蝦夷からアイヌへ③ 山軽
2017-07-10

現役時代の駅名標は、お馴染み「プラットホームの旅」の管理人でいらっしゃる「massi1」様似ご協力頂いた。
天北線・・・若いレールファンはご存知ないか実感がないのが現状であろう。天北線とは1989年に廃止された国鉄~JRの路線であるが、私は何度も北海道路線を制覇しようと思っていた時にネックになっていた路線でもあった。稚内側では天北線と宗谷本線の接続が良いとは言えず、特に稚内発の夜行列車「利尻」に間に合うよう天北線の列車に乗ろうには、稚内のひとつ手前、南稚内ののりかえになってしまい乗りつぶし泣かせのダイヤの組み方であった。だが、夜に訪問するより昼間の訪問がいいと、今度は下り「利尻」で予定を組んでみると、音威子府から天北線と興浜北線の連絡はバッチリであるが、その後天北線を制覇し稚内で宗谷本線に乗り換える予定を組むと、なんと3時間待ちになってしまう。私が中学生時代はこの難問に随分と悩んだものだ。だが、今となっては、例え3時間待ちでも制覇すべきであったとの思いもなくはないが・・・


こんな道を行かなければならない。ある意味万字炭山よりも少し秘境度は落ち着きを見せるイメージであるが、それはむしろ万字炭山より更に野生感が増していると感じた。それは実際に体験してみれば必ずやお分かりいただけることであろう。


途中、天北線の線路跡であるサイクリングロードが出現。だが・・・ここを自転車で通ろうとするには非常に大きな勇気を必要とする。だが、この「茨の道」を通るのが山軽駅へ行く近道。究極の選択かも知れないが、季節によってはこの茨の道を使えるはずなので是非再チャレンジしてみたい。
そんな天北線を、廃止からなんと30年近く経ってから訪問するチャンスが訪れるなんて、何とも皮肉な話である。が、逆に今の天北線を確認できるのも、ある意味幸せかも知れない。そんな思いを込めて、私が最もこだわる「飛行場前」へと向かった。更に、せっかくだからと、付近にある山軽にも訪問することにしたのだが・・・実際に訪問してみると、むしろ山軽の訪問難易度が高く、結果的に玉砕に終わってしまった。だが、尚更次回の訪問を決意せざるを得ない心のやり場・・・また北海道の訪問の予定ができてしまった感じだ。

こちらは「プラットホームの旅」提供の山軽駅の現役時代。サイクリングロードを経るとこのような景色が現れるはずであるのだが・・・実にいい風景だ。
現在、天北線の線路跡は一部サイクリングロードに転用されているが、山軽へ訪問するにはこのサイクリングロードを利用する以外に方法は無いという結論であった。もちろん、国道から「ジャングル」へと通ずる砂利道を伝えば旧・山軽駅のすぐそばまで行ける。その気になればその砂利道から更に草木が生い茂る僅かな轍が残る駅へと通じる道を、勇気を持って突進すれば山軽駅にたどり着ける事であろう。だがそこは、旅客で銭儲けをしようと列車を運転させた場合、間違いなく採算が合わないであろう風景のため、というより、それ以上に野生のジャングル化された、いわば文明とは完全にかけ離れた世界であるため、そして秘境駅訪問家さえも震え上がろう究極の大自然の中にある駅であるため、本当に観光気分などで訪問してはならない獣道を伝ってたどり着く事になるので覚悟が必要であろう。しかもレンタカーなら「戦いの爪痕」を残す事になり、別料金の支払いを強いられるであろう。

こちらも現役時代の山軽駅の写真。「プラットホームの旅」より拝借させていただいたが、現在もこの景色とほぼ変化がない形で残っていると聞いている。必ずやいずれ訪問してみせる。待っていてくれ!山軽駅!!
更に私はジャングルへと通ずる道で山軽駅に向かう途中、野生のキタキツネと遭遇した。普通なら「あっ、可愛い!」となるであろう。実際に助手席に座っていた妻もそんな感じであった。だが私の反応は違う。野生のキタキツネがいる・・・つまり他にも野生の動物が住んでいるという事になる。そう、つまり「クマ」的な野生動物も出没する可能性「大」という事だ。実際に訪問してわかったが、なぜそこに駅があるのかわからないほど周囲が野生化している。これは現役時代と変わらない事であろう。だが、このことは隣の飛行場前に訪問して改めてわかった事でもあった。それは・・・

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
興浜北線、懐かしいですね。南線、そして美幸線と連結して開業してたとしても、恐らく現在の姿の鉄道地図になっていた事でしょう。しかし、車窓に広がるオホーツクは絶景と聞いてます。できれば経験したかったのですが、ただ天北線と興浜南線は連絡がよかったのですが、稚内寄りで天北線と宗谷本線との連絡が良いとは言えず、 乗り潰し泣かせのダイヤだった印象でした。
確か当時は宗谷本線に旧型客車の普通列車がありましたよね?天北線と興浜南線、そして宗谷本線とセットで制覇するならやはり「利尻」で札幌からやってきて音威子府で天北線にのりかえ稚内で旧型客車を三時間待つ黄金パターンで決めれば良かったと今になって思います。
興浜北線、懐かしいですね。南線、そして美幸線と連結して開業してたとしても、恐らく現在の姿の鉄道地図になっていた事でしょう。しかし、車窓に広がるオホーツクは絶景と聞いてます。できれば経験したかったのですが、ただ天北線と興浜南線は連絡がよかったのですが、稚内寄りで天北線と宗谷本線との連絡が良いとは言えず、 乗り潰し泣かせのダイヤだった印象でした。
確か当時は宗谷本線に旧型客車の普通列車がありましたよね?天北線と興浜南線、そして宗谷本線とセットで制覇するならやはり「利尻」で札幌からやってきて音威子府で天北線にのりかえ稚内で旧型客車を三時間待つ黄金パターンで決めれば良かったと今になって思います。
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懐かしいですねぇ(ToT)
急行天北とか…
天北線は遠い思い出と思いきや、平成の世まで残っていたんですよね(°□°;)
でも、やっぱり思い出は国鉄時代(ToT)
あと、私としては、天北線と聞くと興浜北線を思い出しますね…
思い出は尽きません…(ToT)