1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑥
2017-08-25
「ながさき」に揺られ一夜を過ごす私は途中肥前山口で下車した。そして上り「ながさき」にのりかえ再び西鹿児島を目指す。今考えたらこんな価値ある伝統的な列車を「旅籠」として過ごすとは何とも無礼かつ罰当たりな私であるが、旅の目的はあくまで鹿児島交通。長崎本線より鹿児島本線を南下するため軌道修正をしなければならない。上り「ながさき」に乗った私は鹿児島本線に再び入り二日市で下車した。そして更に下り鹿児島本線普通列車「川尻行き」にのりかえ鹿児島を目指す。

九州新幹線の開業は実にセンセーショナルであった。特に新八代~鹿児島中央という暫定的な開業は、ある意味東北新幹線の大宮暫定開業と似たようなイメージか。ただ、東北新幹線のそれに比べ、九州新幹線は在来線部分の距離が長く、東北新幹線のそれと比べてはいけないのであろうが・・・
現在なら新幹線でひとっ飛びであろうが、私の訪問時は特急「有明」や夜行急行列車「かいもん」など、在来線の優等列車が活躍していた時代であった。だが、そんな事より今回は「鹿児島交通」にこだわりがある。とにかく西鹿児島を目指さねば!なんて使っている切符が「18」であるから説得あるかどうか分からないが・・・
「ながさき」でそれほど睡眠が深くなかったのが、実はこうした朝に乗車する普通列車には突然睡魔がやってくる。この場合、完全に記憶が無い。久留米辺りまでは記憶があったのだが・・・
夜行明けに乗車する列車での睡魔は、ある時突然やって来る。このブログをご覧になっている皆様も少なからず経験がお有りであろうと思われるがいかがであろうか・・・

こちらも以前に紹介している写真であるが、二日市から乗車した「川尻行」に乗車の際に撮影した久留米駅である。久留米といえば武道館公演数第二位の「あの」アイドル歌手の出身地でもある。
だが不思議と目的地の駅に着く前にはしっかりと目が覚める・・・これも皆様は経験お有りであろうか?そんな私は川尻のひとつ手前の熊本を7時49分に下車した。9時11分発の乗り継ぎ列車まではまだ時間がある。まだ朝食も頂いてないので洒落た喫茶でも入ってモーニングコーヒーでも飲むか・・・いや、現実は違った。私はシロガネーゼでもなければ成城に居を構えるわけでもない。喫茶店なんて馴染みもなければコーヒーなんて見たことない!「見たことない」とはオーバーであるが、それくらい私の生活習慣には無いくらいコーヒーとは無縁の生活である。どちらかというと私はレモンティーだったのだから。ただ、次の乗り換え列車に座れないと困る。であるからキオスクで買ったパンなどを頬張りながら次の列車の出発ホームで待つ。別にそこまでしなくとも座席は確保できるはずなのであるが、やはり心配性なのであろう。そんなこんなで待つ列車は、鹿児島本線の普通列車でありながらなんと気動車であった。

かつて全区間電化区間を走るDC急行として名高かった急行「赤倉」。確か名古屋~新潟間で運転していた。写真は確か長野駅であった記憶。
全線電化区間を気動車が走るとは、かつての国鉄時代によく見られた光景であるが現在も「肥薩おれんじ」でその形をある意味引き継いでいるようになっている。国鉄時代のそれと意味内容は恐らく違えど、結果的にそうなっているのは何とも感慨深いものだ。そういえば、かつて全区間電化区間を走るDC急行で「赤倉」という列車があった。確か名古屋~新潟間の運転であっと記憶しているが、確かキハ58的な車両であったと思う。普通に一般の考えなら電化区間を走るのだから電車にすれば?って思うのだが、国鉄なりの事情があったのであろう。であるから逆に「赤倉ファン」「赤倉フリーク」が不特定多数日本中に存在していた事であろう。そんな列車を彷彿させてしまう今回の旅は、コンディション的に大牟田付近から雨⇒大雨にシフトチェンジしていった。

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九州新幹線の開業は実にセンセーショナルであった。特に新八代~鹿児島中央という暫定的な開業は、ある意味東北新幹線の大宮暫定開業と似たようなイメージか。ただ、東北新幹線のそれに比べ、九州新幹線は在来線部分の距離が長く、東北新幹線のそれと比べてはいけないのであろうが・・・
現在なら新幹線でひとっ飛びであろうが、私の訪問時は特急「有明」や夜行急行列車「かいもん」など、在来線の優等列車が活躍していた時代であった。だが、そんな事より今回は「鹿児島交通」にこだわりがある。とにかく西鹿児島を目指さねば!なんて使っている切符が「18」であるから説得あるかどうか分からないが・・・
「ながさき」でそれほど睡眠が深くなかったのが、実はこうした朝に乗車する普通列車には突然睡魔がやってくる。この場合、完全に記憶が無い。久留米辺りまでは記憶があったのだが・・・
夜行明けに乗車する列車での睡魔は、ある時突然やって来る。このブログをご覧になっている皆様も少なからず経験がお有りであろうと思われるがいかがであろうか・・・

こちらも以前に紹介している写真であるが、二日市から乗車した「川尻行」に乗車の際に撮影した久留米駅である。久留米といえば武道館公演数第二位の「あの」アイドル歌手の出身地でもある。
だが不思議と目的地の駅に着く前にはしっかりと目が覚める・・・これも皆様は経験お有りであろうか?そんな私は川尻のひとつ手前の熊本を7時49分に下車した。9時11分発の乗り継ぎ列車まではまだ時間がある。まだ朝食も頂いてないので洒落た喫茶でも入ってモーニングコーヒーでも飲むか・・・いや、現実は違った。私はシロガネーゼでもなければ成城に居を構えるわけでもない。喫茶店なんて馴染みもなければコーヒーなんて見たことない!「見たことない」とはオーバーであるが、それくらい私の生活習慣には無いくらいコーヒーとは無縁の生活である。どちらかというと私はレモンティーだったのだから。ただ、次の乗り換え列車に座れないと困る。であるからキオスクで買ったパンなどを頬張りながら次の列車の出発ホームで待つ。別にそこまでしなくとも座席は確保できるはずなのであるが、やはり心配性なのであろう。そんなこんなで待つ列車は、鹿児島本線の普通列車でありながらなんと気動車であった。

かつて全区間電化区間を走るDC急行として名高かった急行「赤倉」。確か名古屋~新潟間で運転していた。写真は確か長野駅であった記憶。
全線電化区間を気動車が走るとは、かつての国鉄時代によく見られた光景であるが現在も「肥薩おれんじ」でその形をある意味引き継いでいるようになっている。国鉄時代のそれと意味内容は恐らく違えど、結果的にそうなっているのは何とも感慨深いものだ。そういえば、かつて全区間電化区間を走るDC急行で「赤倉」という列車があった。確か名古屋~新潟間の運転であっと記憶しているが、確かキハ58的な車両であったと思う。普通に一般の考えなら電化区間を走るのだから電車にすれば?って思うのだが、国鉄なりの事情があったのであろう。であるから逆に「赤倉ファン」「赤倉フリーク」が不特定多数日本中に存在していた事であろう。そんな列車を彷彿させてしまう今回の旅は、コンディション的に大牟田付近から雨⇒大雨にシフトチェンジしていった。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
赤倉の165系は、実は私の記憶に無いんです。恐らくレールファン休業中だったと思いますが、どうせなら153系にしてもらいたかったですね。または583系とか。たしかその当時は583系が余剰になり普通列車用に改造され東北や九州に行ってましたね。ならば赤倉でもいけそうな気がするのですが・・・
または、いっその事「ニセコ」化して12系か14系の客車急行にしてしまえば「阿蘇」「くにさき」的な雰囲気になり注目を浴びていた事でしょう。
いずれにしても急行全廃的な渦中で、よく165系で生き残っていたと思います。乗ってみたかったですね。
赤倉の165系は、実は私の記憶に無いんです。恐らくレールファン休業中だったと思いますが、どうせなら153系にしてもらいたかったですね。または583系とか。たしかその当時は583系が余剰になり普通列車用に改造され東北や九州に行ってましたね。ならば赤倉でもいけそうな気がするのですが・・・
または、いっその事「ニセコ」化して12系か14系の客車急行にしてしまえば「阿蘇」「くにさき」的な雰囲気になり注目を浴びていた事でしょう。
いずれにしても急行全廃的な渦中で、よく165系で生き残っていたと思います。乗ってみたかったですね。
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ただ、我々が高校の時には、165になってましたね(^_^;)
名古屋-新潟か…
今では考えられないですね(ToT)