サマーアクションシリーズ 1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版③
2018-06-25
平より磐越東線に乗り換える列車は・・・何とDL率いる旧型客車であった!もちろん事前に時刻表で確認済みであるが、磐越東線に旧型客車とは今では信じられないが、私は確かに乗車した。急行「ときわ」を降り、乗り換える列車は事前に調査済みの客車運用であるため何番線に乗り換えるかは車内放送を聞かなくても自然に足が跨線橋からホームに向かう。何両であったか忘れたが、確か青い色の旧型客車であった。真夏であるがそれほど当時は暑さを感じなかったのは気のせいなのか。旧型客車のため冷房設備などは当然無く、窓を全開にして自然風で暑さを凌ぐ。別に冷房などなくても普通に過ごせたが、いささか混み合っていた急行「ときわ」から解放され、ひとりワンボックスを占領しひとつでも「いい旅チャレンジ20000km」の制覇線区を稼ぎ出す。旧型客車であると機関車が動き出してから自身の乗った客車が動き出すまで時間差がある。それがまた何ともたまらない!という感覚は既に1982年より「青春18」で旅をしていて以来自然に身につけたものだ。ハッキリ言って磐越東線は全国的に見てもやや地味な印象であろうが、そんな路線にも旧型客車に揺られると一味違う。そして馴染みの無い駅もいつしか虜(とりこ)になってしまう・・・夏井は今でも好きな駅のひとつであり、この旅のお陰で存在を知った。

旧型客車に揺られちょうど駅名標の真ん前に停車したのが夏井である。「いい旅チャレンジ20000km」という企画柄、国鉄全線を踏破しなければならないが、そんな過酷なルールであったからこそ逆に発見があるものだ。夏井もそのひとつ。
磐越東線の中心駅である小野新町を過ぎ郡山に着くが、新幹線が開業してまだ1年くらいしか経っていないため、それに合わせ若干リニューアルされたと思われる在来線のホームも新しい。そんな新しさを感じる駅で磐越西線に乗り換えるが、こちらはELが牽引する旧型客車である。しかも満員御礼!私は出入口付近の車掌室みたいな場所に入り込んだ。もちろんその場所もほかの乗客で一杯であった。新幹線が開通し、帰省客もいっそ便利になったことであろう。この時も新幹線からの乗換客と思われる方々ばかりであった。が・・・急にベルのようなものが鳴り出した。最初はATSでも作動したのかと思っていたが一向に鳴り止まない。なんと私のバッグに入っていた目覚まし時計が鳴っていたのだ!私は慌ててバッグから取り出したが、かなり周りから白い目で見られた事であろう。まぁ、旅には色々ハプニングはあるものだ。

こちらは今回の旅でゲットした郡山の入場券。新幹線の切符売り場で買ったためか文字帯が赤い。
会津若松で帰省客のほとんどが下車すると、なんと「同業者」と思われる者が数グループいることに気づいた。もちろん会津若松から乗車してきたとは思えないので郡山からずっと乗っていた事になるが、帰省客に隠れて潜在しているとは・・・という私もそのひとりであるが、そんな乗客も喜多方、そして日中線・熱塩まで顔ぶれは同じであった。
そういえば日中線と言われて若いレールファンはあまりピンと来ないかもしれないであろう。それは国鉄時代に遡るが、喜多方から盲腸線がでていて日中という場所まで延伸予定であったらしいローカル線である。当時は熱塩で終点であったが、ウィキによると「日光線・野岩線・会津線と結んで東北地方南部を縦貫する野岩羽線構想の一翼を担うはずであった」というとんでもない構想があったみたいだ。だが、もし開通したいたとしても「銭儲け」という部分においては恐らく縁がない確率が高かったかも知れない。

私が唯一所有する日中線の証し。もっと写真は撮影していたのだが、やはり30年以上前だと色々事情もありまして・・・
いずれにしても晩年は、というより私の訪問時は1日3往復しか設定のない典型的なローカル線の姿であったが、DCではなくDLが牽引する客車列車であったのが何とも印象深い。終点熱塩では機回し線を使い機関車を先頭に付け替えていた。もちろんDCの方が効率が良く経費もかからなかったであろう。だが将来的な事を考えるとその投資すら無駄な行為であったのだろう。そんな「大人の事情」も全くわからないまま、数グループの「同業者」と一緒に列車に向かいシャッターを只管切っていた。

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旧型客車に揺られちょうど駅名標の真ん前に停車したのが夏井である。「いい旅チャレンジ20000km」という企画柄、国鉄全線を踏破しなければならないが、そんな過酷なルールであったからこそ逆に発見があるものだ。夏井もそのひとつ。
磐越東線の中心駅である小野新町を過ぎ郡山に着くが、新幹線が開業してまだ1年くらいしか経っていないため、それに合わせ若干リニューアルされたと思われる在来線のホームも新しい。そんな新しさを感じる駅で磐越西線に乗り換えるが、こちらはELが牽引する旧型客車である。しかも満員御礼!私は出入口付近の車掌室みたいな場所に入り込んだ。もちろんその場所もほかの乗客で一杯であった。新幹線が開通し、帰省客もいっそ便利になったことであろう。この時も新幹線からの乗換客と思われる方々ばかりであった。が・・・急にベルのようなものが鳴り出した。最初はATSでも作動したのかと思っていたが一向に鳴り止まない。なんと私のバッグに入っていた目覚まし時計が鳴っていたのだ!私は慌ててバッグから取り出したが、かなり周りから白い目で見られた事であろう。まぁ、旅には色々ハプニングはあるものだ。

こちらは今回の旅でゲットした郡山の入場券。新幹線の切符売り場で買ったためか文字帯が赤い。
会津若松で帰省客のほとんどが下車すると、なんと「同業者」と思われる者が数グループいることに気づいた。もちろん会津若松から乗車してきたとは思えないので郡山からずっと乗っていた事になるが、帰省客に隠れて潜在しているとは・・・という私もそのひとりであるが、そんな乗客も喜多方、そして日中線・熱塩まで顔ぶれは同じであった。
そういえば日中線と言われて若いレールファンはあまりピンと来ないかもしれないであろう。それは国鉄時代に遡るが、喜多方から盲腸線がでていて日中という場所まで延伸予定であったらしいローカル線である。当時は熱塩で終点であったが、ウィキによると「日光線・野岩線・会津線と結んで東北地方南部を縦貫する野岩羽線構想の一翼を担うはずであった」というとんでもない構想があったみたいだ。だが、もし開通したいたとしても「銭儲け」という部分においては恐らく縁がない確率が高かったかも知れない。

私が唯一所有する日中線の証し。もっと写真は撮影していたのだが、やはり30年以上前だと色々事情もありまして・・・
いずれにしても晩年は、というより私の訪問時は1日3往復しか設定のない典型的なローカル線の姿であったが、DCではなくDLが牽引する客車列車であったのが何とも印象深い。終点熱塩では機回し線を使い機関車を先頭に付け替えていた。もちろんDCの方が効率が良く経費もかからなかったであろう。だが将来的な事を考えるとその投資すら無駄な行為であったのだろう。そんな「大人の事情」も全くわからないまま、数グループの「同業者」と一緒に列車に向かいシャッターを只管切っていた。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
そう、磐越東線も日中線も、ましてや磐越西線もかつては客車列車が運転されてました。
この日の出発は相模線・寒川駅から始発だったので寒川駅まで自転車でしたが、その四時間後には磐越東線で客車列車でしたから不思議な感じでした。
今でもハッキリ覚えているのは平での乗換が同一ホームではなかったので早く座席を確保せねばと階段を突っ走った事です。勿論座席は確保できましたが、そこからは完全に異空間の時間が流れていきましたね。初日でこんな感じだったので、これから先についても大いに期待しながら列車に揺られていたものです。
そう、磐越東線も日中線も、ましてや磐越西線もかつては客車列車が運転されてました。
この日の出発は相模線・寒川駅から始発だったので寒川駅まで自転車でしたが、その四時間後には磐越東線で客車列車でしたから不思議な感じでした。
今でもハッキリ覚えているのは平での乗換が同一ホームではなかったので早く座席を確保せねばと階段を突っ走った事です。勿論座席は確保できましたが、そこからは完全に異空間の時間が流れていきましたね。初日でこんな感じだったので、これから先についても大いに期待しながら列車に揺られていたものです。
ダイヤモンド☆トナカイ様
私は車両派であり、好んで旧型車両に乗っていたので、旧客が残っていた路線は、すべて旧客に乗ったかと思います。
旧客いいですね・・・
私としては、冬季に最後尾の間通路が全開にしてあって、そこに巻き上げた雪溜りになっている状態が好きでした。
夜の停車駅で、雪だるま状態になっっているシーンを今でも思い出します・・・
あの頃に戻りたい・・・
旧客いいですね・・・
私としては、冬季に最後尾の間通路が全開にしてあって、そこに巻き上げた雪溜りになっている状態が好きでした。
夜の停車駅で、雪だるま状態になっっているシーンを今でも思い出します・・・
あの頃に戻りたい・・・
にわか者様
コメントありがとうございます。
「雪だるま」的な風景はコロタン文庫の某書でも見たような記憶ですが、旧型客車といえば私は清水港線がかなり印象深かったです。
中学校時代に所属していた部活「鉄道研究クラブ」で活動の一環として清水港線を訪問しましたが、旧型客車の最後尾からみ見る可動橋は実にスリリングでした。
また、鹿児島本線の混合列車では機関車のすぐ後ろが客車だったため機関車に触れちゃいましたし、山陰本線ではドアが手動のため列車が停車する直前に下車しようとしたら思ったよりスピードがありホームで思いきり転がってカメラがへこんでしまったりと、どれもこれも懐かしい思いでです。
現存する旧型客車で、たとえば大井川鐵道のSLなどに乗り旅をしても、我々が当時味わったあの感覚とは違うような、なんというか何かが足りない雰囲気ではないでしょうか。
「雪だるま」的な風景はコロタン文庫の某書でも見たような記憶ですが、旧型客車といえば私は清水港線がかなり印象深かったです。
中学校時代に所属していた部活「鉄道研究クラブ」で活動の一環として清水港線を訪問しましたが、旧型客車の最後尾からみ見る可動橋は実にスリリングでした。
また、鹿児島本線の混合列車では機関車のすぐ後ろが客車だったため機関車に触れちゃいましたし、山陰本線ではドアが手動のため列車が停車する直前に下車しようとしたら思ったよりスピードがありホームで思いきり転がってカメラがへこんでしまったりと、どれもこれも懐かしい思いでです。
現存する旧型客車で、たとえば大井川鐵道のSLなどに乗り旅をしても、我々が当時味わったあの感覚とは違うような、なんというか何かが足りない雰囲気ではないでしょうか。
ダイヤモンド☆トナカイ様
鹿児島本線は、混合列車だったんですか!!
うらやましい・・・
私が乗車できた混合列車は、五能線と清水港線でした。
現存するJRの旧客で旅をしたとしても、そもそも臨時列車であり、全車指定席という、あの頃の特急状態かと???
しかも最後尾の貫通路はハメ殺し状態になっていますし、ドアも自動で、しっかりロックされますからね・・・
雰囲気は味わえるかもしれないですが、あの頃の旅情は味わえないでしょうね・・・
うらやましい・・・
私が乗車できた混合列車は、五能線と清水港線でした。
現存するJRの旧客で旅をしたとしても、そもそも臨時列車であり、全車指定席という、あの頃の特急状態かと???
しかも最後尾の貫通路はハメ殺し状態になっていますし、ドアも自動で、しっかりロックされますからね・・・
雰囲気は味わえるかもしれないですが、あの頃の旅情は味わえないでしょうね・・・
にわか者様
コメントありがとうございます。
現存する旧型客車では我々が持つかつての感覚はあまり期待できないかも知れません。しかも我々は若いときにそういう経験が出来ただけでもラッキーだったのかも知れませんね。逆に今の私たちがタイムマシンで当時に戻り旧型客車や混合列車に乗車したらどう感じるのでしょうか。
ロケ的には山口線や大井川鐵道よりも五能線とかの方が全然さまになりますね。
現存する旧型客車では我々が持つかつての感覚はあまり期待できないかも知れません。しかも我々は若いときにそういう経験が出来ただけでもラッキーだったのかも知れませんね。逆に今の私たちがタイムマシンで当時に戻り旧型客車や混合列車に乗車したらどう感じるのでしょうか。
ロケ的には山口線や大井川鐵道よりも五能線とかの方が全然さまになりますね。
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懐かしいです!
日中線も懐かしいですね!
私が乗車した時は、背もたれにモケット無しの、ただの一枚板の座席でした。
あの頃に戻りたい(涙)