1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑤
2017-08-20
夕方から夜にシフトチェンジしていくわけであるが、広島から一気に小郡(現・新山口)までのりかえ無しで便利であった。だが、ある意味逆にエコノミー何とかになりそうなくらい精神的に修行に近い何かを感じずにいられない。これから予定では5日間の行程で旅籠にも身を寄せず、ただひたすらに車中泊なのだから帰郷まで持つかどうか不安になる・・・なんて事は無く、当時中学生の私に不安など全く無し!むしろ期待の方が大きかった。
小郡で39分の待ち合わせでいよいよ門司へ。1978年に寝台特急「富士」で訪問して以来の九州である。そして普通列車では初の九州入りであった。もちろん、下関や門司で機関車の交換はないので停車時間も少ない。

こちらは2011年訪問時の門司港であるが、1983年当時とほとんど変わらない。その理由は皆様の方がよくご存知であろう。この日は小学生の社会見学か修学旅行と思われる団体と遭遇。
さて、既に紹介しているが、門司より門司港へ向かい、門司港より夜行普通列車「ながさき」に乗車・・・そこが今夜の「旅籠(はたご)」になる。そう、私は当時の夜行普通列車「ながさき」の乗車は単なる「旅籠」に過ぎず、ある意味その「ながさき」の価値や素晴らしさがわからないまま「旅籠」として利用していた。そう、あくまで目的は鹿児島交通制覇であったのだから。今考えたら実に子供的であり少年的な考え方であった事だろう。皆様はどういう印象を持たれたか・・・でもやはり、事情はどうあれ「ながさき」に乗車できた事は私にとって「財産」かも知れない。

こちらは「maatan」様提供の夜行普通列車「ながさき」。今思えば、とても贅沢な旅であったと思う。何せ、このような夜行列車を「旅籠」として利用してしまうのだから・・・
「旅籠」として今夜は「ながさき」にお世話になるが、考えてみたら東京を23時半頃出発して門司港に到着したのは22時頃・・・なんと。まる1日列車に揺られて九州に到着した事になる!!普通列車だとこんなに時間を費やすのか・・・いや、そうではない。視点を変えて見ると普通列車だけで東京から九州にやってくるという事は実に「大いなる発見」がある。そして先述通り、もちろん精神力や体力も必要となる。だが、そうした苦労を経て到着した門司港のホームに降り立った時、ものすごく旅の醍醐味を感じた・・・と言うのは表向きの表現で、本音を言わせてもらうと「ながさき」の座席を確保しなければ・・・何番線?みたいな感じであった。大垣夜行の「3時間待ち」の印象から、今回は1時間しかない待ち時間に不安が募っていたので「早く早く!!」みたいに「ながさき」の出発ホームを確認したかった。

門司港では「ながさき」の出発時間までやや時間があったので他のホームの「勇姿達」を収めていた。この写真は以前にも紹介しているのでご存知の方もおられよう。被写体の主役「有明」の横には、夜行急行列車「かいもん」が停車している。
結論から言うと・・・18シーズンにも関わらず、余裕で座席を確保できる環境であった。極端に言えば出発5分前でも十分に座れる内容であった。それは、北九州ではちょうどその頃帰宅時間帯なので博多までの間にどこかしら席が空くという計算があるという部分もあるが、更にレールファンの姿もそれほど見かけなかったのがいい意味での誤算であった。そんな列車に乗りながら「ながさき」に乗り長崎行に乗車する。あれ?ちょっと待った。お宅、西鹿児島まで行くんじゃない?そう、もう既にこのブログで散々紹介しているので古くから私のブログをご覧なされている方はもうお分かりであろう。途中の肥前山口で上り「ながさき」にのりかえ、更に旅籠の役割を深く、そして濃くするのがこの旅の重要部分。あくまで「ながさき」は「旅籠」でなければならないのだ。それが中学生時代の私の旅の方程式であった。

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小郡で39分の待ち合わせでいよいよ門司へ。1978年に寝台特急「富士」で訪問して以来の九州である。そして普通列車では初の九州入りであった。もちろん、下関や門司で機関車の交換はないので停車時間も少ない。

こちらは2011年訪問時の門司港であるが、1983年当時とほとんど変わらない。その理由は皆様の方がよくご存知であろう。この日は小学生の社会見学か修学旅行と思われる団体と遭遇。
さて、既に紹介しているが、門司より門司港へ向かい、門司港より夜行普通列車「ながさき」に乗車・・・そこが今夜の「旅籠(はたご)」になる。そう、私は当時の夜行普通列車「ながさき」の乗車は単なる「旅籠」に過ぎず、ある意味その「ながさき」の価値や素晴らしさがわからないまま「旅籠」として利用していた。そう、あくまで目的は鹿児島交通制覇であったのだから。今考えたら実に子供的であり少年的な考え方であった事だろう。皆様はどういう印象を持たれたか・・・でもやはり、事情はどうあれ「ながさき」に乗車できた事は私にとって「財産」かも知れない。

こちらは「maatan」様提供の夜行普通列車「ながさき」。今思えば、とても贅沢な旅であったと思う。何せ、このような夜行列車を「旅籠」として利用してしまうのだから・・・
「旅籠」として今夜は「ながさき」にお世話になるが、考えてみたら東京を23時半頃出発して門司港に到着したのは22時頃・・・なんと。まる1日列車に揺られて九州に到着した事になる!!普通列車だとこんなに時間を費やすのか・・・いや、そうではない。視点を変えて見ると普通列車だけで東京から九州にやってくるという事は実に「大いなる発見」がある。そして先述通り、もちろん精神力や体力も必要となる。だが、そうした苦労を経て到着した門司港のホームに降り立った時、ものすごく旅の醍醐味を感じた・・・と言うのは表向きの表現で、本音を言わせてもらうと「ながさき」の座席を確保しなければ・・・何番線?みたいな感じであった。大垣夜行の「3時間待ち」の印象から、今回は1時間しかない待ち時間に不安が募っていたので「早く早く!!」みたいに「ながさき」の出発ホームを確認したかった。

門司港では「ながさき」の出発時間までやや時間があったので他のホームの「勇姿達」を収めていた。この写真は以前にも紹介しているのでご存知の方もおられよう。被写体の主役「有明」の横には、夜行急行列車「かいもん」が停車している。
結論から言うと・・・18シーズンにも関わらず、余裕で座席を確保できる環境であった。極端に言えば出発5分前でも十分に座れる内容であった。それは、北九州ではちょうどその頃帰宅時間帯なので博多までの間にどこかしら席が空くという計算があるという部分もあるが、更にレールファンの姿もそれほど見かけなかったのがいい意味での誤算であった。そんな列車に乗りながら「ながさき」に乗り長崎行に乗車する。あれ?ちょっと待った。お宅、西鹿児島まで行くんじゃない?そう、もう既にこのブログで散々紹介しているので古くから私のブログをご覧なされている方はもうお分かりであろう。途中の肥前山口で上り「ながさき」にのりかえ、更に旅籠の役割を深く、そして濃くするのがこの旅の重要部分。あくまで「ながさき」は「旅籠」でなければならないのだ。それが中学生時代の私の旅の方程式であった。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
やはり我々世代だと当時は夜行普通列車の価値などわからなかったですよね。今現在、もし「ながさき」が健在なら間違いなく「そんな扱い」をしなかった事でしょう。少なくとの当時のように雑な扱いでは無く丁寧に「ながさき」を扱っていた事でしょうが、いずれにしても「旅籠」には変わり無いでしょう。ですがその内容が違いを見せると思います。
ですがよーく考えたら、こんな素敵な伝統のある列車を「旅籠」として利用出来る我々の生まれたタイミングを親に感謝しなければいけませんね。ある意味、もし両親が、例えば恋愛関係のタイミングで失敗したとか「失楽園」的な情事になっていた場合、私は生まれていないわけで、それこそ私が最もターニングポイントとしている1983年の旅の数々を経験できなかったわけですから、何となく意味深ですね。
そんな両親の事より、こうして「ながさき」を「旅籠」として利用してしまった私は罪作りですね。と言うか、この頃の「18フリーク」は私と似た状況を皆様が持っていたのではなかったのでしょうか?
やはり我々世代だと当時は夜行普通列車の価値などわからなかったですよね。今現在、もし「ながさき」が健在なら間違いなく「そんな扱い」をしなかった事でしょう。少なくとの当時のように雑な扱いでは無く丁寧に「ながさき」を扱っていた事でしょうが、いずれにしても「旅籠」には変わり無いでしょう。ですがその内容が違いを見せると思います。
ですがよーく考えたら、こんな素敵な伝統のある列車を「旅籠」として利用出来る我々の生まれたタイミングを親に感謝しなければいけませんね。ある意味、もし両親が、例えば恋愛関係のタイミングで失敗したとか「失楽園」的な情事になっていた場合、私は生まれていないわけで、それこそ私が最もターニングポイントとしている1983年の旅の数々を経験できなかったわけですから、何となく意味深ですね。
そんな両親の事より、こうして「ながさき」を「旅籠」として利用してしまった私は罪作りですね。と言うか、この頃の「18フリーク」は私と似た状況を皆様が持っていたのではなかったのでしょうか?
ダイヤモンド☆トナカイ様
そうですね。
生まれたタイミングですね。
正直、ギリギリだったかな?と…
あと一年←我々の場合、25日ぐらい?遅かったら…アウトだったかもしれません…
それと、家庭環境と言いますか、親の理解がなかったならば…
そして、のびのび切符が発売されなかったら…
様々な偶然が重なって、こういった貴重な体験ができたんですよね…
もしも“ながさき”が現存していたら…
いや、そうなると私は体力的に乗車は難しいかと…
それか、迷わず寝台車でしょうか(^_^;)
これぞ旅籠でしょうね(^_^;)
生まれたタイミングですね。
正直、ギリギリだったかな?と…
あと一年←我々の場合、25日ぐらい?遅かったら…アウトだったかもしれません…
それと、家庭環境と言いますか、親の理解がなかったならば…
そして、のびのび切符が発売されなかったら…
様々な偶然が重なって、こういった貴重な体験ができたんですよね…
もしも“ながさき”が現存していたら…
いや、そうなると私は体力的に乗車は難しいかと…
それか、迷わず寝台車でしょうか(^_^;)
これぞ旅籠でしょうね(^_^;)
にわか者様
コメントありがとうございます。
もし「ながさき」が現存していたなら・・・10系寝台なら寝台車に乗車してみたいですね。いや、いっそのこと583系にしてもらうと座席、寝台どちらも設定可能ですから勝手がいいかと。いずれにしても旅籠には変わりないですね。ですが大村線を経由できないのが悩みの種ですが・・・
もし「ながさき」が現存していたなら・・・10系寝台なら寝台車に乗車してみたいですね。いや、いっそのこと583系にしてもらうと座席、寝台どちらも設定可能ですから勝手がいいかと。いずれにしても旅籠には変わりないですね。ですが大村線を経由できないのが悩みの種ですが・・・
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神を冒涜する行為かと(-"-;)
いやいや…
私も寝台鈍行を乗車目的だったのは、初めて乗った時の“はやたま”ぐらいでしてね(^_^;)山陰にいたっては、824レの乗り継ぎに利用(^_^;)
でも、あの頃は、みなさん夜行は旅籠だったのでは?
平成のブルトレ終焉の切符騒動しか知らない世代には、ご理解いただけないかもしれないですがね…