サマーアクションシリーズ 1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版⑥
2018-07-10
比立内に17時01分着、乗ってきた列車で折り返す時間は17時40分発で駅を散策するには充分に時間がある。そう、当時はここ比立内が終点であった。秋田内陸縦貫鉄道としての「現在」が考えられないくらい、比立内から先の鉄路が草に埋もれていた印象である。もちろん鉄道建設公団の予定線である事は当時は知っていたが、見る限り完全果てしなき夢の景色であった。まさか今日(こんにち)のような姿をだれが想像したであろうか!と思ってしまうくらい私には現在の姿が信じられない。後に紹介する角館線は1日確か3往復くらいの典型的な赤字ローカル線であったし、繋がったところで果たして利用者がいるのであろうか・・・と中学生ながらに心配はしていたが、しかしながら繋がったら・・・的な夢や妄想も確かにあった。もちろん銭儲けとはかなりかけ離れた現実である事は周知の通りであるが、当時私が見た姿とは形は変われど、こうして今も生き延びていることに感謝である。

阿仁合線の終点であった比立内。終点のため当然ながら隣の駅名の明記はない。この駅名標の駅名が無い部分に駅名が書かれる日が来るのは夢のまた夢であった。だが周知の通り、現在は隣の駅の駅名は両側に明記されている。しかしながら存続問題が囁かれているが・・・
そんな阿仁合線で比立内を折り返し鷹ノ巣に向かう。途中の合川くらいでようやく夜らしく辺りが暗くなってきた。鷹ノ巣に着いたのが20時28分である。夜も更けてきたところだし、そろそろ宿へ・・・と言いたいところであるが、当時私は中学生。約9日間の行程で宿舎にお世話になる計画は・・・無い!経済的制約の中、一夜を過ごす方法は「駅寝」か「夜行列車」に限定される。そう、私は「夜行列車」を全ての行程に組み込むつもりであった。基本、私は駅寝を嫌う主義なので全て夜行列車にしたかったが、結果として4回くらい駅寝をしている。それは後に紹介するとして、鷹ノ巣では今夜の宿となる急行「津軽54号」に乗車する事になるのだが、ここでとんでもないハプニングが待っていた。

急行「津軽54号」ではとんでもないハプニングが発生した。今の私ならそんなハプニングも楽しんでしまうのだろうが、当時はそんな余裕は無い。顔が青ざめ早速カレチに相談だ!
既にそのハプニングについてはこちらで詳しく紹介しているが、いわゆる「寝過ごした」という事であった。私は新庄で下車し、陸羽東線で小牛田に向かう予定であった。新庄着は1時20分。だが・・・ウトウトしていた私が時計を確認したのが1時23分であった。新庄発1時22分であるから既に1分過ぎてしまっていた!新庄を過ぎると次の停車駅はなんと福島であった。とりあえず現状確認と今後のやりくりを考えるため私は最後尾に向かいカレチに話を伺うことにした。やはり新庄はたった今でたばかりと言われ愕然としていると「山形で降りて下り列車の急行<おが>に乗り換えると新庄に4時45分に着く」との報告を受けた。いや待てよ?山形は確か通過のはずだけど・・・とやたらダイヤに詳しい中学生であったが、なんと山形では「運転停車」するとの事。私は運転停車の駅で下車する事になったのだ。

ダイナミック✩トナカイ提供の山形駅。今回紹介している旅で行程の途中でところどころスポット参戦的に顔を出していた。彼は親戚のある中川(奥羽本線)から乗車してきて中川で下車していく・・・みたいな感じであったが、やはりひとりよりふたりの方が心強い。この写真も当時の旅の中で彼が単独行動の時に撮影したものと思われる。
乗客用ではない乗務員用の扉から下車した私は山形駅の駅員に身柄を拘束?された。一応「家出少年」でない事を確認された後、私は山形駅の待合室に向かった。山形に深夜2時20分頃着いて、乗り換える臨時夜行急行列車「おが」の出発は3時46分である。こちらは運転停車ではなく正当に停車するので堂々と乗車できるのだが・・・急行「おが」が入線すると私はぶったまげた!なんとオール20系寝台客車であったのだ!一部座席車に改造されているものの、なんとB寝台の一部を「自由席」として開放しているではないか!このサプライズについてもこちらで詳しく紹介しているので是非ご覧いただきたいが、私は「ワイド」のためもちろん自由席へ。当然ながら「B寝台」へ向かった。今で言う「ゴロンとシート」のようなイメージであるが、逆に興奮してしまい寝れない・・・寝過ごした事で一気にいろんなハプニングがあり、むしろ活動的になってしまった深夜の時間帯は、これから乗る陸羽東線がこの日の「宿」となってしまった。

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阿仁合線の終点であった比立内。終点のため当然ながら隣の駅名の明記はない。この駅名標の駅名が無い部分に駅名が書かれる日が来るのは夢のまた夢であった。だが周知の通り、現在は隣の駅の駅名は両側に明記されている。しかしながら存続問題が囁かれているが・・・
そんな阿仁合線で比立内を折り返し鷹ノ巣に向かう。途中の合川くらいでようやく夜らしく辺りが暗くなってきた。鷹ノ巣に着いたのが20時28分である。夜も更けてきたところだし、そろそろ宿へ・・・と言いたいところであるが、当時私は中学生。約9日間の行程で宿舎にお世話になる計画は・・・無い!経済的制約の中、一夜を過ごす方法は「駅寝」か「夜行列車」に限定される。そう、私は「夜行列車」を全ての行程に組み込むつもりであった。基本、私は駅寝を嫌う主義なので全て夜行列車にしたかったが、結果として4回くらい駅寝をしている。それは後に紹介するとして、鷹ノ巣では今夜の宿となる急行「津軽54号」に乗車する事になるのだが、ここでとんでもないハプニングが待っていた。

急行「津軽54号」ではとんでもないハプニングが発生した。今の私ならそんなハプニングも楽しんでしまうのだろうが、当時はそんな余裕は無い。顔が青ざめ早速カレチに相談だ!
既にそのハプニングについてはこちらで詳しく紹介しているが、いわゆる「寝過ごした」という事であった。私は新庄で下車し、陸羽東線で小牛田に向かう予定であった。新庄着は1時20分。だが・・・ウトウトしていた私が時計を確認したのが1時23分であった。新庄発1時22分であるから既に1分過ぎてしまっていた!新庄を過ぎると次の停車駅はなんと福島であった。とりあえず現状確認と今後のやりくりを考えるため私は最後尾に向かいカレチに話を伺うことにした。やはり新庄はたった今でたばかりと言われ愕然としていると「山形で降りて下り列車の急行<おが>に乗り換えると新庄に4時45分に着く」との報告を受けた。いや待てよ?山形は確か通過のはずだけど・・・とやたらダイヤに詳しい中学生であったが、なんと山形では「運転停車」するとの事。私は運転停車の駅で下車する事になったのだ。

ダイナミック✩トナカイ提供の山形駅。今回紹介している旅で行程の途中でところどころスポット参戦的に顔を出していた。彼は親戚のある中川(奥羽本線)から乗車してきて中川で下車していく・・・みたいな感じであったが、やはりひとりよりふたりの方が心強い。この写真も当時の旅の中で彼が単独行動の時に撮影したものと思われる。
乗客用ではない乗務員用の扉から下車した私は山形駅の駅員に身柄を拘束?された。一応「家出少年」でない事を確認された後、私は山形駅の待合室に向かった。山形に深夜2時20分頃着いて、乗り換える臨時夜行急行列車「おが」の出発は3時46分である。こちらは運転停車ではなく正当に停車するので堂々と乗車できるのだが・・・急行「おが」が入線すると私はぶったまげた!なんとオール20系寝台客車であったのだ!一部座席車に改造されているものの、なんとB寝台の一部を「自由席」として開放しているではないか!このサプライズについてもこちらで詳しく紹介しているので是非ご覧いただきたいが、私は「ワイド」のためもちろん自由席へ。当然ながら「B寝台」へ向かった。今で言う「ゴロンとシート」のようなイメージであるが、逆に興奮してしまい寝れない・・・寝過ごした事で一気にいろんなハプニングがあり、むしろ活動的になってしまった深夜の時間帯は、これから乗る陸羽東線がこの日の「宿」となってしまった。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
そうなんです・・・1983年の東北の旅はトラブル続きで旅行中に計画を立て直すとかハプニング時はどうするとかいうことをいっぺんに覚えたと言うか教わった今回の旅です。もちろんほぼ一人旅であったのでどうにでもなったわけですが(途中で後輩が何度か合流しています。そういった意味では「種村氏」の旅のイメージに近いかも知れません)、この東北の旅の経験がなければ今の自分がないでしょう。しかも運転停車の駅で下車したという特典まで付いてきましたから。
そういえば私も中央線の普通夜行列車に乗車していた時に人身事故の車両に乗っていました。その模様はこちら(http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-336.html)にて紹介しています。が、夜行列車のため特に細かな説明や放送もなく、私の座っていた座席の窓を開けて状況を聞く的な感じでした。ちょうど真下あたりで作業をしていましたが、その後も特に車内放送など無く、定刻に新宿に到着しました。途中で小休止の駅が多々あったためですが、国鉄側も乗客が少ないのと、小休止の計算がありわざわざ放送を入れなかったのでしょう。
さて「内緒のコメント」についてですが・・・ものすごい経験をなされてますね。もしご確認するのであれば期間限定で公開させていただきましょうか?お許しいただけたら対応させていただきますが、公開してしまうと「内緒」の意味が薄れてしまうので、まずはご相談ください。
そうなんです・・・1983年の東北の旅はトラブル続きで旅行中に計画を立て直すとかハプニング時はどうするとかいうことをいっぺんに覚えたと言うか教わった今回の旅です。もちろんほぼ一人旅であったのでどうにでもなったわけですが(途中で後輩が何度か合流しています。そういった意味では「種村氏」の旅のイメージに近いかも知れません)、この東北の旅の経験がなければ今の自分がないでしょう。しかも運転停車の駅で下車したという特典まで付いてきましたから。
そういえば私も中央線の普通夜行列車に乗車していた時に人身事故の車両に乗っていました。その模様はこちら(http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-336.html)にて紹介しています。が、夜行列車のため特に細かな説明や放送もなく、私の座っていた座席の窓を開けて状況を聞く的な感じでした。ちょうど真下あたりで作業をしていましたが、その後も特に車内放送など無く、定刻に新宿に到着しました。途中で小休止の駅が多々あったためですが、国鉄側も乗客が少ないのと、小休止の計算がありわざわざ放送を入れなかったのでしょう。
さて「内緒のコメント」についてですが・・・ものすごい経験をなされてますね。もしご確認するのであれば期間限定で公開させていただきましょうか?お許しいただけたら対応させていただきますが、公開してしまうと「内緒」の意味が薄れてしまうので、まずはご相談ください。
ダイヤモンド☆トナカイ様
人身事故も経験されていましたか!
ところで、近年は自然災害により不通になってしまう路線が多いと思いませんか?
そのまま廃止になってしまったり・・・
我々が国鉄乗りつぶしをしていた頃は、名松線ぐらいでしたか?あと、飯田線も旧型国電が全廃されてしばらくしたら、長いこと不通区間が生じた年がありましたね。
最後に内緒コメですが、まだガラケーでコメできた時代、別のブロガーさんへですが、内緒コメをした端末からは確認できたものですから・・・
いまコメしている端末からなら、見られるのかな?と思った次第です・・・
ところで、近年は自然災害により不通になってしまう路線が多いと思いませんか?
そのまま廃止になってしまったり・・・
我々が国鉄乗りつぶしをしていた頃は、名松線ぐらいでしたか?あと、飯田線も旧型国電が全廃されてしばらくしたら、長いこと不通区間が生じた年がありましたね。
最後に内緒コメですが、まだガラケーでコメできた時代、別のブロガーさんへですが、内緒コメをした端末からは確認できたものですから・・・
いまコメしている端末からなら、見られるのかな?と思った次第です・・・
にわか者様
コメントありがとうございます。
自然災害による不通~廃止は今も昔も絶えませんが、近年では日高本線や岩泉線、それからかつては鹿児島交通など、災害によらなくてもいずれ廃止になってしまうだろうとある意味予測や前兆があったイメージですね。
私の場合、近年の旅では災害によりルート変更を余儀なくされた場面が多く、場面々々での対応が大変でした。美祢線や姫新線では旅立つ直前に不通になり、特に姫新線では現地の姫路でその事実を知り、急遽福塩線経由に切り替えたり、また、肥薩線では訪問した2回とも吉松~人吉間が豪雨により運転見合わせになってしまいました。
ただ、かつての経験から適応能力が、我ながら進化しているなと感じました。私は旅だからいいとして、現地の方にとってはある意味死活問題的な場面もあるかも知れないのでやはり健全な姿が一番ですね。
自然災害による不通~廃止は今も昔も絶えませんが、近年では日高本線や岩泉線、それからかつては鹿児島交通など、災害によらなくてもいずれ廃止になってしまうだろうとある意味予測や前兆があったイメージですね。
私の場合、近年の旅では災害によりルート変更を余儀なくされた場面が多く、場面々々での対応が大変でした。美祢線や姫新線では旅立つ直前に不通になり、特に姫新線では現地の姫路でその事実を知り、急遽福塩線経由に切り替えたり、また、肥薩線では訪問した2回とも吉松~人吉間が豪雨により運転見合わせになってしまいました。
ただ、かつての経験から適応能力が、我ながら進化しているなと感じました。私は旅だからいいとして、現地の方にとってはある意味死活問題的な場面もあるかも知れないのでやはり健全な姿が一番ですね。
ダイヤモンド☆トナカイ様
旅をしていると、いろんなハプニングに遭遇しますよね・・・
さて、先日の西日本を襲った豪雨の影響をもろに受けてしまった路線がありますね・・・
木次線なんて、このまま廃線にしちゃえ~!ちょうど良かった!って、JR西日本の偉い方々は思っていないですよねぇ・・・
さて、先日の西日本を襲った豪雨の影響をもろに受けてしまった路線がありますね・・・
木次線なんて、このまま廃線にしちゃえ~!ちょうど良かった!って、JR西日本の偉い方々は思っていないですよねぇ・・・
にわか者様
コメントありがとうございます。
木次線は例え被害を受けてなくてもいずれ廃止される運命でしょう。「おろちループ」が象徴だと思いますが、逆によく平成のこの世に残っていたと思います。ある意味奇跡ですね。私は1982年と2013年に訪問してますが、1982年にはまだ急行が運転されてましたし、その前は夜行列車もいましたからね。
現在ではかなりの乗客数減で、たとえば特に出雲横田~備後落合間は旅客のみでの銭儲けは即日でもやめたいくらいだと思います。
今回の豪雨で山陽本線まで不通区間があると聞いてます。一日も早い復旧を願うばかりです。
木次線は例え被害を受けてなくてもいずれ廃止される運命でしょう。「おろちループ」が象徴だと思いますが、逆によく平成のこの世に残っていたと思います。ある意味奇跡ですね。私は1982年と2013年に訪問してますが、1982年にはまだ急行が運転されてましたし、その前は夜行列車もいましたからね。
現在ではかなりの乗客数減で、たとえば特に出雲横田~備後落合間は旅客のみでの銭儲けは即日でもやめたいくらいだと思います。
今回の豪雨で山陽本線まで不通区間があると聞いてます。一日も早い復旧を願うばかりです。
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私は幸いにも?自分のミス(すみません・・・ダイヤモンド☆トナカイさんを責めているのではありません。どうか勘違いされませんように)でのトラブルはないかと・・・
自然災害や私が乗車していた車両で自殺した奴がいて、日程を目茶苦茶にされたことはありますが・・・
あと、すみません・・・
内緒のコメントは、ダイヤモンド☆トナカイさんにしか確認できないんですよね?
学割の件、後で読み返そうとしても、全く表示されないものですから・・・