時よ、お前は① 児島
2017-05-15

(JR児島駅。高架駅の典型的な設計の印象で、それこそ新幹線の単独駅か鳥取、静岡のそれにそっくり!)
かつて、岡山県に他の鉄道路線と接続しないナローゲージの鉄道路線があった。それは下津井電鉄線といい、JR本四備讃線の児島付近に始発駅があった児島より、漁港で有名な下津井を結ぶ路線であった。私が物心着いた頃には既にこの児島~下津井の区間での運転であったが、それ以前には児島より先茶屋町までの区間があった。現在茶屋町~児島と言えばJRの路線があるが、当時はこのJRの路線は無く、岡山~茶屋町~宇野の宇野線1本であった。宇野では宇高航路が連絡し、船で四国へと渡る・・・言わば宇野は本州側の玄関口でもあった。そんな宇野駅が一気に役目を終えたのが本四備讃線による瀬戸大橋の開通があってからの事であった。ブルートレインが発着する長いホームは使用されなくなり、優等列車は全て宇野駅へ来なくなってしまった。


(児島駅にあるホームへ向かう階段と、駅前に停まっていた営業車。ご覧のとおり、この街のテーマでもある一部の名物のアピール度はかなり高い。)
瀬戸大橋開通時に本四備讃線の駅としてJR児島駅は開業したが、というより茶屋町~児島間は20日くらい先行開業しているが、その時には既に下津井電鉄の茶屋町~児島間は無かった。JR児島と下津井電鉄の児島はかなり離れていて乗り換えるにはかなりの困難を催し、かつての横浜線原町田と小田急線町田(新原町田)との乗り換えよりも過酷であった事であろうと思う。だがこの関係も長くは続かず、時代の波とともに下津井電鉄線は1990年にその生涯を終えてしまった。

(そしてこちらが今でも残る旧・下津井電鉄の児島駅。週末になると一般開放する旨が施設前に表示されていた。)
そしてそれから20年以上経過した現在、今でも所々にその名残を見せてくれる場所が数多く存在する。一部はサイクリングロードに変身して、現在でもまるで列車がやってくるかも知れないような空間をとどめているのが素晴らしい。そんな下津井電鉄の名残を見せる一部の場所を今回訪問してみたが、やはりナローゲージという特殊なレール幅からか、その廃線跡も華奢で可愛らしい。
一番最初に訪問したのが起点駅となる児島であった。だが、週末のみに一般開放するらしく、私が訪問した平日はガラス越しにその姿を眺めるだけにとどまってしまったが、それでも「ターミナル」の姿は実に立派に現在まで残っているのが嬉しかった。

(ガラス越しに現在の姿を確認してみた。それは・・・平日でも一般に開放していただいたいほどの素敵な内容であった旧・下津井電鉄児島駅。)
児島と言えば「ジーンズの街」として最近は有名になり、街へ出ても駅にいてもそのアピール度は非常に高い。私は初めて今回の訪問でJR児島駅を散策したが、昔の下津井電鉄が活躍していた頃の児島のイメージとは全然かけ離れていて立派な造りになっており、それは昭和に流行した高架駅のイメージ、つまり鳥取や静岡・浜松など、典型的な高架駅そのものであった。もちろん今回の訪問以前に何度かこの駅を通過しているが、実際に駅に降り立ったのは初めて。ある意味この街が下津井電鉄の起点であると思うとその事実は実に説得がある街並みであった。そんな街から下津井へ・・・小さな列車の大きな追跡旅が今始まろうとしている。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
いやはや、私はコメント頂いた時期の当時はバンド活動に明け暮れてまして、更に時代はバブル!仲間とスキーやら海水浴、そして連日のカラオケと・・・まるで鉄道を忘れようとする毎日でした。
今になってレールに復活して改めて思うのは、やはりそういう時期があって今なのかなという思いです。もちろんレールから離れていた時期に発生した事象をリアルタイムに体験できなかった自分に対してもったいないと思う場合もありますが後悔はしていません。
下津井電鉄も、正直言ってリアルタイムで下津井を体験したかったですが、今の下津井もまた味があって、当時を彷彿させる現場でした。
いやはや、私はコメント頂いた時期の当時はバンド活動に明け暮れてまして、更に時代はバブル!仲間とスキーやら海水浴、そして連日のカラオケと・・・まるで鉄道を忘れようとする毎日でした。
今になってレールに復活して改めて思うのは、やはりそういう時期があって今なのかなという思いです。もちろんレールから離れていた時期に発生した事象をリアルタイムに体験できなかった自分に対してもったいないと思う場合もありますが後悔はしていません。
下津井電鉄も、正直言ってリアルタイムで下津井を体験したかったですが、今の下津井もまた味があって、当時を彷彿させる現場でした。
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私は瀬戸大橋の開通初日に電車で往復、さらにクルマで往復(^_^;)
そして下津井へ!
実はその約1ヶ月前には、青函トンネル開通初日にトンネルをくぐりまして(^_^;)
いやはや、まさにバブル!
あの頃の日本は、輝いていましたね!!!