「三江」までに・・・
2013-01-04
参考までに、三江線とは山陰本線「江津」と芸備線「三次」を結ぶ全長108・1kmのJR西日本管轄の「ローカル線」である。かつて宮脇〇三氏が山陰本線の事を「偉大なるローカル線」と表現していたが、その山陰本線から枝分かれする三江線も「偉大なるローカル線」と「若干」表現できるであろう。現存している鉄道路線のうち、不通の岩泉線を除けば恐らく輸送密度ワーストであろう。各駅の乗降客をインターネットで確認してみたが、各駅とも乗車人員が軒並みひとけたかふたけた前半であり、経営の苦しさが窺がわれる。20年以上前の「国鉄再建法」の時によく廃止されなかったと感心するが、それが今もなお走り続けている事自体奇跡かもしれない。
歴史的には「三江北線」と「三江南線」がそれぞれ先行開業していたが、ローカル線問題が浮上し始めた昭和40年代後半も工事が進められており、昭和50年に全通した。考え方としては「陰陽連絡」であるが、基本的に機能していない。

私は1980年代より一度訪問してみたかったのだがなかなか実現せず、ようやく2010年8月に実現したのだが、計画段階ではひじょうに苦労した。結局、三次より江津に向かう夕方の列車に乗ることにした。
さて、ようやく三江線の旅を実現させたのだが、実際にほぼ貸切状態での出発であった。「長谷」は某秘境駅訪問家が一押ししているが、私の感覚ではさほど秘境度は感じられなかった。それより、三江線の運転上の主要駅である「浜原」は実にいい味を醸し出していた。三江線では唯一下車した駅である。乗り換えの為であるが、私は乗り潰し専門の為なかなか「駅を降りる」という行為ができない。そのため「改札を出る」事がすごく新鮮に感じられる。と言っても駅員無配置の為「改札」があるわけでもないのだが・・・

ハッキリ言って駅前は「何もない」。だが「秘境駅」のそれとは違う。一体何であろう、この孤独感。飯田線の小和田や田本とは違う孤立モードは一体何を意味するのか・・・
若干、インターネットで他の駅の乗車人員を調べてみると「0」の駅が多いのに気づく。乗車人員「0」・・・「0」を数年更新しているようだ。つまり「利用者がいない」ということになる!
奇妙な造りで有名な「宇都井」も近年は「0」らしい。つまり、あの百数段の階段を利用する人は「いない」ことになる。
しかしながら・・・定期客ではないが、某テレビ局で毎年放送している大家族の番組があるが、舞台は「浜田」である。そしてその浜田から父の友人のお寺に遊びに行くシーンがあるが、なんと三江線を利用しているのだ!そして途中の石見川本から親戚軍団が乗車してきて、一両編成の列車が貸切状態になってしまうのだ。向かう先は「粕淵」。運転手も久々の大人数に切符回収の処理に忙しそうだ。
粕淵のお寺より川で皆が遊ぶシーンがあるが、やはり「大自然」。景色がいい。

私の乗った列車は、江津に着くころにはもう夜9時をまわっていた。駅前はひっそりとしている。今夜はこの地に宿泊予定だ。「ふ〇や旅館」なる名前をアピールしているが、ほぼ95パーセント民宿である。私は鉄道旅行の時はたいていビジネスホテルを利用するが、たまにはこういうアットホームな宿泊もいい。平日の為、当然といえば当然「貸切」であり、風呂も順番待ちは無くすぐに入れた。とりあえず素泊まりの予約であったため本当に寝るだけで宿を後にしたが、次回来るときはぜひ食事もしながらゆっくりと宿泊してみたい。
翌日、「偉大なるローカル線」で出雲市へ向かった。一畑電車を制覇するためだ。ここでも主役は高校生だ。朝早くよりかなりの乗車率。しかし、一気に「仁万」で下車。以降、よくあるローカル線の風景となってしまった。
少子高齢化の中「主役」たちは貴重な存在だ。そういえば、先ほど江津駅で三江線の列車は停まっていたのであろうか・・・本数が少ない中「接続」が何よりの頼りだ。ハッキリ言って山陰本線の普通列車同士や他の支線などとの接続は、ハッキリ言って良いとはいえない部分が多い。JR西はかなり多くのローカル線を抱え、20数年前の「特定地方交通線」の問題に、現在も直面している。「西」に限らずだが、今後どういう展開が待っているのか。「西」も北海道のように空白地帯が広がるのであろうか?接続する支線との時間的な連絡改善なしに利用客増は無理な話であろう。乗り換えの待ち時間が2時間とかは論外である。確かに三江線は「陰陽連絡」の役割は果たせていない。しかし「利用される」事を最優先に考えたとき、もっと利用価値が高まってくるのではないのであろうか。若干のスモールではあるであろうが・・・

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歴史的には「三江北線」と「三江南線」がそれぞれ先行開業していたが、ローカル線問題が浮上し始めた昭和40年代後半も工事が進められており、昭和50年に全通した。考え方としては「陰陽連絡」であるが、基本的に機能していない。

私は1980年代より一度訪問してみたかったのだがなかなか実現せず、ようやく2010年8月に実現したのだが、計画段階ではひじょうに苦労した。結局、三次より江津に向かう夕方の列車に乗ることにした。
さて、ようやく三江線の旅を実現させたのだが、実際にほぼ貸切状態での出発であった。「長谷」は某秘境駅訪問家が一押ししているが、私の感覚ではさほど秘境度は感じられなかった。それより、三江線の運転上の主要駅である「浜原」は実にいい味を醸し出していた。三江線では唯一下車した駅である。乗り換えの為であるが、私は乗り潰し専門の為なかなか「駅を降りる」という行為ができない。そのため「改札を出る」事がすごく新鮮に感じられる。と言っても駅員無配置の為「改札」があるわけでもないのだが・・・

ハッキリ言って駅前は「何もない」。だが「秘境駅」のそれとは違う。一体何であろう、この孤独感。飯田線の小和田や田本とは違う孤立モードは一体何を意味するのか・・・
若干、インターネットで他の駅の乗車人員を調べてみると「0」の駅が多いのに気づく。乗車人員「0」・・・「0」を数年更新しているようだ。つまり「利用者がいない」ということになる!
奇妙な造りで有名な「宇都井」も近年は「0」らしい。つまり、あの百数段の階段を利用する人は「いない」ことになる。
しかしながら・・・定期客ではないが、某テレビ局で毎年放送している大家族の番組があるが、舞台は「浜田」である。そしてその浜田から父の友人のお寺に遊びに行くシーンがあるが、なんと三江線を利用しているのだ!そして途中の石見川本から親戚軍団が乗車してきて、一両編成の列車が貸切状態になってしまうのだ。向かう先は「粕淵」。運転手も久々の大人数に切符回収の処理に忙しそうだ。
粕淵のお寺より川で皆が遊ぶシーンがあるが、やはり「大自然」。景色がいい。

私の乗った列車は、江津に着くころにはもう夜9時をまわっていた。駅前はひっそりとしている。今夜はこの地に宿泊予定だ。「ふ〇や旅館」なる名前をアピールしているが、ほぼ95パーセント民宿である。私は鉄道旅行の時はたいていビジネスホテルを利用するが、たまにはこういうアットホームな宿泊もいい。平日の為、当然といえば当然「貸切」であり、風呂も順番待ちは無くすぐに入れた。とりあえず素泊まりの予約であったため本当に寝るだけで宿を後にしたが、次回来るときはぜひ食事もしながらゆっくりと宿泊してみたい。
翌日、「偉大なるローカル線」で出雲市へ向かった。一畑電車を制覇するためだ。ここでも主役は高校生だ。朝早くよりかなりの乗車率。しかし、一気に「仁万」で下車。以降、よくあるローカル線の風景となってしまった。
少子高齢化の中「主役」たちは貴重な存在だ。そういえば、先ほど江津駅で三江線の列車は停まっていたのであろうか・・・本数が少ない中「接続」が何よりの頼りだ。ハッキリ言って山陰本線の普通列車同士や他の支線などとの接続は、ハッキリ言って良いとはいえない部分が多い。JR西はかなり多くのローカル線を抱え、20数年前の「特定地方交通線」の問題に、現在も直面している。「西」に限らずだが、今後どういう展開が待っているのか。「西」も北海道のように空白地帯が広がるのであろうか?接続する支線との時間的な連絡改善なしに利用客増は無理な話であろう。乗り換えの待ち時間が2時間とかは論外である。確かに三江線は「陰陽連絡」の役割は果たせていない。しかし「利用される」事を最優先に考えたとき、もっと利用価値が高まってくるのではないのであろうか。若干のスモールではあるであろうが・・・

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