<サンライズ>でサンライズ!(リメイク版)
2012-12-30
東京発のブルートレインが、時代と共に衰退して行き始めた頃、テコ入れされる動きが出てきた。車両の老朽化や運転士の後継者問題もあり、新型車両の作成が検討された。改造車ではなく新型電車とし、内装設計は鉄道とは全く関係ない某住宅メーカーが携った。そうして生まれたのが「285系」である。過去に583系が電車寝台として初めてこの世に生まれたが、昼・夜兼用のため、今回の285系は純粋に「電車寝台」である。行き先の検討がなされた結果、九州ではなく飛行機航路でも十分に対抗できる「出雲」と「瀬戸」に決まった。そのため瀬戸に関しては、羽田発の最終便の出発時刻後に東京を出発し、羽田を始発で出る便が高松に到着する前の時刻に到着するようダイヤ設定がされている。出雲に関しては若干違うが、それでも列車の方が有利であろう。これで「瀬戸」「出雲」が甦ったのである。

2007年9月、四国鉄道乗り潰しのアプローチとして選んだのが<サンライズ>であった。横浜を22時24分に出発した<サンライズ>は定刻どおり四国「高松」を目指した。初めて乗る285系の車内は、木目を基調とする内装は実に圧巻であり、落ち着いた雰囲気を漂わせる。<サンライズ>はオール個室の寝台列車であるが、唯一「開放型寝台」を思わせる「ノビノビ座席」がある。殆んど「寝台」のような設計だが、簡易毛布一枚があるのみで、あくまでも「座席」であるため値段もリーズナブル。特急料金と運賃で乗車できるのだ。私もこの日は「ノビノビ座席」を利用しての旅である。以降、シングルツイン、サンライズツインと何度も利用しているが、この時の「初」サンライズ乗車時は、豊橋より西へ行くのは20年振り、寝台特急に乗るのは実に30年振りである。興奮しないわけが無い!見慣れた東海道線の景色もなんだかいつもと違う。乗車率もほぼ満席であり、平日ながら女性の顔もちらほら見かけた。鉄道ファンでなく、一般人にも普通に利用されてるのが実に嬉しかった、と言っても私は鉄道関係者ではないのだが・・・とにかく翌朝の岡山までは実に素晴らしい乗車率である。ホームを見ると、列車を降りるビジネスマンのスーツ姿も目立ったのが実にいい!岡山で併結の「出雲」を切り離し、身軽になったが、車内もかなり身軽になった。かなりの人が岡山で下車し、ノビノビ座席はガラ~ンとしてしまった。しかし考えたら、ノビノビ座席で高松まで行く「自分」の方が「物好き」か・・・とにかく「瀬戸大橋」も初体験&制覇とともに、文字通り<サンライズ>で日の出を拝んだ。もともとこの列車のネーミングは、今までのブルートレインのイメージを払拭すべくつけたものだ。この列車にかける当事者の思いが十二分に伝わってきた瞬間でもあった。

初めて列車のみで四国入りを果たした訳だが、さすが20年以上も経つと駅の風景もすっかり様変わりしていて、特に高松は、元連絡船乗場が巨大商業施設に変化し、駅前はすっかり整備されていた。唯一、頭端式ホームの先に連絡船乗場へと繋がる通路があったところに「さぬきうどん」の立ち食い屋が軒を構えていたが、佇まいは変化したものの健在であった!1982年、初めて青春18きっぷ(当時は青春18のびのびきっぷ)を使い四国入りした時、高松の駅で連絡船との待ち時間にうどんを食べたのを覚えていたのだが、それがこの店であっただけにとても嬉しかった。だが、屋根や造りが全体的に低く設計されていると感じた。駅も工事が施されホームも当時より若干かさ上げされてはいるが、やはり自身の身長の変化が影響しているであろう。時と共に変化してゆく街や駅と共に、自身の成長も感じる事が出来た事に、この旅に深い意味が刻み込まれたのかも知れない・・・

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2007年9月、四国鉄道乗り潰しのアプローチとして選んだのが<サンライズ>であった。横浜を22時24分に出発した<サンライズ>は定刻どおり四国「高松」を目指した。初めて乗る285系の車内は、木目を基調とする内装は実に圧巻であり、落ち着いた雰囲気を漂わせる。<サンライズ>はオール個室の寝台列車であるが、唯一「開放型寝台」を思わせる「ノビノビ座席」がある。殆んど「寝台」のような設計だが、簡易毛布一枚があるのみで、あくまでも「座席」であるため値段もリーズナブル。特急料金と運賃で乗車できるのだ。私もこの日は「ノビノビ座席」を利用しての旅である。以降、シングルツイン、サンライズツインと何度も利用しているが、この時の「初」サンライズ乗車時は、豊橋より西へ行くのは20年振り、寝台特急に乗るのは実に30年振りである。興奮しないわけが無い!見慣れた東海道線の景色もなんだかいつもと違う。乗車率もほぼ満席であり、平日ながら女性の顔もちらほら見かけた。鉄道ファンでなく、一般人にも普通に利用されてるのが実に嬉しかった、と言っても私は鉄道関係者ではないのだが・・・とにかく翌朝の岡山までは実に素晴らしい乗車率である。ホームを見ると、列車を降りるビジネスマンのスーツ姿も目立ったのが実にいい!岡山で併結の「出雲」を切り離し、身軽になったが、車内もかなり身軽になった。かなりの人が岡山で下車し、ノビノビ座席はガラ~ンとしてしまった。しかし考えたら、ノビノビ座席で高松まで行く「自分」の方が「物好き」か・・・とにかく「瀬戸大橋」も初体験&制覇とともに、文字通り<サンライズ>で日の出を拝んだ。もともとこの列車のネーミングは、今までのブルートレインのイメージを払拭すべくつけたものだ。この列車にかける当事者の思いが十二分に伝わってきた瞬間でもあった。

初めて列車のみで四国入りを果たした訳だが、さすが20年以上も経つと駅の風景もすっかり様変わりしていて、特に高松は、元連絡船乗場が巨大商業施設に変化し、駅前はすっかり整備されていた。唯一、頭端式ホームの先に連絡船乗場へと繋がる通路があったところに「さぬきうどん」の立ち食い屋が軒を構えていたが、佇まいは変化したものの健在であった!1982年、初めて青春18きっぷ(当時は青春18のびのびきっぷ)を使い四国入りした時、高松の駅で連絡船との待ち時間にうどんを食べたのを覚えていたのだが、それがこの店であっただけにとても嬉しかった。だが、屋根や造りが全体的に低く設計されていると感じた。駅も工事が施されホームも当時より若干かさ上げされてはいるが、やはり自身の身長の変化が影響しているであろう。時と共に変化してゆく街や駅と共に、自身の成長も感じる事が出来た事に、この旅に深い意味が刻み込まれたのかも知れない・・・

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