沙汰しております
こんばんは。
御無沙汰しております。
山本駅が本当に賑わったのは、この辺りが石炭で賑わっていた頃でしょうね。まだ国鉄になる前のことですが、数十万トンの石炭を岸嶽支線経由で唐津港へ運び出す一大拠点となっていました。
その後も筑肥線と唐津線の合流点としてそれなりに賑わっていましたが、筑肥線が現在のように事実上分断されてからは、寂れる一方です。
分岐駅が無人駅なのは不自然なようですが、現状の人の流れからして、山本駅で乗り換える人は少なく、“途中駅”としての印象が強くなっていますね。
御無沙汰しております。
山本駅が本当に賑わったのは、この辺りが石炭で賑わっていた頃でしょうね。まだ国鉄になる前のことですが、数十万トンの石炭を岸嶽支線経由で唐津港へ運び出す一大拠点となっていました。
その後も筑肥線と唐津線の合流点としてそれなりに賑わっていましたが、筑肥線が現在のように事実上分断されてからは、寂れる一方です。
分岐駅が無人駅なのは不自然なようですが、現状の人の流れからして、山本駅で乗り換える人は少なく、“途中駅”としての印象が強くなっていますね。
LM様
コメントありがとうございます。
<山本駅が本当に賑わったのは、この辺りが石炭で賑わっていた頃でしょうね。>
まさに、鉄道と石炭は切っても切れない仲なのでしょうか。現代シーンにおいて石炭全盛の頃よりは間違えなく鉄道自体の性能は上がっているはずですが、利用者が反比例(?)して減っていくという、何とも辛い現実ですね。
そして筑肥線が分断された1983年、それまで唐津市民は行き先によって「山本」「東唐津」「唐津」などと鉄道利用駅を使い分けていましたが、唐津に統一されていっそ便利になりましたね。そしてそんな時代の流れを知り現在の山本の風景を改めて見てみると、何とも言えない気分になりますね。しかも駅員無配置になってしまいましたし。
しかしながら駅員無配置の分岐駅となった今、確かに寂しい雰囲気ですが、備後落合のそれとは明らかに違いますよね?というより、駅員無配置の方が現在では当たり前になり珍しくなくなってしまいました。地方の方にとって鉄道とは、そして駅とは首都圏などの都市部に住まわれる方とは明らかに違う感性であろうと思います。
<山本駅が本当に賑わったのは、この辺りが石炭で賑わっていた頃でしょうね。>
まさに、鉄道と石炭は切っても切れない仲なのでしょうか。現代シーンにおいて石炭全盛の頃よりは間違えなく鉄道自体の性能は上がっているはずですが、利用者が反比例(?)して減っていくという、何とも辛い現実ですね。
そして筑肥線が分断された1983年、それまで唐津市民は行き先によって「山本」「東唐津」「唐津」などと鉄道利用駅を使い分けていましたが、唐津に統一されていっそ便利になりましたね。そしてそんな時代の流れを知り現在の山本の風景を改めて見てみると、何とも言えない気分になりますね。しかも駅員無配置になってしまいましたし。
しかしながら駅員無配置の分岐駅となった今、確かに寂しい雰囲気ですが、備後落合のそれとは明らかに違いますよね?というより、駅員無配置の方が現在では当たり前になり珍しくなくなってしまいました。地方の方にとって鉄道とは、そして駅とは首都圏などの都市部に住まわれる方とは明らかに違う感性であろうと思います。
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それはともかく、確かに地味ながらも「要衝」的なところですよね。なので、無人化されているというのは広島の「備後落合」並みに驚きました。分岐点でありながら無人駅というのは、今はさほど珍しくもないかもしれませんが、それでも駅舎や配線に国鉄時代の面影を感じるのは、せめてもの救いかもしれません。