サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版①
2018-06-15
既に1983年夏の東北の旅はこのブログで散々紹介してきたが、一部を除いてかなり大雑把な記事であった。この東北の旅以外にも紹介したい旅は沢山あるのだが、このブログを立ち上げて以来、私は多くの場面で若き日の自分に対面する時があった。若かったからできた事や、今だから若き日の自分に対しこうアドバイスしたい場面が多々現れた。逆に今の自分が当時を振り返った時昔の自分に教えられる事も沢山あり、ある意味人間ってこうして成長していくのだなということも感じた場面も少なくなかった。
そんな1983年夏の東北は、私にとってターニングポイントであったとつくづく感じたが、今改めて振り返り再度東北の旅模様を皆様にお付きあいいただけたら幸いである。また、今回紹介する旅は30年以上前のため、若いレールファンには知らない列車名や駅などが出てくるかも知れない。そんな単語が出てきたら「こんな時代があったんだ」と感じてくれれば幸いである。それでは早速当時にタイムスリップしてみよう。
私は東北の国鉄路線(当時)全線の乗りつぶしの旅に出た。当時「いい旅チャレンジ20000km」という国鉄全線乗り潰しのキャンペーンというか企画が全国的に流行していて、それに私も乗った形であった。前年の春に「青春18のびのびきっぷ」が登場して以来、私はその切符を駆使し全国を駆け巡っていた。だが、このきっぷではある意味カバーするのにも限界があった。

お馴染み「東北ワイド」は既に現在は売られていない幻の切符となってしまったが、ご覧の通りしっかりと学割が効いているのがいい。
当時、私の旅のスタイルは「宿は夜行列車」みたいなポリシーがあったため、「宿」で移動できないと意味がない。そんな中、東北や北海道などは夜行列車の宝庫であったが、北海道に至っては周遊券の価格が、当時学生だった私にとって高嶺の花であった。そんな流れから、行き先を「東北」に変更してみると一応経済的には射程距離内に入る事に気づいた。とは言え、価格的には「青春18」が2冊買えるくらい(当時)であったが・・・しかしながらいずれは東北も制覇しなければならないと自身を納得させ、北海道初上陸は将来に回した。と言っても、この東北の旅から2ヶ月後に人生初の北海道初上陸をしてしまうのであるが、その模様と理由についてはこのブログで散々紹介しているのでご存知の方もおられると思われる。
いずれにしても、今回紹介する東北の旅は私の鉄道人生において最も重要な旅であり、後年の旅にもかなりの影響を与えた人生最大の「乗り鉄」でもあった。以前に紹介したものと当然ながらかなり重複すると思うが、私のテーマである「旅の記録を残す」という部分においてもかなり重要な位置を占めているため、少々お付き合いいただければ幸いである。

こちらもお馴染みの風景である。私がいつも旅立つ時はここ西寒川からであったが、この旅では寒川駅からに急遽変更した。
さて、東北方面へアプローチする列車を何にしようという見繕いが始まった。もちろん中学生のため学生の特権を最大限に活用し夏休みを利用するが、お盆の帰省時期は臨時列車が多数運転されている。私はこの時期に射程を定めた。だが、考えてみたら臨時列車が運転されるという事は当然ながら「多客期」であるという事。なのにそんな事を考えもしなくただそんな時期を選んでしまった中学生の私・・・振り返れば、乗車する列車の多くは座席に座れなかった記憶が多くある。であるが、定期便より夜行列車の数は多い。もちろん夜行普通列車の設定は無い。しかし「ワイド」であれば急行券なしで急行列車・特急列車の自由席の乗れるスグレモノだ。特に1980年代はまだまだ夜行急行列車が数多く存在した。これらを駆使すればきっと「宿」になってくれるはず。そんな事を信じながら、確か4月~5月くらいから計画を立てていた。もちろん中学生の「特権」を利用すべく学割の申請も抜かりない。ただこの学割の申請時に少々問題が起こった。学校に「一人旅」ということが発覚してしまい学校側が学割を出す出さないで少々もめたらしい。もちろん教諭の立場もあろうが、私の両親はもちろん最初から行かせてくれと、むしろ家にいない方が清々する的な事を担当教諭(担任ではないが)や事務員さんなどに話をしたらしい。もちろん担任も絡んでいたが、結局学割が申請され、確か1万8千円からの学割で東北ワイドを入手したのであった。

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そんな1983年夏の東北は、私にとってターニングポイントであったとつくづく感じたが、今改めて振り返り再度東北の旅模様を皆様にお付きあいいただけたら幸いである。また、今回紹介する旅は30年以上前のため、若いレールファンには知らない列車名や駅などが出てくるかも知れない。そんな単語が出てきたら「こんな時代があったんだ」と感じてくれれば幸いである。それでは早速当時にタイムスリップしてみよう。
私は東北の国鉄路線(当時)全線の乗りつぶしの旅に出た。当時「いい旅チャレンジ20000km」という国鉄全線乗り潰しのキャンペーンというか企画が全国的に流行していて、それに私も乗った形であった。前年の春に「青春18のびのびきっぷ」が登場して以来、私はその切符を駆使し全国を駆け巡っていた。だが、このきっぷではある意味カバーするのにも限界があった。

お馴染み「東北ワイド」は既に現在は売られていない幻の切符となってしまったが、ご覧の通りしっかりと学割が効いているのがいい。
当時、私の旅のスタイルは「宿は夜行列車」みたいなポリシーがあったため、「宿」で移動できないと意味がない。そんな中、東北や北海道などは夜行列車の宝庫であったが、北海道に至っては周遊券の価格が、当時学生だった私にとって高嶺の花であった。そんな流れから、行き先を「東北」に変更してみると一応経済的には射程距離内に入る事に気づいた。とは言え、価格的には「青春18」が2冊買えるくらい(当時)であったが・・・しかしながらいずれは東北も制覇しなければならないと自身を納得させ、北海道初上陸は将来に回した。と言っても、この東北の旅から2ヶ月後に人生初の北海道初上陸をしてしまうのであるが、その模様と理由についてはこのブログで散々紹介しているのでご存知の方もおられると思われる。
いずれにしても、今回紹介する東北の旅は私の鉄道人生において最も重要な旅であり、後年の旅にもかなりの影響を与えた人生最大の「乗り鉄」でもあった。以前に紹介したものと当然ながらかなり重複すると思うが、私のテーマである「旅の記録を残す」という部分においてもかなり重要な位置を占めているため、少々お付き合いいただければ幸いである。

こちらもお馴染みの風景である。私がいつも旅立つ時はここ西寒川からであったが、この旅では寒川駅からに急遽変更した。
さて、東北方面へアプローチする列車を何にしようという見繕いが始まった。もちろん中学生のため学生の特権を最大限に活用し夏休みを利用するが、お盆の帰省時期は臨時列車が多数運転されている。私はこの時期に射程を定めた。だが、考えてみたら臨時列車が運転されるという事は当然ながら「多客期」であるという事。なのにそんな事を考えもしなくただそんな時期を選んでしまった中学生の私・・・振り返れば、乗車する列車の多くは座席に座れなかった記憶が多くある。であるが、定期便より夜行列車の数は多い。もちろん夜行普通列車の設定は無い。しかし「ワイド」であれば急行券なしで急行列車・特急列車の自由席の乗れるスグレモノだ。特に1980年代はまだまだ夜行急行列車が数多く存在した。これらを駆使すればきっと「宿」になってくれるはず。そんな事を信じながら、確か4月~5月くらいから計画を立てていた。もちろん中学生の「特権」を利用すべく学割の申請も抜かりない。ただこの学割の申請時に少々問題が起こった。学校に「一人旅」ということが発覚してしまい学校側が学割を出す出さないで少々もめたらしい。もちろん教諭の立場もあろうが、私の両親はもちろん最初から行かせてくれと、むしろ家にいない方が清々する的な事を担当教諭(担任ではないが)や事務員さんなどに話をしたらしい。もちろん担任も絡んでいたが、結局学割が申請され、確か1万8千円からの学割で東北ワイドを入手したのであった。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
1983年といえば、そう、我々は受験シーズンでしたよね?私の場合は「何処吹く風よ」状態でして、ご覧の通り人生最大の乗り潰しにでてました。なのでこんな大人になってしまったのかも知れませんが、それでもこうして記録を残せたのはある意味大きいかもしれません。って自己満足ですけど。
飯田線の旧型国電もそうですが、たとえば宇部線とかもこの時期くらいに新車に置き換わってますよね。当時私は飯田線の訪問は出来ず終いでしたがそれでも当時の鉄道ジャーナルなどを見ると行っておけばなと思います。
私が小学生時代には御殿場線にもスカ色の旧型国電が走っていて、それは乗りました。子供だったのであまり事情がわからないまま普通に過ごしていましたが、今考えたらちゃんと写真撮っておけばという気持ちです。
1983年といえば、そう、我々は受験シーズンでしたよね?私の場合は「何処吹く風よ」状態でして、ご覧の通り人生最大の乗り潰しにでてました。なのでこんな大人になってしまったのかも知れませんが、それでもこうして記録を残せたのはある意味大きいかもしれません。って自己満足ですけど。
飯田線の旧型国電もそうですが、たとえば宇部線とかもこの時期くらいに新車に置き換わってますよね。当時私は飯田線の訪問は出来ず終いでしたがそれでも当時の鉄道ジャーナルなどを見ると行っておけばなと思います。
私が小学生時代には御殿場線にもスカ色の旧型国電が走っていて、それは乗りました。子供だったのであまり事情がわからないまま普通に過ごしていましたが、今考えたらちゃんと写真撮っておけばという気持ちです。
ダイヤモンド☆トナカイ様
すみません!
当時の話題になりますと、ついつい熱くなってしまう私です!
そうそう宇部線もそうでしたね。
何とか旧型国電時代に乗車できましたよ。
御殿場線もそうでしたね。
小学生低学年の時、御殿場線沿線へ引越しした友達がいましてね、お互いがテツだったこと、私の父親の従兄弟が静岡に住んでいたこともあり、引越しした友達に会いに御殿場線の旧型国電にも乗車したため、奇跡的に間に合いました(汗)
当時の話題になりますと、ついつい熱くなってしまう私です!
そうそう宇部線もそうでしたね。
何とか旧型国電時代に乗車できましたよ。
御殿場線もそうでしたね。
小学生低学年の時、御殿場線沿線へ引越しした友達がいましてね、お互いがテツだったこと、私の父親の従兄弟が静岡に住んでいたこともあり、引越しした友達に会いに御殿場線の旧型国電にも乗車したため、奇跡的に間に合いました(汗)
にわか者様
コメントありがとうございます。
そうなんです。御殿場線にも旧型国電がいましたよね。そして東海道線では茅ヶ崎でよく見かけたのはが郵便車が先頭の浜松行き普通列車で、いわゆる「クモユニ」です。東京からかつてそんな列車が出ていたなんて、今となっては信じられないですね。
そうなんです。御殿場線にも旧型国電がいましたよね。そして東海道線では茅ヶ崎でよく見かけたのはが郵便車が先頭の浜松行き普通列車で、いわゆる「クモユニ」です。東京からかつてそんな列車が出ていたなんて、今となっては信じられないですね。
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ただ、私のような今時のナウでヤングなテツですと、ダイヤモンド☆トナカイさんのブログの内容が理解できるかな?と、心配です(汗)
まあ、冗談はここまでとして、83年はあまり出かけてないんですよ・・・
これはホントです。
やはり“お受験”が気になりましてね・・・
それでも夏休みまでは、出かけていましたけどね。
個人的には、地元の飯田線の旧型国電が廃止になった年ですね・・・