更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑪
2016-05-10
行橋からは平成筑豊鉄道田川線に乗り換える。1979年に私が寝台特急「富士」で初めて九州の地を踏んだ時、ここ行橋は確か高架駅ではなかった。そして現在は特急列車は全て停車するが、1979年は「富士」は通過していた。確か「にちりん」も一部の列車以外は通過していた。私にしてみたら地味な印象であったが、やがて急行が廃止になり、特急も行橋に停車するようになってきて現在に至っている訳である。そしていつの間にか高架駅になり立派に成長した。そんな行橋から乗る田川線はなんとなくローカル線を制覇する雰囲気には程遠い感じであった。

(田川伊田では昭和の景色が見られる。こうして「石炭」の時代がしっかりと姿を残しているのもかなり貴重だ。)
などと思っていたら、発車してまもなく、一般に好まれるローカル線的風景がすぐに飛び込んできた。歴史を調べてみるとその答えは一目瞭然で、石炭を直方や後藤寺方面、いわゆる筑豊炭田から日豊本線の苅田港(貨物駅)に輸送するために敷かれたとなっていた。苅田と言えば、現在は北九州空港に近いので空港の最寄駅であるが、空港は埋め立ての人工島にあるためやや離れている。そのためわざわざ苅田まで列車で来てバスに乗り換え空港目指す人はごく稀であろう。恐らく小倉辺りからリムジンバスで向かうのが「正統派」かも知れない。

(勾金ではやや「熱い視線」が注がれてしまった。レールファンは肩身の狭い思いを常にしなければならないのか・・・)
と話が逸れたが、やはり最初から旅客でカネ儲けをしようなどとは考えずに敷かれた路線である事は景色を見ればわかるが、それでも昔は炭鉱などで働く人達やその家族を乗せ賑わった事であろう。途中に油須原があるが、そこからはご存知、添田線の大任を経由し豊前川崎に至る「油須原線」なる未成線が存在した。もちろん石炭輸送のために計画されたものであるから現在は計画自体が頓挫しているが、当時営業していた上山田線や漆生線等とともに石炭輸送の大動脈となる予定であった。現在、油須原線の一部がトロッコ的な観光路線として活躍しているらしい。機会があれば是非訪問してみたいものだ。

(最近紹介した「才田」は漆生線に所属していた。漆生線は油須原線・上山田線と共に石炭輸送で活躍するはずであったが、現在は周知の状況である。)
やがて私の乗った列車は田川伊田で乗り換えなしで金田に到着した。ここで一旦糸田線を往復する。糸田線は全長6.8kmと非常に短い路線であるが、後藤寺から金田まで伊田線とそれほど離れていない場所で運転されている。なぜここまでして鉄道路線が必要であるのかと思ってしまうが、やはりこれは歴史的背景、つまり石炭輸送と深い結び付きがあるのだ。というより、現在の今まで、良く糸田線が残っているなと逆に感心してしまう。それくらい現在でも需要があるのか。もちろん、その需要とは旅客であるが・・・

(金田で再び乗り換える。私にしてみたらこういった車両は新しい部類に入る。)
金田に戻り再び伊田線に乗る。そういえば伊田線の特徴は何といっても複線である事だ。若いレールファンは、というより私もであるが、この伊田線に関しては沿線風景的に複線である事が異様な色彩を放っている印象であろう。もちろんこれも歴史的背景の名残であるが、かつては複線にしなければ輸送が間に合わないくらいに貨物量が豊富であったのだろう。現在の伊田線の姿をかつては想像できたであろうか。一両編成の列車が複線区間ですれ違う・・・何とも矛盾している風景だ。しかも非電化であるから尚更で、恐らくJR以外の民鉄では関東鉄道とここだけであろう非電化複線区間。そんな歴史的重みを感じながら私は直方に降り立った。

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(田川伊田では昭和の景色が見られる。こうして「石炭」の時代がしっかりと姿を残しているのもかなり貴重だ。)
などと思っていたら、発車してまもなく、一般に好まれるローカル線的風景がすぐに飛び込んできた。歴史を調べてみるとその答えは一目瞭然で、石炭を直方や後藤寺方面、いわゆる筑豊炭田から日豊本線の苅田港(貨物駅)に輸送するために敷かれたとなっていた。苅田と言えば、現在は北九州空港に近いので空港の最寄駅であるが、空港は埋め立ての人工島にあるためやや離れている。そのためわざわざ苅田まで列車で来てバスに乗り換え空港目指す人はごく稀であろう。恐らく小倉辺りからリムジンバスで向かうのが「正統派」かも知れない。

(勾金ではやや「熱い視線」が注がれてしまった。レールファンは肩身の狭い思いを常にしなければならないのか・・・)
と話が逸れたが、やはり最初から旅客でカネ儲けをしようなどとは考えずに敷かれた路線である事は景色を見ればわかるが、それでも昔は炭鉱などで働く人達やその家族を乗せ賑わった事であろう。途中に油須原があるが、そこからはご存知、添田線の大任を経由し豊前川崎に至る「油須原線」なる未成線が存在した。もちろん石炭輸送のために計画されたものであるから現在は計画自体が頓挫しているが、当時営業していた上山田線や漆生線等とともに石炭輸送の大動脈となる予定であった。現在、油須原線の一部がトロッコ的な観光路線として活躍しているらしい。機会があれば是非訪問してみたいものだ。

(最近紹介した「才田」は漆生線に所属していた。漆生線は油須原線・上山田線と共に石炭輸送で活躍するはずであったが、現在は周知の状況である。)
やがて私の乗った列車は田川伊田で乗り換えなしで金田に到着した。ここで一旦糸田線を往復する。糸田線は全長6.8kmと非常に短い路線であるが、後藤寺から金田まで伊田線とそれほど離れていない場所で運転されている。なぜここまでして鉄道路線が必要であるのかと思ってしまうが、やはりこれは歴史的背景、つまり石炭輸送と深い結び付きがあるのだ。というより、現在の今まで、良く糸田線が残っているなと逆に感心してしまう。それくらい現在でも需要があるのか。もちろん、その需要とは旅客であるが・・・

(金田で再び乗り換える。私にしてみたらこういった車両は新しい部類に入る。)
金田に戻り再び伊田線に乗る。そういえば伊田線の特徴は何といっても複線である事だ。若いレールファンは、というより私もであるが、この伊田線に関しては沿線風景的に複線である事が異様な色彩を放っている印象であろう。もちろんこれも歴史的背景の名残であるが、かつては複線にしなければ輸送が間に合わないくらいに貨物量が豊富であったのだろう。現在の伊田線の姿をかつては想像できたであろうか。一両編成の列車が複線区間ですれ違う・・・何とも矛盾している風景だ。しかも非電化であるから尚更で、恐らくJR以外の民鉄では関東鉄道とここだけであろう非電化複線区間。そんな歴史的重みを感じながら私は直方に降り立った。

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