更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑬
2016-05-18
黒崎より「ソニック」に乗り博多で「かもめ」に乗り換える。何とも黄金パターンの乗り換えであるが、とにかく乗り換え時間が7分しかない。しかも違うホームで階段を使わなければならず、しかも周遊券のため自由席の確保をしなければならない。全く旅情に浸っている暇はなく、ただただ慌ただしさが続く。特急同士の乗り換えはもう少し配慮して欲しいよな~みたいな事を言いながら座席に着き、既に氷結的時間を迎えているという事はしっかり自由席を確保していたという事であるが、これから先はちょっと変則的な行程になる。妻は今夜の宿となる長崎まで先に行ってもらうが、私は諫早で下車し「旧線」を制覇しなければならない。つまり諫早から別行動になるという事だ。なんてなんでも無い事であるが、妻は宿を探せられるか不安がいっぱいであったようだ。と言っても、普通に長崎駅から見える距離だし、超有名なビジネスホテルであるから道行く人に聞けば必ずやたどり着ける事であろう。

(博多で「かもめ」に乗り換える。「ソニック」~「かもめ」への乗り換えはJR九州の黄金パターンであろうが、できることなら同一ホームでの乗り換えが好ましいであろう。)
そんな訳で、諫早で妻に別れを告げた私は早速非電化区間の旧線に向かうDCに乗り込む。初、長崎本線旧線区間。いわゆる「長与経由」である。私の気になる駅は文字通り「長与」であるが、それ以上に気になっていたのがご存知「本川内」であった。もちろんレールファンならその辺の事情を察しておられようが、私は事前知識が1980年代であったので現場に着いて「アレ?」と拍子抜けしてしまった。そう、スイッチバックが解消されていたのだ。調べてみたら2002年に現在の姿になったようなので、訪問時にはスイッチバックが解消されて既に10年弱が経過していた事になる。正直言ってがっかりしてしまったが、今もこうして旧線が残っているだけでも逆に嬉しい材料として受け入れなければならないと思った。そう、無くなってしまったらそういう体験もできないのだから。そんな感じで妻より確か40分くらいの時間差で長崎入りをした。既に夜8時半を回っていたので疲労困憊であった。

(旧線の代表駅と言えば長与であろう。まぁ、一部の方には「クラッシュ」的なイメージもあろうが、同じく旧線の本川内も魅力たっぷりの駅である。)
翌日は、長崎市内の観光を含め市電の制覇に挑んだ。市電を全て乗るという作業はなかなか面白いもの。通常の列車に乗っているより何というか庶民的な雰囲気がとても良い。もちろん、場所柄か観光客の姿も少なくないが、私のような「もの好き」は恐らく当日は私が唯一の「代表」であったろう。そんな私も長崎に訪れるのは3回目であったので、特に前回は確か高校の修学旅行だったので懐かしかった。もちろん当時とはかなり街の印象が変わっているが。


(新旧の車両が入り混じる長崎市内線。観光客にも重宝され、生活と併せての二面性が面白い。)
そんな観光気分で路面電車を乗っているうちに九州の鉄道路線全線制覇の時がいつの間にかやってきていた。それは石橋電停に着いた瞬間であった。その後長崎駅まで路面電車で帰ってくるとようやくそんな実感が湧いてきた。後は帰路に着くだけ。駅前のスーパーでお土産や氷結的飲料をしっかりと買い込み最後の列車に向かった。普通ならこのまま終わってしまうのであるが、この最後の列車にもお楽しみを取っておいた。九州新幹線全通の余波で特急車両の787系が余剰になり九州全土に散らばった。その恩恵を受け、帰路に着く「かもめ」をわざわざ787系に標的を合わせた。もうお分かりであろう。そう、あの「個室」にお世話になるためだ。その模様はこちらで詳しく紹介しているので是非ご覧いただきたい。


(一応長崎に来たのだからひと通り観光も楽しんだ。ご覧の他に「ちゃんぽん」なども堪能し「旅と鉄道」を実践した形であった。)
先述したが、もし私が他界し、いなくなっても旅の記録と記憶は残されていく。とりわけ私はこの世で特別な存在もないが、一応この世に生まれてきたという「証」みたいな物をこうして残せているのがちょっぴり嬉しい。そしてこのブログをご覧の皆様が次回旅に出る時、少しでも私の体験がお役に立てればなお素晴らしい事と思う。
さて、ふと思った。「旅って何だろう・・・」と。わかっていながらわからない。多分私は自分の「居場所」を見つけに旅に出るのであろう。そんな事を考えながら飛行機の小窓から外を見ると福岡空港がだんだん小さくなっていった。

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(博多で「かもめ」に乗り換える。「ソニック」~「かもめ」への乗り換えはJR九州の黄金パターンであろうが、できることなら同一ホームでの乗り換えが好ましいであろう。)
そんな訳で、諫早で妻に別れを告げた私は早速非電化区間の旧線に向かうDCに乗り込む。初、長崎本線旧線区間。いわゆる「長与経由」である。私の気になる駅は文字通り「長与」であるが、それ以上に気になっていたのがご存知「本川内」であった。もちろんレールファンならその辺の事情を察しておられようが、私は事前知識が1980年代であったので現場に着いて「アレ?」と拍子抜けしてしまった。そう、スイッチバックが解消されていたのだ。調べてみたら2002年に現在の姿になったようなので、訪問時にはスイッチバックが解消されて既に10年弱が経過していた事になる。正直言ってがっかりしてしまったが、今もこうして旧線が残っているだけでも逆に嬉しい材料として受け入れなければならないと思った。そう、無くなってしまったらそういう体験もできないのだから。そんな感じで妻より確か40分くらいの時間差で長崎入りをした。既に夜8時半を回っていたので疲労困憊であった。

(旧線の代表駅と言えば長与であろう。まぁ、一部の方には「クラッシュ」的なイメージもあろうが、同じく旧線の本川内も魅力たっぷりの駅である。)
翌日は、長崎市内の観光を含め市電の制覇に挑んだ。市電を全て乗るという作業はなかなか面白いもの。通常の列車に乗っているより何というか庶民的な雰囲気がとても良い。もちろん、場所柄か観光客の姿も少なくないが、私のような「もの好き」は恐らく当日は私が唯一の「代表」であったろう。そんな私も長崎に訪れるのは3回目であったので、特に前回は確か高校の修学旅行だったので懐かしかった。もちろん当時とはかなり街の印象が変わっているが。


(新旧の車両が入り混じる長崎市内線。観光客にも重宝され、生活と併せての二面性が面白い。)
そんな観光気分で路面電車を乗っているうちに九州の鉄道路線全線制覇の時がいつの間にかやってきていた。それは石橋電停に着いた瞬間であった。その後長崎駅まで路面電車で帰ってくるとようやくそんな実感が湧いてきた。後は帰路に着くだけ。駅前のスーパーでお土産や氷結的飲料をしっかりと買い込み最後の列車に向かった。普通ならこのまま終わってしまうのであるが、この最後の列車にもお楽しみを取っておいた。九州新幹線全通の余波で特急車両の787系が余剰になり九州全土に散らばった。その恩恵を受け、帰路に着く「かもめ」をわざわざ787系に標的を合わせた。もうお分かりであろう。そう、あの「個室」にお世話になるためだ。その模様はこちらで詳しく紹介しているので是非ご覧いただきたい。


(一応長崎に来たのだからひと通り観光も楽しんだ。ご覧の他に「ちゃんぽん」なども堪能し「旅と鉄道」を実践した形であった。)
先述したが、もし私が他界し、いなくなっても旅の記録と記憶は残されていく。とりわけ私はこの世で特別な存在もないが、一応この世に生まれてきたという「証」みたいな物をこうして残せているのがちょっぴり嬉しい。そしてこのブログをご覧の皆様が次回旅に出る時、少しでも私の体験がお役に立てればなお素晴らしい事と思う。
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