三江線への挑戦(プロローグ)
2016-08-01
2016年夏、私は少々早めの夏休みを取得し旅に出た事は既に紹介した。私は旅に出る場合、過去に経験していないようなテーマを必ず取り入れている。今回のテーマであるが・・・三江線全駅制覇!・・・・・・・・・・やってみた!!レンタカーによる旅は既に4回目となるが、2016年夏の今回の旅、実はこの三江線訪問が最大のテーマであった。

(三江線のスタートは江津から。朝7時からのスタートは清々しく新鮮であった。前回の訪問もここ江津に宿泊したが、久々の訪問で懐かしさも実に心地よい。)
三江線と言われて皆さんはどういうイメージをお持ちであろうか。多分、私のブログに散々訪問していただいている方は「日常的」な存在であろう。だが、鉄道にほとんど縁の無い方にとっては「三江線?」的な単語であろう。そういう方に少々解説させていただこう。三江線とは島根県の江津から広島県の三次を結ぶJR西日本の鉄道路線である。と言われてピンとくるあなたは相当の地理マニアか、はたまた地元の方であろう。もちろんレールファンの認知度は高いが、一般的に地味な存在だ。特に江津に関しては「ごうつ」と読むが、かなり地味な地方都市である。近年に世界遺産に登録された「石見銀山」の近くにある都市であるが、その知名度は高くないものと思われる。だが私はこうした都市がある意味好きだ。

(駅名標の他にこうした観光的要素も。だが、列車本数が限られるため、場合によってはかなり綿密な計画が必要だ。)
ところで三江線について、私の場合、失礼ながらつい最近までそれほど魅力を感じず、どちらかというと「新しい部類」的カテゴリーに組み込まれていた。それは、かつて「三江南線」「三江北線」に分かれ、浜原~口羽間が昭和50年代に開通した経緯からであろう。そのため、どうしても「コンクリ」のイメージが強く、木造的な温かみとか人間臭さみたいなものを感じなかった気がした。そのため芸備線や木次線と比較した場合、どうしても三江線が下位にくる感覚であった。そんな事を考える小学生~中学生は若干異質であろうか・・・そして私は社会人になり年齢を重ねてきたが、相変わらず三江線に対してはさほど評価は変わらなかった。だが、つい最近になってなぜか感覚が変わってきた。三江線の魅力に気付いたとでも言おうか、気づかされたとでも言おうか。今回はその理由を探しに三江線全ての駅に立ち寄る決意をした。

(レールファンならお馴染みの駅であろう。私もかつては憧れた駅でもあったが、最近では三江線の他の駅にも魅力を感じるようになった。)
さて、実際に訪問した印象であるが・・・とても大自然豊かな沿線風景で、心が洗われる気分であった。とは言うものの「ジャングル」とは言わないが、安易な気持ちで訪問してはならないと改めて思った。駅間の途中の部分はやはり人気(ひとけ)が無い大自然を行く印象であった。実際に、道路ではサソリとは言わないが、図鑑に載っていないような生物やサワガニなどが何匹も横切り、走る道路も車一台がやっと通れる部分が多い川沿いの道が大部分であった。だが、特に一部の駅では軽トラなどでなければまず訪問不可能な駅があり、マジで命懸けの訪問であった。もちろんこの事は後に紹介するが、ある意味「波乱万丈」的な三江線の旅であった。

(岩泉線が廃止された現在、輸送密度ではワースト1の三江線。沿線住民の思いはひとつであろうが、実際に「銭儲け」と考えた場合、私がもし経営者であるならば答えはひとつである。ある意味究極の選択だ。)
その思いをどれだけ皆さんに伝えられるか分からないが、私なりの三江線を表現できれば、そしてそれを皆様が評価して頂ければ幸いである。では早速次章より三江線全駅を紹介してみよう。と意気込んだものの、多分最後の尾関山まで紹介し終えるまでは恐らく年内いっぱいかかるかも知れない。いや、ひょっとしたら年を越してしまうかも知れないが、そんな私のブログにお付き合いいただけると最高に嬉しい思いである。

(後ほど紹介するが、こういうところにも沿線住民の思いがある。もちろん私たちレールファンの思いも一緒だ。)

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(三江線のスタートは江津から。朝7時からのスタートは清々しく新鮮であった。前回の訪問もここ江津に宿泊したが、久々の訪問で懐かしさも実に心地よい。)
三江線と言われて皆さんはどういうイメージをお持ちであろうか。多分、私のブログに散々訪問していただいている方は「日常的」な存在であろう。だが、鉄道にほとんど縁の無い方にとっては「三江線?」的な単語であろう。そういう方に少々解説させていただこう。三江線とは島根県の江津から広島県の三次を結ぶJR西日本の鉄道路線である。と言われてピンとくるあなたは相当の地理マニアか、はたまた地元の方であろう。もちろんレールファンの認知度は高いが、一般的に地味な存在だ。特に江津に関しては「ごうつ」と読むが、かなり地味な地方都市である。近年に世界遺産に登録された「石見銀山」の近くにある都市であるが、その知名度は高くないものと思われる。だが私はこうした都市がある意味好きだ。

(駅名標の他にこうした観光的要素も。だが、列車本数が限られるため、場合によってはかなり綿密な計画が必要だ。)
ところで三江線について、私の場合、失礼ながらつい最近までそれほど魅力を感じず、どちらかというと「新しい部類」的カテゴリーに組み込まれていた。それは、かつて「三江南線」「三江北線」に分かれ、浜原~口羽間が昭和50年代に開通した経緯からであろう。そのため、どうしても「コンクリ」のイメージが強く、木造的な温かみとか人間臭さみたいなものを感じなかった気がした。そのため芸備線や木次線と比較した場合、どうしても三江線が下位にくる感覚であった。そんな事を考える小学生~中学生は若干異質であろうか・・・そして私は社会人になり年齢を重ねてきたが、相変わらず三江線に対してはさほど評価は変わらなかった。だが、つい最近になってなぜか感覚が変わってきた。三江線の魅力に気付いたとでも言おうか、気づかされたとでも言おうか。今回はその理由を探しに三江線全ての駅に立ち寄る決意をした。

(レールファンならお馴染みの駅であろう。私もかつては憧れた駅でもあったが、最近では三江線の他の駅にも魅力を感じるようになった。)
さて、実際に訪問した印象であるが・・・とても大自然豊かな沿線風景で、心が洗われる気分であった。とは言うものの「ジャングル」とは言わないが、安易な気持ちで訪問してはならないと改めて思った。駅間の途中の部分はやはり人気(ひとけ)が無い大自然を行く印象であった。実際に、道路ではサソリとは言わないが、図鑑に載っていないような生物やサワガニなどが何匹も横切り、走る道路も車一台がやっと通れる部分が多い川沿いの道が大部分であった。だが、特に一部の駅では軽トラなどでなければまず訪問不可能な駅があり、マジで命懸けの訪問であった。もちろんこの事は後に紹介するが、ある意味「波乱万丈」的な三江線の旅であった。

(岩泉線が廃止された現在、輸送密度ではワースト1の三江線。沿線住民の思いはひとつであろうが、実際に「銭儲け」と考えた場合、私がもし経営者であるならば答えはひとつである。ある意味究極の選択だ。)
その思いをどれだけ皆さんに伝えられるか分からないが、私なりの三江線を表現できれば、そしてそれを皆様が評価して頂ければ幸いである。では早速次章より三江線全駅を紹介してみよう。と意気込んだものの、多分最後の尾関山まで紹介し終えるまでは恐らく年内いっぱいかかるかも知れない。いや、ひょっとしたら年を越してしまうかも知れないが、そんな私のブログにお付き合いいただけると最高に嬉しい思いである。

(後ほど紹介するが、こういうところにも沿線住民の思いがある。もちろん私たちレールファンの思いも一緒だ。)

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
「好きな車両の有無」という優先順位があるということは「車両派」という事ですか。私は車両よりも「駅」が優先順位になる「駅派」です。1998年の訪問だと、恐らく現在の景色とほぼ変化がない事と思われますが、考えてみたら18年くらいの歳月が流れているので恐らく微妙な変化はある事でしょう。私は2010年が初訪ですのでほとんど変化はなかったです。というより初訪の時は江津に着いたのが夜10時近かったので三江線の景色とか駅の風景などはほとんど堪能できず、今回が実質初訪と考えてもいいでしょう。
次回から三江線全駅紹介する予定ですが、多分年明けまで三江線の記事が続くことでしょう。お付き合い頂ければ幸いです。
「好きな車両の有無」という優先順位があるということは「車両派」という事ですか。私は車両よりも「駅」が優先順位になる「駅派」です。1998年の訪問だと、恐らく現在の景色とほぼ変化がない事と思われますが、考えてみたら18年くらいの歳月が流れているので恐らく微妙な変化はある事でしょう。私は2010年が初訪ですのでほとんど変化はなかったです。というより初訪の時は江津に着いたのが夜10時近かったので三江線の景色とか駅の風景などはほとんど堪能できず、今回が実質初訪と考えてもいいでしょう。
次回から三江線全駅紹介する予定ですが、多分年明けまで三江線の記事が続くことでしょう。お付き合い頂ければ幸いです。
ダイヤモンド☆トナカイ様
お見込みの通り、私は車両派です(^_^)v
最寄りの国鉄駅が豊橋だったことも少なからず影響しているのかもしれないのですが、とにかく旧型に興味がありまして…
最初は旧式の車両を求めての東奔西走でした(^_^;)
コメントさせていただいた“ながさき”然り、“可部線”然り…
あと、駅となりますと、私はいまだに悔しい思いをしているのですが、北進駅ですね。
私は当時、書籍でしか見たことがないのですが、あの何にもない風景…
書籍の写真でみる限り、原野の中にただホームがあるだけ…
あの風景に憧れた中学時代…
いや~、ますます行ってみたかったです(T_T)
ダイヤモンド☆トナカイ様がうらやましいです(T_T)
最寄りの国鉄駅が豊橋だったことも少なからず影響しているのかもしれないのですが、とにかく旧型に興味がありまして…
最初は旧式の車両を求めての東奔西走でした(^_^;)
コメントさせていただいた“ながさき”然り、“可部線”然り…
あと、駅となりますと、私はいまだに悔しい思いをしているのですが、北進駅ですね。
私は当時、書籍でしか見たことがないのですが、あの何にもない風景…
書籍の写真でみる限り、原野の中にただホームがあるだけ…
あの風景に憧れた中学時代…
いや~、ますます行ってみたかったです(T_T)
ダイヤモンド☆トナカイ様がうらやましいです(T_T)
にわか者様
コメントありがとうございます。
私も実は旧式の車両に関してはレールファンを復活した2007年頃から興味が沸いてきました。というより、それまで23年位のブランクがあったわけですが、その23年前以前の車両や当時の車両を今現在見かけると懐かしさを感じますね。特に旧型客車を見かけたら奇跡でしょう。
私は小学校の頃に御殿場線で旧型国電のスカ色に乗車したのを覚えてます。学校が休みの時にクラスの皆と先生とで御殿場ファミリーランド(当時、現プレミアムアウトレットモール)にスケートに行ったのですが、今となっては貴重な体験ですね。鶴見線初訪時は、旧型は既に103系に置き換わっており、大川支線のみ旧型国電でした。もちろん本線にも旧国が走っていたのを知ってます。
昔の懐かしい車両を見たりすると当時の思い出が蘇ってくるから不思議です。
私も実は旧式の車両に関してはレールファンを復活した2007年頃から興味が沸いてきました。というより、それまで23年位のブランクがあったわけですが、その23年前以前の車両や当時の車両を今現在見かけると懐かしさを感じますね。特に旧型客車を見かけたら奇跡でしょう。
私は小学校の頃に御殿場線で旧型国電のスカ色に乗車したのを覚えてます。学校が休みの時にクラスの皆と先生とで御殿場ファミリーランド(当時、現プレミアムアウトレットモール)にスケートに行ったのですが、今となっては貴重な体験ですね。鶴見線初訪時は、旧型は既に103系に置き換わっており、大川支線のみ旧型国電でした。もちろん本線にも旧国が走っていたのを知ってます。
昔の懐かしい車両を見たりすると当時の思い出が蘇ってくるから不思議です。
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私が最後に行ったのが、撮影の記録によると1998年のようです。
ここは国鉄時代もJRになってからも、乗り潰しには苦労させられました…
自分にとって魅力的な車両が走っていなかった(特に国鉄時代は、まず好きな車両の有無で優先順位がありましたので…)ので、余計にそう感じたのかもしれないですが…
おそらく沿線の風景は、私が最後に撮影に行った時とあまり変化はないかと?