1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅④

姫路で40分近く待ち時間があった。せっかくだからと播但線の飾磨港線を乗りたいと時刻表を計画段階で見ていたが、朝1本、夕方1本しか列車設定がなく、こちらも乗りつぶし泣かせの路線であった。というより播但線とは全く性質が違い、しかも山陽電気鉄道とほぼ並走しているため利用者はそう多くない。しかも気動車の単行がコトコト走る記憶であったので尚更乗車意欲をそそられる。結局制覇できないまま現在を迎えてしまい勿体無い思いであるが・・・「後髪ひかれ隊」的な思いを胸に姫路を後にして更に西へ向かう。

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まさか「18」の旅紹介で新幹線の画像を載せると思わなかったが・・・というか、旅をするならこちらが定番であるのが一般的だが、普通列車のみでの旅はいろんな発見があると同時に自分との戦いの場面も少なくない。

岡山・・・大きい、広島・・・でかい。駅の規模、利用者、乗換えなど、あらゆる面での要衝であり、中国地方の中心的存在でもある。そして何と言っても新幹線が実にいい働きをしているが、東京~新大阪間に比べこの西の新幹線はやや苦戦を強いられている。
ある鉄道アナリストによると「新幹線三時間説」というのがあるらしく、目的地まで4時間以上かかると敬遠されてしまう率が高くなるという。その理屈だと、東京を基準に考えた場合だと大体岡山くらいか。かつては「弾丸列車」「夢の超特急」などと言われオリンピックや万博などでそのパワーをいかんなく発揮してきたが、最近では「ライバル」の台頭や環境の変化など、様々な対応を求められている。だが、普通列車に乗っているとそんな難しい理屈やしがらみなどを忘れてしまう・・・「生活」という名の普段がゆっくりと進行していく空間に「普段」ではない私が身を置いて「普段」を感じる・・・当時中学生の私に「18」はそんな事を教えてくれた。

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恐らく岩国であった記憶である山陽本線の普通列車。東海道線では見慣れた車両であるが、塗装ひとつで印象がこうも変わるもかと思う。

そんな「生活」を感じながら旅が進行していくわけであるが、広島に着いた頃には既に帰宅ラッシュが始まっている時間帯であり、そう易々と「生活」を感じている余裕は無い。というより生活感がにじみ出すぎて座席は確保できているが常に相席のためエコノミックな姿勢を常に強いられる。そしてそんな中で駅名標に向けシャッターを切る自分が妙に周囲に溶け込んでいない。そう、レールファンは常に孤独な存在なのであろう。

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画像はウィキより。近年では先述した117系が山陽地区でも活躍していた。本当に塗装ひとつで印象が変わってしまうものであるが、製造開始からすでに30年以上経過し、そろそろ「思い出の車両」になってしまう時期であろう。だが「名車」である事には変わりない!

岩国から快速運転になり主要駅のみの停車となるが、途中、岩徳線はかつての山陽本線であったのは周知の事であろう。だが、私の持っている切符は「18」であるためどちらを経由しても運賃計算のルールは完全に皆無だ。「特例区間」も所有している切符によってはあまり意味のないものになってしまうのも意味深であるが、当時の中学生の私にしてみたらそんな事考える能力も無かった。だが・・・そう、金はないが時間はある。学生の特権である季節ごとの長期休暇を大いに利用すれば全国制覇も夢ではない!などと大きな決意を胸に、更に西へと向かったのであった。


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No title

こんにちは。

東海の117系は4年前に引退しましたが
JR西日本では健在のようですが末期色といわれる
黄色単色に変えられたのがいただけないです。

国鉄塗装のクリーム色と茶色のラインは湖西線で
見かけましたが僕の住んでる地域はクリーム色にオレンジの
いかにも東海らしい色合いで
車内のクロスシートが並び化粧板も品があって
晩年米原から大垣でよくお世話になりMT54の爆音響かせ
夜間走る風景は往年の国鉄車そのものでした。

libertyrail樣

コメントありがとうございます。

117系も間もなく「思い出」になってしまう事と思われますが「末期色」とはなんども感慨深いですね。「真っ黄色」なんて117には似合わないですね。

私が117系に初乗車したのは1981年に、今でい言うポートアイランドで開催されたポートピア博覧会に行った時に「新快速」で散々お世話になりました。京都が宿泊地だったので大阪に撮影に行ったり、もちろん神戸博にも行く時にも。15分間隔で運転されてましたからね。

まだデビュー間もなかったので車両も綺麗だったし関東在住の私は117系なんか見たこと無かったのでとても斬新てした。ただ私の好きな153系の姿は既に無く寂しい思いもしましたが、それでも今になって117が「末期」とは何とも残念ですね。

ダイヤモンド☆トナカイ様

なんと!飾磨港へは、行ってなかったですか…
あの白糠線にご乗車された、同い年のレジェンドが!?
これは意外でした…
私は乗るには乗りましたが、ただ乗っただけ…

にわか者様

コメントありがとうございます。

そうなんですよ、川崎さん!とは時代を感じる言い方になってしまいましたが、飾磨港へは行かれなかったんですよ。1981年に泊まりがけで「ポートピア博覧会」に行ったのだから、ついでに行けば良かったと今になって思います。

とは言え、例えば日中線や赤谷線を確かに制覇してるのですが記憶が薄い・・・みたいな感じです。なので、もし飾磨港へ行ってたとしても記憶がなくて記録だけ残ったかも知れませんね。

ダイヤモンド☆トナカイ様

日中線、赤谷線ですか!
懐かしいですね(≧∇≦)
両路線とも乗りましたが、車両派の私としては、日中線の方が強く記憶に残っていますね(^_^;)
あと、赤谷線は何故か魚沼線とゴチャゴチャになってしまいます(^_^;)

すみません…
あの頃の話になりますと、毎度毎度ついつい熱くなってしまいます…

にわか者様

コメントありがとうございます。
確かに私も1980年代のレールシーンを語ると熱くなるかも知れません。現にこうしてブログに昔話をジャーナルにしてるわけですから。

日中線は熱塩はよく覚えてるのですが途中駅の記憶が抜けてます。ですが車内で車掌から切符を買ったのを覚えてます。
赤谷線は、赤谷と東赤谷の記憶だけありまして、特に東赤谷では我々の乗車した列車を待つギャラリーが溢れんばかりにいて、特に春休みでしたから子供連れが多くいました。銀世界の東赤谷は私のブログでも紹介してますが、その陰に隠れて相模線の寒川支線も同時期に廃止されたんてすよね。
私は西寒川の駅前一等地に住んでましたから最終日は他のギャラリーに混ざって撮影してましたが、ある意味変なものがブームになってましたね。
プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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