一筆書き乗車
2016-03-24
一筆書き乗車・・・私はかつて、小学校の卒業文集で「一区間乗車」というタイトルで文面を寄せている。「大回り乗車」とも言うが、ここでは「一筆書き」で統一して話を進めてみよう。

(鶴見線と言えば、私が小学校の頃までは旧型国電が活躍した。特に大川支線は1996年まで活躍。ある意味スゴイ出来事だ。)
「一筆書き」とはレール事情に詳しくない方のために少々補足説明させて頂くと「出発地から目的地までの運賃計算に関して、実際の乗車経路に関わらず最短距離で計算する」というJRの運賃計算ルールがある。という事はつまり、わかりやすく言うと、東京から神田までの乗車券を買い、山手線外回りで東京から品川・渋谷・池袋などを経由して遠回りで神田に向かうが料金は内回りのまま、という事である。それを拡大解釈したものが一筆書き乗車という事だ。私が「小学生の卒業文集で文面を寄せた」という事は1970年代後半にはそういう概念が世に出回っていた事であろう。しかも小学生が知っているのであるからその事柄は既に一般的であったのだろう。

(こちらも大川駅にて撮影。恐らく晩年と思われるが、私が注目したのは貨物側線である。雑草などの「障害物」が無いのを考えると、まだまだ貨物がそれなりに健在であった時代なのであろう。)
小学生当時はかなりこの手法で首都圏の鉄道路線を巡っていた。もちろんそれは国鉄(当時)に限られるが、ちょうどその頃「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンが始まり、その一筆書きの人気に拍車をかけた感じだ。そして私も「いい旅~」のガイドブックを片手に首都圏を中心に乗りつぶしたり上野駅などに写真を撮影に行ったものだ。
1980年代、RJ社(当時)発行の「旅と鉄道」というレール雑誌では、この一筆書き乗車に関してかなり盛り上がった記憶があったのでバックナンバーを引っ張り出し確認してみた。それは私がこのブログで度々紹介してる「種村直樹の汽車旅相談室」での事である。その内容というのは、一筆書き乗車中に例えば相模線の寒川支線(当時、現在は廃止)に乗車したくなった場合、別途寒川~西寒川の往復乗車券を買い往復するのは有効か?みたいな内容である。この話題は大きな反響を呼び様々な論議が飛び交った。このコーナーの管理人である種村氏は「西寒川支線や鶴見線枝線の乗車は可能」とハッキリ言っているし、それこそ鶴見線で実際に全ての支線を堂々と乗車した者もいるとも記され、そう判断した車掌も立派とも記されていた。つまり、東京から神田までの乗車券で東海道線や相模線を経由し、途中で終端駅がある支線を往復するという事は「可能」だ、という内容である。

(私が小学生高学年になるとご覧の列車が活躍し始めた。いよいよ鶴見線も近代化の波が押し寄せた印象であった。)
この件の種村直樹氏の回答のタイトルは「違法ではないが感心しません」であったが、次回では色々な読者の規則解釈の例を挙げ、結局「規則上も解釈上も疑問で、やめよう」に変更している。種村氏と言えば、当時はこの「旅と鉄道」の自身のコーナーでかなりの「鉄道規則」を駆使し自らをアピールしていた感があった。このコーナーの記事を読んだ当時中学生であった私は「やたら規則に詳しい人だな」と感心していたが、今回の件に関しては、回数を跨いで解釈を変更するのは珍しい部類であった。つまり普段から規則・規則と言っていてもこの件に関してはかなり気持ち的に揺らいでいたのであろう。やはり最終的には個人の解釈の仕方であるのかなという私の印象であった。

(こちらは南武支線側の浜川崎である。浜川崎といえば南武支線側の駅にはかつて駅員が配置されていた。一筆書き乗車の際は、中間改札のある鶴見と共にひとつのポイントとなる場所であった。)
さて、皆様はこの「一筆書きによる別途乗車」をどう感じるであろうか。私的にはやはり「違法」であると思うし、現在では「青春18」やその他フリーきっぷも多数存在する。そういう切符を駆使し、堂々と鉄道路線を巡った方が肩身の狭い思いをせずに済むであろう。そして楽しさも倍増する。私自身も一筆書きの経験はあるし、一筆書き自体を否定する気持ちは毛頭ない。だが、やはり鶴見線が最大のネックとなり冒険でもあった。事実、浜川崎で南武支線から鶴見線に乗り換える際に駅員とトラブルがあった。当時小学生であった私はあえて一筆書きのルールなど駅員にいちいち説明しようとは思わなかったし時間もなかったので正規料金を支払い改札を通過したが、やはり後味が悪く肩身の狭い思いをした。だからこそ言えるのであるが、やはりそういった「規則」などにこだわるよりも、フリーきっぷなどで堂々と巡ったほうが清々しい。そしてなにより「規則」を連呼していた種村氏でさえこの時は規則を「解釈の仕方」的なニュアンスになっていたから尚更だ。規則って何だろう・・・

(そしてこんな電車も活躍していた。首都圏において近年ではすっかり姿を見ることができなくなってしまったが、確かにかつては首都圏の「主役」であった。)
現在ではマスルが進化し、切符の発行が完全に自動化されているので、それこそショッピングモールなどにある旅行会社などでも気軽に切符が購入できるようになった。近年の鉄道路線乗り潰し等で私はこうした場所でよく切符を購入していた。が、やはり私の買う切符はある意味特殊でマニアックの場合が多かったため、売り手もかなり悩む場面があったと思う。しかしながら嫌な顔ひとつせずに私の要求に抜かりなく答えてくれたのが今でも嬉しく感じるし感謝の思いである。だからこそ「いい旅を」と逆に行く前から胸が膨らむ。

(そしてこんな電車も登場した。時代を反映した機能を装備しているが、そんな機能も現在では当たり前の機能になっている。そして呼び名も「省エネ」から「エコ」に変化し、機能も更に進化した。)
近年では新規開業路線のラッシュで、訪問しなければならない路線が増えてしまった。「鉄道路線乗り潰し」とは永遠のテーマであり終わりは無い。だから面白いのかも知れない。そしてそんな旅を心から楽しんでいる自分自身をこれからも維持していかなければならない。これは大変な作業であるが、だからこそ達成した時の喜びも大きいであろう。さて・・・次なる訪問先はどこになるであろうか・・・
✩実は・・・この記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供でした。

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(鶴見線と言えば、私が小学校の頃までは旧型国電が活躍した。特に大川支線は1996年まで活躍。ある意味スゴイ出来事だ。)
「一筆書き」とはレール事情に詳しくない方のために少々補足説明させて頂くと「出発地から目的地までの運賃計算に関して、実際の乗車経路に関わらず最短距離で計算する」というJRの運賃計算ルールがある。という事はつまり、わかりやすく言うと、東京から神田までの乗車券を買い、山手線外回りで東京から品川・渋谷・池袋などを経由して遠回りで神田に向かうが料金は内回りのまま、という事である。それを拡大解釈したものが一筆書き乗車という事だ。私が「小学生の卒業文集で文面を寄せた」という事は1970年代後半にはそういう概念が世に出回っていた事であろう。しかも小学生が知っているのであるからその事柄は既に一般的であったのだろう。

(こちらも大川駅にて撮影。恐らく晩年と思われるが、私が注目したのは貨物側線である。雑草などの「障害物」が無いのを考えると、まだまだ貨物がそれなりに健在であった時代なのであろう。)
小学生当時はかなりこの手法で首都圏の鉄道路線を巡っていた。もちろんそれは国鉄(当時)に限られるが、ちょうどその頃「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンが始まり、その一筆書きの人気に拍車をかけた感じだ。そして私も「いい旅~」のガイドブックを片手に首都圏を中心に乗りつぶしたり上野駅などに写真を撮影に行ったものだ。
1980年代、RJ社(当時)発行の「旅と鉄道」というレール雑誌では、この一筆書き乗車に関してかなり盛り上がった記憶があったのでバックナンバーを引っ張り出し確認してみた。それは私がこのブログで度々紹介してる「種村直樹の汽車旅相談室」での事である。その内容というのは、一筆書き乗車中に例えば相模線の寒川支線(当時、現在は廃止)に乗車したくなった場合、別途寒川~西寒川の往復乗車券を買い往復するのは有効か?みたいな内容である。この話題は大きな反響を呼び様々な論議が飛び交った。このコーナーの管理人である種村氏は「西寒川支線や鶴見線枝線の乗車は可能」とハッキリ言っているし、それこそ鶴見線で実際に全ての支線を堂々と乗車した者もいるとも記され、そう判断した車掌も立派とも記されていた。つまり、東京から神田までの乗車券で東海道線や相模線を経由し、途中で終端駅がある支線を往復するという事は「可能」だ、という内容である。

(私が小学生高学年になるとご覧の列車が活躍し始めた。いよいよ鶴見線も近代化の波が押し寄せた印象であった。)
この件の種村直樹氏の回答のタイトルは「違法ではないが感心しません」であったが、次回では色々な読者の規則解釈の例を挙げ、結局「規則上も解釈上も疑問で、やめよう」に変更している。種村氏と言えば、当時はこの「旅と鉄道」の自身のコーナーでかなりの「鉄道規則」を駆使し自らをアピールしていた感があった。このコーナーの記事を読んだ当時中学生であった私は「やたら規則に詳しい人だな」と感心していたが、今回の件に関しては、回数を跨いで解釈を変更するのは珍しい部類であった。つまり普段から規則・規則と言っていてもこの件に関してはかなり気持ち的に揺らいでいたのであろう。やはり最終的には個人の解釈の仕方であるのかなという私の印象であった。

(こちらは南武支線側の浜川崎である。浜川崎といえば南武支線側の駅にはかつて駅員が配置されていた。一筆書き乗車の際は、中間改札のある鶴見と共にひとつのポイントとなる場所であった。)
さて、皆様はこの「一筆書きによる別途乗車」をどう感じるであろうか。私的にはやはり「違法」であると思うし、現在では「青春18」やその他フリーきっぷも多数存在する。そういう切符を駆使し、堂々と鉄道路線を巡った方が肩身の狭い思いをせずに済むであろう。そして楽しさも倍増する。私自身も一筆書きの経験はあるし、一筆書き自体を否定する気持ちは毛頭ない。だが、やはり鶴見線が最大のネックとなり冒険でもあった。事実、浜川崎で南武支線から鶴見線に乗り換える際に駅員とトラブルがあった。当時小学生であった私はあえて一筆書きのルールなど駅員にいちいち説明しようとは思わなかったし時間もなかったので正規料金を支払い改札を通過したが、やはり後味が悪く肩身の狭い思いをした。だからこそ言えるのであるが、やはりそういった「規則」などにこだわるよりも、フリーきっぷなどで堂々と巡ったほうが清々しい。そしてなにより「規則」を連呼していた種村氏でさえこの時は規則を「解釈の仕方」的なニュアンスになっていたから尚更だ。規則って何だろう・・・

(そしてこんな電車も活躍していた。首都圏において近年ではすっかり姿を見ることができなくなってしまったが、確かにかつては首都圏の「主役」であった。)
現在ではマスルが進化し、切符の発行が完全に自動化されているので、それこそショッピングモールなどにある旅行会社などでも気軽に切符が購入できるようになった。近年の鉄道路線乗り潰し等で私はこうした場所でよく切符を購入していた。が、やはり私の買う切符はある意味特殊でマニアックの場合が多かったため、売り手もかなり悩む場面があったと思う。しかしながら嫌な顔ひとつせずに私の要求に抜かりなく答えてくれたのが今でも嬉しく感じるし感謝の思いである。だからこそ「いい旅を」と逆に行く前から胸が膨らむ。

(そしてこんな電車も登場した。時代を反映した機能を装備しているが、そんな機能も現在では当たり前の機能になっている。そして呼び名も「省エネ」から「エコ」に変化し、機能も更に進化した。)
近年では新規開業路線のラッシュで、訪問しなければならない路線が増えてしまった。「鉄道路線乗り潰し」とは永遠のテーマであり終わりは無い。だから面白いのかも知れない。そしてそんな旅を心から楽しんでいる自分自身をこれからも維持していかなければならない。これは大変な作業であるが、だからこそ達成した時の喜びも大きいであろう。さて・・・次なる訪問先はどこになるであろうか・・・
✩実は・・・この記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供でした。

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コメント
私も昔は「一筆書き」と言ってました
すんや様
コメントありがとうございます。
初めに、種村氏が他界していた事は、実は昨日知りました。ちょくちょく種村氏のホームページなどは訪問していたのですが、あまりにまさかの出来事を1年以上知らなかったという事もあり、「よろしく哀愁~」を一旦お休みにして種村氏関連の記事をアップしてみました。
そして本題の「別途乗車」の件ですが、こうして私自身、取り上げている立場でさえ、この記事のアップ後に違法か合法かわからなくなってしまいました。もちろん、普通の常識的に考えた場合、余裕で「違法」だと思います。ですが、それこそ「規則」を細かく詰めていけは詰めていくほど謎は深まるばかりです。
ただ、「実は<大回り乗車>がちょっとしたブームになった数年前、四半世紀ぶりくらいで大回り乗車をやってみたんですが」とは実に素敵ですね。というより、この現代シーンにおいてそれを行動に移したという事はとても評価出来ます。って、私は評論家でもなんでもないし、すんやさんを評価する立場でも身分でもないのですが・・・
ただ「経路を説明する」や「鶴見駅」の件など私が経験したことのない事象が発生し、すんやさんがそれを経験しているのは実に有効であると思いますし、そういう経験ができて逆に羨ましい限りです。
「一筆書き」はもとより、それによる「別途乗車」は「白か黒か」で問いただした場合、間違えなく、限りなく「グレー」だと思います。
それよりフリーきっぷなどで訪問した方が全然楽しいですよね?恐らく100万倍くらいの差は出る事でしょう。
初めに、種村氏が他界していた事は、実は昨日知りました。ちょくちょく種村氏のホームページなどは訪問していたのですが、あまりにまさかの出来事を1年以上知らなかったという事もあり、「よろしく哀愁~」を一旦お休みにして種村氏関連の記事をアップしてみました。
そして本題の「別途乗車」の件ですが、こうして私自身、取り上げている立場でさえ、この記事のアップ後に違法か合法かわからなくなってしまいました。もちろん、普通の常識的に考えた場合、余裕で「違法」だと思います。ですが、それこそ「規則」を細かく詰めていけは詰めていくほど謎は深まるばかりです。
ただ、「実は<大回り乗車>がちょっとしたブームになった数年前、四半世紀ぶりくらいで大回り乗車をやってみたんですが」とは実に素敵ですね。というより、この現代シーンにおいてそれを行動に移したという事はとても評価出来ます。って、私は評論家でもなんでもないし、すんやさんを評価する立場でも身分でもないのですが・・・
ただ「経路を説明する」や「鶴見駅」の件など私が経験したことのない事象が発生し、すんやさんがそれを経験しているのは実に有効であると思いますし、そういう経験ができて逆に羨ましい限りです。
「一筆書き」はもとより、それによる「別途乗車」は「白か黒か」で問いただした場合、間違えなく、限りなく「グレー」だと思います。
それよりフリーきっぷなどで訪問した方が全然楽しいですよね?恐らく100万倍くらいの差は出る事でしょう。
こんにちは。
一筆書き、大回り乗車、私も数年前にやってみました。初めてのことです。
始発駅で切符を買い、経路が重ならないように首都圏を大きく迂回し、丸1日かけて始発駅の2つ先の駅へ。
詳しくは知らず自動改札に切符を入れたところ閉まってしまい、窓口で、大回り乗車をしていたこと、経路の説明が可能であることを申し出たところ、そのまま通してくれました。
そのときの改札の方の雰囲気から、あくまでも信用ベースでの取り扱いなのだと実感しました。実際には、私は大回りではなく他の悪事を働いているかもしれないわけですが、経路説明可能の一言でルール内だと信用してくれた、ということですね。
大回り自体が、そのような非合理な行動を想定していないであろう規則の裏をかくようなものですので、是非を突き詰めようとしてもあまり意味はないのでしょうね。
個人的には、途中下車(改札外に出ること)が一切できないことが、こんなにつらいとは思いもしませんでした。
やるからにはと、早朝の電車に乗り終電近くまで列車に乗っていたのですが、駅の中でも食事はとれるだろうくらいに思っていました。が、(当たり前ですが)くつろげるような店はなく、コーヒー一杯飲める駅も数は少ないものです。
やはりフリーきっぷなどを活用して、本当に思いのままに駅からも出て散歩できるくらいの方が、私には合っていると実感しました…(または、あまり欲張らずに数時間から半日程度で帰ってくる工程にするか、ですね)
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
一筆書き、大回り乗車、私も数年前にやってみました。初めてのことです。
始発駅で切符を買い、経路が重ならないように首都圏を大きく迂回し、丸1日かけて始発駅の2つ先の駅へ。
詳しくは知らず自動改札に切符を入れたところ閉まってしまい、窓口で、大回り乗車をしていたこと、経路の説明が可能であることを申し出たところ、そのまま通してくれました。
そのときの改札の方の雰囲気から、あくまでも信用ベースでの取り扱いなのだと実感しました。実際には、私は大回りではなく他の悪事を働いているかもしれないわけですが、経路説明可能の一言でルール内だと信用してくれた、ということですね。
大回り自体が、そのような非合理な行動を想定していないであろう規則の裏をかくようなものですので、是非を突き詰めようとしてもあまり意味はないのでしょうね。
個人的には、途中下車(改札外に出ること)が一切できないことが、こんなにつらいとは思いもしませんでした。
やるからにはと、早朝の電車に乗り終電近くまで列車に乗っていたのですが、駅の中でも食事はとれるだろうくらいに思っていました。が、(当たり前ですが)くつろげるような店はなく、コーヒー一杯飲める駅も数は少ないものです。
やはりフリーきっぷなどを活用して、本当に思いのままに駅からも出て散歩できるくらいの方が、私には合っていると実感しました…(または、あまり欲張らずに数時間から半日程度で帰ってくる工程にするか、ですね)
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
風旅記様
コメントありがとうございます。
私は学生時代にはよく一筆書きで東京方面へ出向きましたが、やはり改札の外に出られないのが一番不便さを感じましたね。そして鶴見線などのような終端駅がある路線には行かれないし、特に鶴見線に関しては鶴見には中間改札が、浜川崎では南武線側に駅員がいる事で鶴見線との乗り換えにプレッシャーを感じる事が何よりも不便でした(現在は南武線側も無人ですが)。
そしてこの章のテーマでもある「一筆書きによる別途乗車」は鉄道規則の解釈について最も考えさせられる事でしょう。何より鉄道規則に詳しい種村直樹氏も解釈の仕方に戸惑っていたくらいですから。
逆に言えば、戸惑っていたり不便さを感じるくらいなら最初からフリーきっぷを買えば思う存分楽しめる事ですよね。規則の解釈よりももっと重要な事・・・「楽しむ」ということが最大のテーマですよね。そのテーマが消化できなければ列車に乗っていても「消化不良」になってしまいそうな感じです。そう、私たちは規則の解釈のために列車に乗るのではなく楽しむために乗るのですから。
私は学生時代にはよく一筆書きで東京方面へ出向きましたが、やはり改札の外に出られないのが一番不便さを感じましたね。そして鶴見線などのような終端駅がある路線には行かれないし、特に鶴見線に関しては鶴見には中間改札が、浜川崎では南武線側に駅員がいる事で鶴見線との乗り換えにプレッシャーを感じる事が何よりも不便でした(現在は南武線側も無人ですが)。
そしてこの章のテーマでもある「一筆書きによる別途乗車」は鉄道規則の解釈について最も考えさせられる事でしょう。何より鉄道規則に詳しい種村直樹氏も解釈の仕方に戸惑っていたくらいですから。
逆に言えば、戸惑っていたり不便さを感じるくらいなら最初からフリーきっぷを買えば思う存分楽しめる事ですよね。規則の解釈よりももっと重要な事・・・「楽しむ」ということが最大のテーマですよね。そのテーマが消化できなければ列車に乗っていても「消化不良」になってしまいそうな感じです。そう、私たちは規則の解釈のために列車に乗るのではなく楽しむために乗るのですから。
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別途乗車区間の乗車券を持っていても、土台となる選択乗車の前提条件とはつながらないと思いますし。
ちなみに私も当時この乗車方法は何度か利用してますが、「一筆書き乗車」がある程度浸透していたのか鶴見駅や浜川崎駅でのトラブルに遭遇したことはありませんでした。
(鶴見駅では不審に思った改札係が上司と思わしき駅員さんに確認したところ「最近そういうの多いんだよ」ということで改札を通してもらいました)
実は「大回り乗車」がちょっとしたブームになった数年前、四半世紀ぶりくらいで大回り乗車をやってみたんですが、下車駅の改札ではそこまでの経路を説明するように言われ、プリントした行程表を見せて確認してもらったりと一応の不正利用者に対する対策はしているようでした。
乗車中は当時の様子を思い出しつつ懐かしさに浸ったりもしましたが、やはり改札を出られないことや決まった経路で決まった列車に乗車しなければならない不自由さに「一筆書きはもういいかな」と思いました。
「肩身の狭い思い」をしなくて済みますしね。
現在では幸いなことにホリデーパスなどのフリーきっぷがあるので、これらを利用して気になった駅で気ままに途中下車してみる、といった旅の方が面白いんじゃないかと感じています。